lesson.18
決戦の金曜日、じゃなくて日曜日。決戦でもないし。
兎にも角にも天気は良好。絶好の遊園地日和。
色々な意味でテンションはあがっていたのに。いまや、だだ下がり。
テンションが下がった原因には、ジェットコースターに連続5回も乗ったせいもあるけど……最大の原因は奈津子だ。
奈津子がお兄ちゃんの隣にばかり座るので、デート初っ端から乗るもの乗るもの、全て菊池さんと一緒……これじゃあ、なんのためのデートなんだか分からない。
ついでに、今、私たちは6回目の順番待ちをしてる。ありえない。
「はぁ……」
「……疲れちゃった?」
私の溜息を聞きつけたのは、お兄ちゃんではなく菊池さんで。菊池さんが悪いわけじゃないんだけど、なんだかなーって感じだ。
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
そう答えて、前を歩くお兄ちゃんの背中をチラリと見る。菊池さんが私の視線を追い「なっちゃんにも困ったものね」と、呆れたように言った。
「ごめんね、亜美ちゃん」
「え? 別に菊池さんが謝ることじゃ」
「謝ることなのよ、これが」
菊池さんが肩を竦める。
どうして菊池さんが謝ることなのか、よく分からない。
私の疑問の眼差しを感じ取ったのか、菊池さんが「ちょっと二人で話そっか」と言った。
菊池さんの話というのも気になったし、正直、6回目のジェットコースターは勘弁してほしかったのもあって、私はその誘いに乗った。
前に並んでいる二人に声をかけて、列を抜ける。
奈津子に振り回されて疲れた顔をしたお兄ちゃんが私たちにSOSの目線を向けてたけど、私は――ごめんね、お兄ちゃん――と、心の中で謝って、気づかない振りをした。
フードコートで飲み物を買って、ジェットコースター近くのベンチに座る。
奈津子とお兄ちゃんはもう列の先頭の方に動いていた。その後姿を見つめながら「なっちゃんは私に気を回しすぎなのよね」と、菊池さんがぼやくように言った。意味がよく分からない。
「どういうことですか?」
「うーん、簡単に言うと……私が亜美ちゃんを好きだから、一緒にいさせてあげようと頑張りすぎってるってことかな」
「なるほど……えっ!?」
一瞬、納得しかけた私は菊池さんに言われた、これまで考えもしなかったことに目を剥いた。菊池さんがそんな私を見て、クスクスと楽しそうに笑う。
「正確には好きだった、だけどね」
「……」
いや、そんな訂正はどうでもいいっていうか……てっきり菊池さんはお兄ちゃんのことを好きだと思っていたから、なんていうかどう反応したらいいのか分からなくなる。
「……ひいた?」
私の沈黙を拒絶と思ったのか、少しだけ傷ついた表情で菊池さんが問いかけてくる。
「え? あ、いえ、驚いて、言葉が出ないだけです」
慌てて首を横に振ると菊池さんはホッとしたように破顔した。
「よかった。一目惚れだったんだよね」
「はぁ」
「でもさ、片瀬君と亜美ちゃんを見てたら、二人の気持ち分かっちゃって……片瀬君は大事な友達だし、それに、元々、亜美ちゃんとどうこうなれるなんて思ってもなかったしね、すっぱり諦めて応援に回ったワケ」
「はぁ」
想像の斜め上すぎて、私はただ相槌を返すしか出来ない。
でも、今のが全部事実なら、菊池さんが落ち込んでいるように奈津子の目に見えた時、奈津子が私を菊池さんのところへ連れて行ったことにも合点がいく。
ってことは、奈津子は菊池さんの気持ちを知ってるってことになるの?
「……奈津子はその、えっと、菊池さんの気持ちを知ってるんですか?」
「うん。最初は私が片瀬君を好きだと思ってたみたいで、亜美ちゃんの邪魔するなーって怒ってたけど」
私が菊池さんの存在に不安を覚えていたからだ。
でも、事実が違っていたことを知った今は、勝手にお兄ちゃんとのことを誤解して嫌な態度取ったりしたことにちょっと罪悪感。
私が一人反省会をしていると「今は本当に吹っ切れてるし、正直、今日はなっちゃんと一緒だから楽しみにしてたのに、ね」と、菊池さんが苦笑混じりに言う。
「え? そ、それって奈津子のこと、その……」
「そういうわけじゃないけど、あの子と一緒にいると楽しいから」
「そうですか……」
微妙な答え。それも当然なんだろうけど。たとえ、同性が恋愛対象だったとしても、全ての人がその対象にあたるとは限らないんだろうし。そういうところは普通の恋愛と一緒なんだと思う。いくらいい人でも、どうしたって友達どまりって相手もいるしなぁ……でも、その逆だって可能性としてはあるわけで。だったら、なおさら、今の状況はよくない。奈津子と菊池さんを二人きりにしないことには進展も何も見込めないはずだ。
「菊池さん」
「なあに?」
「二人が戻ってきたら、奈津子と一緒に回ってください。私はお兄ちゃんと、えっと、二人で回りますから」
「そうね。そうしよっか」
菊池さんは私の提案に微笑を浮かべて頷いた。
※
しばらくして、私たちの元に奈津子とお兄ちゃんが戻ってくる。
私は立ち上がり、ダッシュでお兄ちゃんの腕を取った。
「あ、亜美ちゃん!?」
「走るよ、お兄ちゃん」
そのまま有無も言わさず走り出す。
「ちょ、ちょっと亜美ー!」
奈津子の困惑した声を背中に受けながら、お兄ちゃんと走る。
計画通り。これくらい強引に行かないと、奈津子はなんやかやと理由をつけて、菊池さんと距離を取ろうとするから。お兄ちゃんにはあとで説明するとして。これで奈津子と菊池さんは二人きり。私とお兄ちゃんも。
奈津子たちから大分距離が取れたと思ったところで走るのをやめる。
「……どうしたの? 急に」
息を弾ませながら、お兄ちゃんが疑問の声を投げてくる。
「んーと、ちょっとしたキューピット?」
「え?」
「じゃなくて、あの、お兄ちゃんと二人きりになりたかったから」
よく考えたら、あまり軽々しく話していいことじゃない。私は慌てて言いなおす。そして、自分の口にしたことがケッコー恥ずかしいことだと気づいた。本心でもあるけれど。
お兄ちゃんが照れたように笑う。
「ごめんね。俺も亜美ちゃんと一緒に乗り物乗りたかったんだけど……」
「奈津子、強引だからね」
「いや……まぁ、ちょっとだけね」
私の親友を悪く言いたくないのか、お兄ちゃんは一瞬、否定しかけたけど結局、認めていた。
「それより、二人きりになれたんだし、楽しもうよ」
「うん」
「なにか乗りたいものある?」
「えっとねー、あれ!」
私は目の前にある観覧車を指差す。
定番中の定番だけど、お兄ちゃんと二人で乗りたかったのだ。それに、お兄ちゃんもジェットコースターばかり乗って大変だったと思うから、ここでゆっくりした乗り物もいいだろう。
そんなことを考えていた私は「いいよ」と、頷いたお兄ちゃんの顔が少し引き攣っていた事に気づかなかった。
列に並んで十数分。意外とすんなり順番が来る。
時間は20分らしい。ガラス張りの密室で、お兄ちゃんと二人きり。
私たちは向かい合って座る。
座ってから気づいたけど、隣に座ればよかった。少し後悔。なんか距離感がちょっと寂しいというか。でも、立ったりするのはちょっと怖いので、諦めてそのまま景色を見ることにする。
「これさぁ、夜はもっとライトアップとかされて綺麗なのかなぁ?」
「そうだろうね」
「でも、ほら、あそことかすっごい綺麗、ね?」
「そうだね」
お兄ちゃんの返事が素っ気無いような気がする。
男の人って、こういうのあんまり興味ないのかな? 景色から視線を外して、チラリとお兄ちゃんを盗み見る。お兄ちゃんは、まったく窓の外を見て居なかった。それどころか――
「お、お兄ちゃん、どこ見てるの!?」
お兄ちゃんの視線の先を悟って、私は思わず大きな声を上げてしまった。
「え!? あ、見てない。なんにも見てないよ」
お兄ちゃんは飛び上がるほど驚いて、否定する。
私は傍に置いてたバッグを、太腿の上にのせて、お兄ちゃんの視線を遮った。
私が油断しすぎてたのもあるけど……お兄ちゃんってば、油断も隙もないんだから。
「お兄ちゃんのエッチ!」
「……だ、だってさぁ」
「か、観覧車は外の景色を楽しむ為に作られたものだよっ? な、なんでこんなとこ見るの……」
「見えてたか……じゃなくて、俺、外見れないから亜美ちゃん見てただけだよ」
お兄ちゃんはどこか拗ねた子供のように言う。
「……なんで外見れないの?」
「笑わない?」
「うん、笑わない」
「……高いとこ苦手なんだ」
さも重大なことのようにお兄ちゃんは少し声を潜めて教えてくれた。
確かによく見ると、今のお兄ちゃんの顔色はさっきまでと違って冴えない。もしかして、さっきまでは私の……なところに集中してたから平気だったのかな?
観覧車は丁度天辺を回ったところ。あと10分は空の上だ。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「う、うん」
「無理しないで言ってくれればよかったのに」
「でも、亜美ちゃん、乗りたかったんでしょ?」
「そうだけど……無理されるのはヤダよ」
「ん、ごめん」
話してたら少しは気が紛れるかなと思って、私は外の景色は見ないで、お兄ちゃんに話しかけ続ける。でも、お兄ちゃんはやっぱり辛そうで。
「……お兄ちゃん」
「……ん?」
「見てたら、少しは平気?」
「……え?」
「だから、此処ら辺」
私はバッグで隠した部分を指差す。
お兄ちゃんは私の言っている事を悟って、ボッと音が鳴るくらいの勢いで頬を染めた。
「いや、だ、大丈夫だよ。このままで」
「……でも、辛そう」
「もう結構下の方だし、平気」
「……」
「あ、じゃあさ、亜美ちゃん、こっち来て」
「え?」
「ここ、ここ」
お兄ちゃんが名案を思いついたというように、ポンポンと膝を叩く。
その意味に気づき、私は嬉しさ半分、恥ずかしさ半分で訊き返す。
「ここって……膝の、上?」
「うん。ほら、おいで」
さっきまで青褪めてた顔色が、すっかりよくなっているのは気のせいですか? このやり取りだけでいいような気もしてくるけど、お兄ちゃん、すごく期待してるっぽいので――私は意を決して、立ち上がる。
ぐらつかないようにゆっくりと。向かい合うのはさすがに恥ずかしいので、私は背中を預けるようにして、お兄ちゃんの膝の上に座る。
お兄ちゃんが私の腰に腕を回す。
お兄ちゃんと同じ方向を向いてちんまり重なり合うように座っていると、なんだか懐かしい気持ちを覚える。誰かの膝の上に座ることなんて、大きくなるとなかなか出来ないけど、小さい頃はよくお父さんやお母さんにやってもらっていた。
お兄ちゃんの体にギューッと包み込まれる安心感。ほっとする。
「ね、お兄ちゃん」
「んー?」
「気持ちいいね、これ」
「うん」
お兄ちゃんは私の肩口に顔を埋めている。
あたたかで幸せな時間。このままずっといられたらいいのに。
私のそんな願いはむなしく――観覧車は下に降りていく。
近づいていく地上。でも、まだ係員さんの姿は見えない。
私は体を捻ってお兄ちゃんの方を振り返る。
「どうかした?」
お兄ちゃんが不思議そうに顔を上げる。私はその唇に掠めるようなキスをした。