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嫌われ公女の後始末

嫌われ公女の後始末《連載版はじめました》

作者: 月波うより
掲載日:2026/09/02

 それは朝から激しい雨が降り続いた日の夜だった。


 夕食を終えて自室へ戻ろうと廊下を歩いていると、帰ってきたばかりのシルエナと鉢合わせた。


 今日は婚約者のレグルスと記念日を共に過ごす予定だったはず。

 それなのに、淡い銀色の髪は雨に濡れてひどく乱れ、雨の日に似つかわしくない白いドレスのフリルは泥で汚れている。


 その姿を見て私が最初に抱いた感情は同情でも心配でもなく、ひどく冷めた呆れに近いものだった。


 ——やっぱり、こうなったのね。


 あの男を選んだときから、いつかはこうなると思っていた。

 とはいえ、姉としてひとつくらいは慰めの言葉を掛けるべきだろうか。


 立ち止まって悩んでいると、こちらに気付いたシルエナが俯いたまま私よりも先に冷たい声を投げてきた。


「放っておいて……ヴェローナお姉様……」


 私だって、嫌がる妹を無理に慰めてあげるほど優しい姉ではない。

 拒絶されたのなら素直に従うことにする。


「そう、わかったわ」


 それ以上の言葉は残さず、自室へ戻ることにした。

 廊下を歩いていると、窓を叩く雨音に混じってもうひとつの声が聞こえてきた。


 私にしか聞こえない精霊の声だ。


「またあなたたちね……」


 雨が降る日は水の精霊たちが活発になる。

 だから今日はいつもより賑やかで、聞いてもいないことを随分と楽しそうに教えてきた。


 最初はいつものことだと聞き流していた。


 けれど、話を聞いているうちに自然と足取りが遅くなっていった。そして最後まで聞き終えたところで、とうとう足を止めてしまう。


「……そう」


 小さくため息を吐いた。

 窓の向こうに見える庭が激しい雨で白く霞んでいる。


 精霊の声を聞いてしまったからには放っておくこともできない。白い庭を少し眺めたあと、私はシルエナの部屋へと向かうことにした。


「入るわね」

「いや……入らないで」


 許可なんてもらう気は最初からなく、シルエナの制止を無視して私は部屋へ踏み入った。

 この部屋に入るのも何年ぶりだろうか。


「入ってほしくないなら部屋の鍵は掛けておくべきね」

「……ヴェローナお姉様のそういうところが嫌いなのよ」


 何を言われようと、今さら傷つきもしない。

 そもそもシルエナは私に慰めてもらうことを望んでいないのだから。


「残念だったわね」

「残念だなんて……思ってもないことを言わないで」

「思ってもないこと? あなたは私の妹なのよ。本心に決まっているでしょう」

「……嘘ばっかり。顔に『だから言ったでしょ?』って書いてるじゃない」


 涙を雑に拭って、シルエナは怒りを込めながら話した。

 ずっと泣いていたせいか声は若干枯れて、時折見える目元には涙の跡が目立った。


「その言葉はわざわざ私が言わなくても、あなたはすでに理解しているはずよ」

「だからって、今さら姉としての言葉なんていらないから」


 昔から私たちは仲のいい姉妹ではなかった。

 顔を合わせればこうして嫌味の一つや二つは飛んでくるし、私も言われたらすぐに言い返した。


 精霊の声を聞けば、相手が隠している気持ちや思考まで分かってしまう。

 シルエナはそんな力を持つ私が幼い頃から嫌いだった。


 部屋を見回すと、寝台の隣にある机の上に小さな箱があることに気付いた。


 雨に濡れたのだろう。

 綺麗に結ばれていたはずのリボンは萎れ、端の方は汚れて色が変わっている。


 私はその箱を手に取った。

 開けなくとも中身は知っている。


「レグルスの瞳の色に合わせて選んだ首飾りね……綺麗なアメジストが勿体ないわ」


 レグルス・メイデル。

 それがシルエナの婚約者だった。


 王国でも指折りの財力を持つメイデル伯爵家の嫡男でありながら、整った容姿と人当たりの良さから社交界では以前から女性人気の高い男だ。


 軽薄な笑みを浮かべて、誰にでも言ってそうな当たり障りのない褒め言葉をシルエナに向けていた。


 精霊の声を聞かなくても、誠実な人間じゃないことは出会ってすぐにわかった。


「なっ……なぜお姉様が首飾りのことを知って——」


 シルエナは驚いたように私を見た。

 けれど、それもほんの一瞬だった。


「また精霊様から話を聞いたのね」


 すぐに察したらしく、呆れた顔で窓の外へ視線を向けた。


「……また余計なことを聞いて」


 雨に向かって小さく零した言葉を、私は聞き逃さなかった。


「そうね、できることなら私も聞きたくなかったわよ」


 それについては、私もシルエナとまったく同じ気持ちだった。

 私、ヴェローナ・アルヴェリオは生まれながらに『精霊の加護』を持っていた。


 精霊の声が聞こえた私は、幼い頃から毎日のように精霊と会話した。


 けれど、精霊の言葉は幼い子供には酷だった。

 両親が私に隠していたことも、親しいと思っていた友人が笑顔の裏で考えていたことも、かつて好意を寄せた相手が私の知らないところで何をしていたのかも。


 精霊の声で私はすべてを知ってしまった。


 おかげで私は人間をあまり信用できなくなった。

 愛している、なんて言葉ほど信じられないものはこの世にない。


 それを幼い頃から知ってしまったのだから、こんな性格になるのも仕方ないことだった。


 シルエナだけじゃない。

 こんな私を避けるのは周りの人間も同じだった。


「……雨の日は水の精霊が元気なのよ」

「なら、今日のことは全部知ってるでしょ。なおさら放っておいてよ」


 シルエナは私を睨んだ。

 私も関わりたくない。けれど、精霊の声を聞いてしまったからには無視するわけにはいかなかった。


 姉妹仲が悪いとはいえ、妹であるシルエナをこんなにも悲しませるあの男が憎いとさえ思った。


「そうね。全部聞いたわ。記念日なのに急用があると断られて、それでも首飾りだけは渡そうと会いに行ったら——」

「やめて!」


 シルエナの声が、激しい雨音に重なった。


「……わかったわ」


 私はそれ以上口にするのをやめて、小箱を元の場所へ戻した。


 わざわざ本人の口から聞く必要もない。

 何があったのかは精霊が全部教えてくれた。


「あなたはどうしたいの?」

「どうしたいって……お父様のためにも、婚約を続けるしかないでしょ。レグルス様が他の女性と親しくしていても、結婚するのは私なんだから」

「愛されていなくてもいいの?」

「政略結婚に愛を求めた私が間違っていただけよ」


 ずいぶん聞き分けのいいことを言う。

 誇り高い公爵令嬢の言葉ではない。


「それもレグルスの言葉でしょう」

「それって? 事実でしょ」

「ええ、普通の貴族はそうね。でも私たちは公爵家の娘よ。あなたがレグルスから言われた言葉は、まるで……立場を理解してないように聞こえるわ」


 つい先程、精霊が教えてくれたのは今朝レグルスがシルエナに放った言葉だった。


『メイデル伯爵家との婚姻はアルヴェリオにも利益がある。だから騒いで困るのは君の家だ』


「……でも、事実でしょ。お父様も、メイデル家から莫大な資金を支援してもらってる。私が婚約するのはそのお金のためよ……」


 俯きながら、シルエナはそう言った。


「あなたもまだまだ子供ね」

「お姉様はいつもそう! 精霊の力を借りて、自分ばかり知った気になって人を見下してる」


 涙を堪えながら、シルエナは唇を噛んだ。


「シルエナの言う通りよ。精霊は私が拒もうと真実を教えてくる。けれど、私は私が知りたいことを知る努力もしているわ」


 精霊の言葉が自分にとって得があるとは限らない。

 それどころか、精霊は知りたくないことばかり教えてくる。

 だからこそ私は自分の目と頭を使って情報を得る。


 精霊が責任を取ってくれるわけでも、後始末をしてくれるわけではないから。


「先程も言ったでしょ。シルエナが私のことをどれほど嫌っていても、あなたは妹で私は姉なの。そのことに変わりはないのよ」

「……今さら何よ」

「あなたの本心を私に聞かせなさい」


 シルエナはすぐには答えなかった。


 私を頼るのが癪なのだろう。

 それでも、一人でどうにかできるほどの余裕は今のシルエナにはない。

 シルエナは少し悩んでから答えた。


「結婚したくない……あんな男と結婚するくらいならお父様を失望させた方が幾分かマシよ」

「言えるじゃない」

「そうやって、知っていることをわざわざ相手の口から言わせるのは面倒くさいでしょ」

「それが私のできる努力よ」

「……そう」


 シルエナは小さく頷いた。


「あとは任せなさい。後始末は私がしてあげるわ」

「え? 後始末って何をするつもりなの? まさか乗り込むつもり!?」

「そんなわけないでしょう」





 数日後。


「ヴェローナお姉様……これは乗り込んでるのと変わらないわよね?」

「私が催しに来ることが何かおかしい?」

「……いつも招待状を破り捨ててるじゃない」


 メイデル伯爵が主催する夜会に、私は珍しく出席することにした。

 シルエナと二人で社交界に出るのはこれが初めてだった。


 会場に到着すると、レグルスが少し驚いた様子でこちらに近付いてきた。


「ヴェローナ様! わざわざ我が家の夜会へお越しくださりありがとうございます。事前に伺っていればもう少し手厚いお出迎えを……」

「結構よ。外は冷えるから早く中に入れてちょうだい」

「あぁ……失礼いたしました。どうぞ、こちらへ」


 私が前を歩き始めると、見ていないところでレグルスはシルエナを睨んだ。

 精霊の加護を詳しく知らない人間はこれだから困る。精霊の目があることに気付いてない。


 そもそも自分の目で見えているのだけれど。


「何をしているの? 早く案内しなさい」


 レグルスに冷たく指示しながら、会場の中へ足を踏み入れる。


 優雅な音色が流れる会場は多くの貴族で賑わっていた。

 中に入った途端、私の姿に気付いた者から次々に声を掛けてきた。


 精霊のおかげで、昔からこういった人が集まる催しは大がつくほど嫌いだった。

 珍しいものでも見るような視線を向けられるが、数ヶ月ぶりに社交界へ顔を出したのだ。それは仕方がない。


 顔も覚えてない人に挨拶を返しながら会場を進んでいく。聞けば精霊が教えてくれるがまったく興味ない。


 それより前を歩くレグルスが少し満足気な表情で、周囲に手を振って歩いていることに苛立ちが湧いてしまう。


 私がここへ来たこと自体はどうも思っていないらしい。

 むしろ、アルヴェリオ公爵家の娘二人が揃って自家の夜会へ来ていることを誇らしく思っているように見えた。


「お姉様、これからどうするの?」

「みんなにあなたの嫌いなレグルスを知ってもらうだけよ」

「知ってもらうって、まさか精霊様が言ったことをみんなに言うつもり?」

「そうよ。何かおかしい?」


 それだけ? とでも言いたげに、シルエナは怪訝な表情を浮かべた。

 いや——精霊曰く、実際にそう思っているらしい。


「とりあえず私に任せるといいわ。そろそろ時間よ」


 私がそう言って机に置かれたワインを手に取って喉を潤した。

 シルエナはまだ言い足りない様子だったが、いつの間にか舞台に上がっていたレグルスの声によってその考えは遮られた。


「皆様」


 会場の人々の視線は一気にレグルスへ集まる。


「本日は我がメイデル伯爵家の夜会へお集まりいただきありがとうございます。今夜は私の婚約者であるシルエナ嬢と、その姉君であるヴェローナ様にもお越しいただいております」


 そう言ってレグルスが私たちに手を向けると、会場の視線が一斉にこちらへ集まった。

 拍手の音に包まれる中、私はシルエナの背中を押した。


「ほら、シルエナ。時間よ」

「わ、私は何をしたらいいの!?」

「そうね、私が質問したら『はい』か『いいえ』で答えなさい」

「よくわからないけど……わかったわ」


 シルエナは僅かに表情を強張らせながらも、集まる視線と拍手に公爵令嬢らしく上品に礼をした。


「ヴェローナ様、そして我が愛しのシルエナ嬢、良ければ舞台へ上がって挨拶を……」

「いえ、結構よ」


 私の言葉に、会場は静まり返った。

 先程まで響いていた拍手が嘘のように止まる。


「も、申し訳ございません、ヴェローナ様。少しお気分が優れないようで——」

「二つだけ訂正をすると、今の私は至って元気よ。それともう一つ、シルエナはもうあなたの婚約者じゃないわ」

「……は、え? な、どういったご冗談でしょうか、ヴェローナ様。今もシルエナ嬢は私の婚約者で、それは公爵様も認めておられて……」


 私は大きめのため息をついた。

 わざとらしく、全員に聞こえるように。


「すでにアルヴェリオ公爵も、婚約の解消には同意しているわ」


 私の言葉に反応したのはレグルスだけではなく、メイデル伯爵も同じだった。


 しかし、レグルスに慌てる様子はない。思い当たる節なんて一つもないと言いたげに首を傾げた。


「一体先程からヴェローナ様は何をおっしゃているのか……」

「そうね、何から話せばいいのかしら。レグルスには隠し事が多くて困るわね」

「隠し事、ですか? そのようなものは私に……」


 その様子を見て、私は呆れて本日何度目かのため息を吐いた。

 これだけ大勢の貴族に囲まれているというのに、まだとぼければどうにかなると思っていることに辟易とする。


「レグルス。あなたは私が『精霊の加護』を持っていることを知らないようね?」

「いえ、もちろん存じております。ヴェローナ様が精霊の声を聞くことができるというお話は有名ですから」

「なら、どうして私に隠し事ができると思っているの?」

「……え?」


 出迎えの時も思ったが、レグルスは私の力を軽視しているように見える。

 レグルスとシルエナが婚約して二年もの間、私は二人の関係に一度も口を挟まなかった。そのおかげか、今更自分の隠し事が露見することはないと勘違いしているらしい。


「精霊は人間と違って、あなたに気を遣ってはくれないわ。誰と会って、何をしたのか。聞いてもいないのに、細かいことまで楽しそうに教えてくれるのよ」


 私が精霊の加護を持っていることは、この夜会にいる誰もが知っている。

 けれど、実際にどこまで精霊の声を聞くことができるのかまで知っている人間は少ない。


「まさか……」

「そう。そのまさかよ」


 私は隣に立つシルエナを見た。


「シルエナ。数日前、レグルスに急用ができたと言われて約束を断られたわね?」

「……はい」

「それでも贈り物だけは渡そうと会いに行った。そこで、別の女性と親しげに触れ合うレグルスを見つけた」

「はい」


 会場のざわめきが大きくなった。


 レグルスは周囲を見回した。

 先程まで自慢げに私たちを紹介していたときとは違い、額には薄っすらと汗が滲んでいる。


「お、お待ちください! 確かに女性とは一緒にいましたが、ヴェローナ様が想像されているような関係ではありません」

「私の想像? 言ったでしょう、真実は精霊が教えてくれるの」

「お言葉ですが、ヴェローナ様と精霊様との間で何か誤解が……誓って私は何も間違ったことをしておりません」

「不思議ね。精霊の加護を持った私を欺けると、あなたは本当に思っているのね」


 静まり返った会場に、私の声だけが響いた。

 レグルスはまだ自分の置かれている状況に気付いていない。


 そんなレグルスの代わりに、メイデル伯爵が低い声で口を挟んできた。


「しかしヴェローナ様。精霊から何をお聞きになったとして、それだけで息子を罪人のように扱うのはいかがなものかと」

「あら、偶然ね。私も同意見よ」

「……はい?」

「伯爵の言うとおり、精霊が教えてくれたからといって、その声を証拠にするつもりはないわ」

「ならば……」


 私は近くに控えていたアルヴェリオ家の従者へ目を向ける。

 すると、一冊の薄い書類を私のもとへ運んできた。


 受け取ったそれを、私はレグルスへ見せた。


「だから、すべて自分で調べたわ」

「それは……?」

「あなたが最近使ったお金についてよ」


 レグルスが書類に視線を向ける。


「宝石、ドレス、食事、それから宿代。随分と羽振りがいいのね」

「そ、それはっ、正真正銘すべて私のお金です。それを何に使おうと——」

「自分のお金なら、確かにそうね」


 私は一枚めくった。


「でも残念だけど、すべてメイデル伯爵家のお金よ。しかも帳簿には商談費や交際費として記録されている」

「そんなはずは……!」

「写しを取ってあるわ。必要なら一つずつ確認する?」


 紙を捲る音が、不自然なほど大きく響いた。

 レグルスは言葉を選ぶが、返す言葉がないのか何も答えない。


 その様子から周囲の貴族たちの視線は変わり始めていた。

 女性関係ならば笑い話で済ませる人間もいるだろう。

 けれど、盗んだ金で遊んでいたとなれば話は違う。


「それだけじゃないわ」

「……まだ、何かあるのですか?」

「ええ。むしろ、ここからが本題よ」


 伯爵にも先程までの余裕はもう見えなかった。


「三年前。あなた、屋敷で働いていた平民の女性との間に子供を作ったでしょう?」

「なっ……!」


 レグルスの声が会場に響いた。


 今までとは比べものにならないほど大きなざわめきが起こる。


「な、なんのことだ!」

「まぁ。焦ったからといって、私に対して随分な口の利き方ね」

「も、申し訳ございません……」


 私はもう一枚、書類を取り出した。

 少し離れた場所で、シルエナが呆れたようにレグルスを見ていた。


「本人に会ってきたわ。あなたから送られた手紙も残っていた。それから、妊娠が分かった直後に彼女へ渡された金銭についても調べた」

「で、でたらめです! そんなもの——」

「レグルス、あなたは嘘ばかりね」


 私は書類を軽く持ち上げた。


「手紙も、当時の記録もある。屋敷を辞めた数人の使用人からも話を聞いたのよ。あなたが否定するたびに一つずつ見せても構わないけれど、時間がかかるわよ」


 レグルスは歯を食いしばった。

 そして、その横ではメイデル伯爵の顔色まで悪くなっている。


 当然だ。

 ここからは息子だけの話ではない。


「彼女を屋敷から追い出す提案をしたのはあなたたちね」


 私が視線を向けると、伯爵夫人の肩が揺れた。


「メイデル伯爵家から支援金という名の口止め金を渡して、二度とレグルスへ近づかないこととこの件を誰にも話さないことを約束させた」

「それは……息子の将来を考えてのことで……」


 伯爵は消え入るような小さな声で、絞り出すように答えた。


「あら。あっさりと認めるのね」

「……っ」


 周囲のざわめきが一段と大きくなった。

 自分の失言に気付いたときには遅い。


「つまりメイデル伯爵夫妻は、息子が何をしていたのか知っていた。それをあえて隠したまま、アルヴェリオ公爵家へ縁談を申し込んだ、と」

「違います! 我々は決して欺こうとしたわけでは——」

「何が違うの?」


 このことを知っていたら、シルエナもこの縁談を引き受けなかったはずだ。


「アルヴェリオ公爵はこのことをご存じなの?」

「それは、正式な結婚の際に話そうとしており……」

「残念ね。その前にあなたたちの信用は完全に消えたわ」


 ざわめきは消えて、次は静寂が会場を包んだ。


「話し合いは終わりね。婚約解消の手続きはこちらで進めておくわ」


 そういって出口へと向かおうとした、そのときだった。

 レグルスが舞台から降りてきた。


「シルエナ嬢! 確かに私にも悪いところはありました。ですが、これから改めればいいでしょう! 私たちが結婚することは両家にとって——」

「まだそれを言うの?」


 この男はまだ何も学んでいないらしい。

 心の中でため息を吐きながら、シルエナの前に立つ。


「メイデル伯爵家との婚姻はアルヴェリオ公爵家にも利益がある。だからシルエナはあなたとの結婚を拒めない。そう言いたいのね?」

「そこまで言っておりません。私を悪者にするような言い方は——」

「あなたは直接言われたのよね、シルエナ」

「はい」

「それは……!」

「それから、自分はいずれアルヴェリオ公爵家に入り、次期公爵になるのだから、女の一人や二人と遊ぶくらいの甲斐性は必要だとも?」

「……はい」


 シルエナの淡々とした返事は、会場の空気が変えた。

 レグルスもそれに気付いたのだろう。


「いや、それは違う! 俺は——」

「それで誰があなたを次期公爵にすると言ったの?」

「……は?」

「ただシルエナと婚約しただけでしょう」


 レグルスが呆然と私を見てくる。

 私はずっと不思議だった。


 なぜこの男は、まだ何も手に入れていないのに、すでに公爵家の人間になったつもりでいるのだろう。


「アルヴェリオ公爵家に男子がいないことは事実です。俺がシルエナと結婚すれば——」

「だから、それを誰が決めたの?」

「……」

「少なくともお父様は、あなたを次期公爵にするなんて一度も仰っていないわ」


 レグルスの顔から血の気が引いていく。

 自分が当然手に入ると思っていたものは、最初から約束されてすらいない。


 どこで何を勘違いしていたのか。

 レグルスはようやく理解したらしい。


「さて」


 私は周囲を見渡した。

 会場にいる貴族たちはもう誰も笑っていなかった。


 メイデル家と親しくしていた者もいる。

 商売で付き合いのある家もいる。


 だからこそ、今の話をどう受け取るかは私が決めることではない。


「アルヴェリオ公爵家は、メイデル伯爵家との婚姻を白紙に戻します」

「ヴェローナ様!」

「それから、現在行っている取引についても一度すべて見直すことになったわ」


 伯爵の顔色が変わった。


「お、お待ちください。それでは公爵家にも大きな損失が出ますぞ!」

「精霊の声は真実しか語らないわ。残念ながら、あなたたちは必要ないと精霊が言っているの——私の仕事はそれを証明していくことよ」


 それ以上、伯爵は何も言わなかった。

 代わりに聞こえてきたのは、疑念が混ざった周囲の小さな話し声だった。


「では、帰りましょうか」

「……え?」


 シルエナが目を丸くした。


「もう用事は済んだでしょう」

「でも……」

「何?」


 シルエナは何か言いたそうに私を見た。

 けれど結局、何も言わなかった。


「……なんでもないわ」

「そう」


 会場を去ろうとする私たちの背後から、レグルスは呼び止めようと叫んでいた。

 しかし、シルエナが振り返ることは一度もなかった。




 その後。メイデル伯爵家が爵位を失う、とまではいかなかったが、あの夜会を境に彼らを取り巻く環境は大きく変わった。


 アルヴェリオ公爵家が取引の見直しを発表すると、他の貴族や商会もそれに続いた。

 別に取引をやめろと言ったわけではない。

 ただ、息子の不祥事を金で隠し、それを伏せたまま公爵家との縁談を進めていた家を以前と同じように信用できるか。


 そう考える人間が多かっただけの話だった。


 レグルスは嫡男の立場こそ失わなかったものの、社交界からはしばらく姿を消した。

 次期公爵になるという彼の夢については、言うまでもない。


 そしてシルエナは——。


「ヴェローナお姉様」


 ある日の午後、廊下を歩いていると後ろから呼び止められた。

 振り返れば、シルエナが立っていた。


「何?」

「……この前のことなんだけど」

「この前?」

「メイデル家の夜会よ」

「ああ」


 忘れていた。

 正確には、もう終わったこととして頭の隅へ追いやっていた。


「その……」


 シルエナは言いづらそうに視線を逸らした。


「ありがとう」


 ずいぶん小さな声だった。


「何が?」

「分かってるくせに」

「お礼を言うなら、何に対してなのかくらい説明してほしいわね」

「……やっぱりお姉様のこと嫌いよ」

「知っているわ」


 シルエナはむっとした顔で私を睨んだ。

 私たちの関係は何も変わっていない。


 相変わらずシルエナは私を嫌っているし、私だって妹に好かれるために性格を変えるつもりもなかった。


「もういい!」


 シルエナは怒ったように背を向ける。


「ああ、そうだわ。シルエナ」

「何よ」

「あの首飾り、どうしたの?」


 シルエナの足が止まった。


「あんなもの、さっさと売ったわ」

「そう」


 シルエナは今度こそ行ってしまった。

 もう余計な心配をする必要もないらしい。


 廊下に一人残され、私はその背中を見送る。


 窓の外では、あの日とは違って穏やかな陽射しが庭へ降り注いでいた。

 そして今日も、精霊たちは私の周りで好き勝手に喋っている。


「……余計なことを言わないで」


 思わずため息が漏れた。

 どうやら、メイデル伯爵家の一件以来、社交界では私について新しい噂が流れているらしい。


 ——アルヴェリオ公爵家には、決して隠し事をしてはいけない。なかでも嫌われ公女には気を付けろ。


 随分な言われようだ。

 けれど、間違ってはいない。


 私も嫌われることには慣れている。

 けれど、本心から私を信用してくれる者が困っているなら——


 少しくらいはその後始末に手を貸してあげてもいいだろう。

最後までお読みくださり、ありがとうございました!

同タイトルで連載版をはじめました。お読みいただけると嬉しいです。


何点でも構いません、評価やリアクションをいただけると次作への参考になります。

よろしくお願いします!

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