lesson.11
「やっぱりさ、お泊りに必要なのは、あれよね、あれ。で、あれして、さらに仲良くなるわけよ」
「はいはい」
「恋愛の達人の話は真面目に聞いておいたほうがいいよー。あとで後悔したくなきゃね」
「はいはいはいはい」
お兄ちゃんとのことを報告した時も相当うるさかったけど、今日はまたことさらうるさい奈津子。
自称・恋愛の達人は私がほとんど話を聞いていないのを承知で持論を熱く展開している。
言うんじゃなかった、なんてちょっぴり思ったりして。
今日はお兄ちゃんと恋人同士になって、はじめてお兄ちゃんの部屋に遊びに行く日。
泊まりに行くわけじゃないのに、なんでお泊りグッズの話を聞かなきゃいけないのか。それ以前に奈津子の話は『あれ』ばっかりで意味がよく分からない。
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休み時間になるたびにはじまる奈津子のどうでもいい忠告を右から左へ受け流して、いよいよ放課後になった。足取りも軽くお兄ちゃんの家に向かう。
電車の窓に映る自分の顔がにやけてるのに気づいて、少し恥ずかしくなる。でも、嬉しいものは嬉しいし、楽しみなものは楽しみだ。
駅に着いて、スーパーに寄っていく。
この間、作ってあげられなかったオムライスを作ってあげるんだ。
玉子に玉ねぎ、鶏肉、トマトピューレ。調味料は一杯あったから大丈夫かな。なんだかこうしてお兄ちゃんのために買い物をしていると、気分は通い妻って感じ。
そんなことを考えて、またにやけている自分に気づく。これじゃ変な人だ。
私はしまりのない頬をぺしっと叩いて引き締めてから、レジに並んだ。
買い物をすませててスーパーを出ると、ポンと肩を叩かれた。
お兄ちゃんかと思いながら振り返った私は「やっぱり亜美ちゃんだ」にこやかに立つ菊池さんに、お兄ちゃんに向けるとびっきりの笑顔を見せてしまった。
「そこ通ってたら亜美ちゃんに似た可愛い子が見えたから、ちょっと待ってみたの」
「そうなんですか」
どうして、私は菊池さんと一緒にお兄ちゃんのところへ向かってるんだろう。
「今日はいい日」なんて、なぜか浮かれてる菊池さんには悪いけど……少し気が重い。少しじゃなくて、かなり。
そんなこんなで、ご機嫌な菊池さんの話を聞きながら歩くこと数分、お兄ちゃんのアパートに到着する。
インターフォンを押すと、すぐにお兄ちゃんは出てきた。そして、私の隣に立っている菊池さんを見て「げっ」と眉をひそめる。
「そんな露骨に嫌そうな顔しなくてもいいでしょ」
菊池さんはケラケラと笑いながら、お兄ちゃんの肩を叩く。
「別にそういうわけじゃないけど、なんか用?」
「片瀬君さ、この間の小谷教授の講義受けてたでしょ?」
「あー、うん」
「ノート貸して」
パンと両手を合わせて拝むポーズ。
お兄ちゃんはやれやれといった風に頭をかき「ちょっと待ってて」と部屋の奥に消える。
お兄ちゃんの姿がなくなるなり、菊池さんは申し訳なさそうに「ごめんね、亜美ちゃん。邪魔しちゃって」と頭を下げた。
「あ、いいえ、そんな全然」
「ふふ。でも、やっぱり付き合ってたのね、二人は。隠すことないのに」
「え? 隠してたわけじゃ……えっと、つい最近なんです。そういう風になったの」
「本当に?」
「本当です」
「へー、意外……ってわけでもないか。片瀬君だしね」
菊池さんがそう言って笑ったのと同時にお兄ちゃんが戻ってきた。
「なにが意外なんだ?」
「ううん、別に。それより、ノート」
「ほれ」
「サンキュー。じゃ、私は若い二人の邪魔にならないように帰りますね」
菊池さんは受け取ったノートをひらひら振りながら階段を下りていく。
その姿を見送って「ごめんね、亜美ちゃん。待たせちゃって」と、お兄ちゃんは私を部屋に招きいれてくれた。
「それ、なに?」
私の手にあるスーパーの袋を不思議そうに見ながら、お兄ちゃんが言う。
「前にオムライス作れなかったから、今日作ろうかなって思って」
「え? マジで?」
「マジです」
頷くと、お兄ちゃんの顔がパッと明るくなる。子供みたいでちょっと可愛い。
「じゃ、俺、米研ぐよ」
「大丈夫。お兄ちゃんはそっちで座って待ってて」
前は知らなかったからお願いしたけど、今日は違う。この日のためにお米の研ぎ方だって、ちゃんと練習してきたんだ。
お兄ちゃんをテーブルの前に座らせて、私は台所へ。
トン……トントン、ト、ン。
年季の入った主婦さんや料理人さんみたいに、リズムよくは鳴らない包丁。家だと、もう少しまともなんだけど、背中に感じるお兄ちゃんの視線と、微かに聞こえるオムライスの歌? に意識がいって仕方がない。
「オム、オム、オム、オム、オムライスー♪」
こんなキャラだったかな、お兄ちゃんは。でも、歌っちゃうほど楽しみにしてくれてるのは正直に嬉しい。
お兄ちゃんの歌に合わせて包丁を動かしていると「……いたっ」少し指を切ってしまった。左手の人差し指からぷっくりと血が湧き上がってくる。
「どうしたの?」
私の声を聞きつけて傍にやってきたお兄ちゃんは、私の指を見るなり「ちょ、ちょっと待って、ばんそうこうばんそうこう」慌てて部屋の中を探し回る。でも、見つからなかったみたいだ。
「ごめん、なんか切らしてるみたいで」
「あ、大丈夫だよ。水につければいいから」
お兄ちゃんがすごく慌てるから言いそびれたけど、これくらい大した傷じゃない。
「いや、で、でもさ……手貸して」
なぜか頬を赤くしたお兄ちゃんが私の手を取る。
「お兄ちゃん?」
「ちゃ、ちゃんと消毒しておかないと」
その言葉とともに、パクリとくわえられた人差し指。
「お、お兄ちゃん!?」
こ、これって現実? 一昔前のマンガだよ、こんなの。それをお兄ちゃんがやってくれるなんて――でも、嫌じゃない。
「……も、もう大丈夫かな」
突然の行動に私が目を白黒させている間に、お兄ちゃんはゆっくりと口を離す。自分からしておいて、お兄ちゃんの顔も真っ赤だ。
「ばんそうこ、ちゃんと買っておくから。ごめんね」
傷口は少し血が滲んでいる程度。もうさっきの消毒は必要ないけれど、もっとしてほしい。その思いが強くて。
恥ずかしくてたまらないのに「まだ血、出てるよ」私はそう言っていた。
微かに驚いたお兄ちゃんと目が合う。恥ずかしいのに、逸らせない。
徐々に近付いてく目、唇。 気付いたら私の唇はお兄ちゃんの唇と重なっていた。
指より、やっぱり唇がいい。お兄ちゃんと恋人同士になってから幸せすぎて、死んじゃいそう。
あ、オムライスはとっても喜んでもらえた。
********
「……あやしい」
翌日、私が教室に入るなり奈津子が言う。そのまま教室の一角に連れて行かれての事情聴取。
「ぶっちゃけ、泊まったんでしょ?」
「泊まってないよ」
「うっそだー」
「嘘ついても何の得にもならないじゃん。まだ早すぎるよ、泊まったりとかは」
「でも、昔からの知り合いでしょ。別に早くないんじゃない? むしろ、遅いくらい」
「……私たちには私たちのペースがあるの」
「ふーん、つまんない」
本当につまらなさそうに奈津子は言った。
まったく、なにを期待してるんだか。やれやれ。