lesson.21
不意に――本当に不意に、お兄ちゃんに会いたいな、と物凄く思ってしまって。どうしてもその思いが消せなくて。部活が終わるなり、そのままお兄ちゃんの部屋に行ってしまった。
玄関の前で深呼吸。一応、メールはしたけど返事はなかった。
また携帯を忘れてるのかもしれないけど、ここまで来て、お兄ちゃんがいなかったらちょっとがっかりだな。
そんなことを思いながらインターフォンを鳴らす。
ガタッと中から物音がして、すぐにドアが開かれた。
「あれ? 亜美ちゃん、どうしたの?」
お兄ちゃんは驚いたように目を丸くしている。どうやらメールは見てないみたい。
「お兄ちゃんに会いたくなって」
「え? え、あ……と、とにかくあがって」
促されて中に入る。
ちょっとだけ久しぶり、とウキウキしていたのも束の間。部屋に入ると、テーブルの上に広げられたレポート用紙。いかにも、たった今やっていました、って感じ。
「……もしかして、今、忙しかった?」
「え? あー、ちょっと課題片付けてたんだけど、もう終わるから大丈夫だよ」
「でも……」
邪魔にならないように帰ったほうがいいよね? でも、帰りたくないな。
二つの思いが交差して、私の言葉を詰まらせる。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか「俺が課題やってる間、亜美ちゃんも勉強する?」と、お兄ちゃんはカテキョで使っている問題をひらひらさせた。
正直、勉強はあんまりしたくないけど、お兄ちゃんと一緒にいられる理由ができる。私は頷いた。
「じゃ、頑張りましょう」
お兄ちゃんは私の頭を撫でて、シャーペンを手に取る。私もシャーペンを手にした。
とはいえ、やっぱりあんまり勉強する気分じゃない。なので、お兄ちゃん観察でもしてみる。お兄ちゃんは、真剣な顔で課題に取り組んでいる。
勉強を教えてくれるお兄ちゃんはいつも見てるけど、勉強をしているお兄ちゃんを見るのは結構、新鮮だ。そんなことを思いながらチラチラ見ていると
「ん? 分かんないとこあった?」
お兄ちゃんが私の視線に気づいて手を止めた。
「ううん。大変そうだなぁって思って」
「かなりギリギリだからねぇ」
「お兄ちゃんでもそんなことあるんだね」
「しょっちゅうだよ」
「へー」
意外。お兄ちゃんってそういうとこ真面目かと思ってたけど。それなりに友達と遊んだりしてるのかな。私の知らないところで……んー、ダメダメ、こういうマイナス思考は。
「……亜美ちゃん?」
「へ? な、なに?」
「いや、なんか表情がコロコロ変わってたから気になって」
「……なんでもないよ。っていうか、私の方見ないで課題してよ」
じゃないと、私がお兄ちゃんを見ていることがばれちゃうじゃん。
「う、うん。でも、亜美ちゃんの顔見てたいし」
お兄ちゃんはサラリとこっちが恥ずかしくなることを口にして、それから思い出したかのように頬を染め、それを誤魔化すように止めていた手を動かし始めた。
お兄ちゃんったら、お兄ちゃんったら。いっつも急に嬉しいこと言ってくれるんだから。
私は熱くなった頬を両手で冷ましながら、目の前にプリントに視線を落とす。
このままなにもしないってのも、どうかと思うし。少し頭を冷静にしたいし。私はやるつもりもなかった問題に手をつける。
先週のおさらいのような感じなのでそんなに難しくはない。意外とあっさり終わって、本当に手持ち無沙汰になる。
まぁ、お兄ちゃんを見てると飽きないけど。
「……ごめん、退屈だよね?」
「え?」
ヤバイ。チラチラ見てるつもりが思いっきり見てたみたい。
「だ、大丈夫。楽しいよ」
「……そう?」
「うん。お兄ちゃんの顔見てるの好きだもん」
「っ!」
思わず出た言葉にお兄ちゃんが驚きに口を開ける。
その顔が段々赤くなっていって、可愛い、なんて思ったりして。少し調子に乗っちゃう。
「お兄ちゃん、照れてる」
「……照れてないよ」
「えー、照れてるよー」
「……」
「全部好きだよ、お兄ちゃんの顔も、声も、性格も。全部ぜーんぶ」
私は両手を大きく広げて言う。
なぜかかなり調子に乗っていた。
黙ったまま、顔を赤くしていたお兄ちゃんの手からシャーペンがポロリ落ちる。そして
「……なんで、そう可愛いこと言うかなぁ」
ボソッと呟くなり、お兄ちゃんは私をギュッとしてきた。
予想外の行動に私は驚きの声を上げる。
調子に乗りすぎた。からかいすぎた。言った事は本心だけど。
「お、お兄ちゃん、だ、だめだよ」
「……なんで?」
「課題、残ってるんでしょ?」
「……うー」
「ギリギリ、って言ってたじゃん」
「そう、だけど……」
なんかちょっと子供みたいなお兄ちゃん。
このままイチャイチャしたいなと思わないでもないけど、そのせいでお兄ちゃんが課題提出できなくて、単位落としちゃったりしたら、大変だ。ここはぐっと堪えて、心を鬼にしないと。
「ほら、お兄ちゃん」
抱きしめられてた身体を無理やり剥がして、シャーペンを握らせる。
少しだけ拗ねたような目のお兄ちゃんは「……じゃあ、キスだけしていい?」と、伺いを立ててくる。
「だーめ」
「なんで?」
「……だって、お兄ちゃん、キスだけで終われないでしょ?」
「……う」
お兄ちゃんが痛いところをつかれたというように顔を顰める。
「ほら、ぱっぱと課題やっちゃおうよ」
「んー、うん」
渋々とお兄ちゃんが頷く。
なんかちょっと可哀想かも……飴とムチが大事って言うし
「……課題終わったら、いっぱいしていいよ、キス」
私はそう言ってみる。
すると、溜息混じりに課題を始めていたお兄ちゃんは「ホント!?」と顔を上げた。
いや、そんなに目をキラキラさせなくても……
「……うん。でも、私、10時までにお家に帰らないといけないけど」
「じゃあ、それまでに終わらせるよ!」
突然、エンジン全開になったお兄ちゃんは、それから課題をマッハで終わらせて。
私の唇……だけじゃなく、首やら胸やらにキスの雨を降らせた。