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五十二歳救命医、医学部六年に戻る ――救えなかった恋人を、今度こそ救うために  作者: 猫又ノ猫助
医学生編

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9/15

9話 同じ病棟へ

 翌朝、駅から 東都循環器医療センター へ向かう道を、俺と美月は並んで歩いていた。


 それぞれ肩に掛けたバッグの中には、折りたたんだ白衣が入っている。


 紙袋や教科書を抱えて通学していた頃とは違う、少しだけ重たい感触だった。


 病院へ向かう朝は、どうしても口数が減る。


「……ねえ」


 沈黙を破ったのは、美月だった。


「今日からだよね。東都循環器医療センター」


「ああ。医学部のポリクリ」


「やっぱり」


 美月は小さく息を吐いてから、続ける。


「私も、看護学科の実習で同じ病院って言われたんだ」


 一瞬、足が止まりそうになる。


 偶然にしては出来すぎている。


 だが、思い返してみればそんな事があったかと朧気ながら思い出してきた。


「病棟も一緒らしいよ」


 美月は少しだけ声を潜めた。


「循環器内科」


「……そうか」


 短く答えると、美月は俺の横顔をちらりと見る。


「なんか、不思議だね」


「何がだ」


「同じ大学にいても、授業は別でいつも会うのは食堂ばっかりだったのに」


 少し笑って、そう言う。


「いきなり同じ病院で、同じ病棟でしかも実習。ちょっと楽しみかも」


「そうだな」


 だが、俺にとっては“偶然”ではない。


「神崎くんは医学生だから……」


 美月は言葉を選ぶように、一拍置いた。


「基本は見学、だよね?」


「まあな。診察も処置も、原則は見るだけだ」


「研修医とか先生の後ろについて、メモ取る感じ?」


「そんなところだ」


「そっか」


 美月は自分のバッグを持ち直す。


「私も、看護学生だからバイタル測ったり、患者さんと話したりはするけど判断はできないし、指示も出せない」


「学生同士だからな」


「うん」


 少し安心したように、そう言った。


「でも同じ“学生”って言われるけど……やっぱり、医学生と看護学生って、立場は全然違うよね」


「……そんなもんか」


 東都循環器医療センターの大きな建物が、視界に入ってくる。


 ガラス張りの外壁に、朝日が反射していた。


 近づくにつれて、人の流れが増える。


 白衣姿の医師、スクラブ姿の看護師、患者とその家族。


 その中に、自分たちも混じっていく。


「じゃあ」


 美月が足を止める。


「私は更衣室、あっちだから」


「ああ」


「実習、終わったらまた食堂で会えるかな」


「流石に分からないな」


「忙しそうなら無理しなくていいよ」


「……分かった」


 短いやり取り。


 それだけで、それぞれの立場に戻る準備ができてしまう。


 同じ病院。


 同じ病棟。


 それでも、立つ場所は違う。


 ――だからこそ、見えてくるものがある。



 病棟のオリエンテーションは、驚くほど事務的だった。


 担当研修医の紹介。


 病棟のルール。


 学生としての立ち位置。


 質問は最小限、指示は簡潔。


「医学生は、基本的に見学が中心です」


 研修医が淡々と言う。


「患者さんへの説明や処置は、必ず指導医の許可を取ってください」


「勝手な判断、行動はしないように」


 それは当然のことだった。


 配られた患者リストに目を落とす。


 その中の一人に、視線が止まった。


 五十八歳。

 主訴:動悸、胸部不快感。

 強い胸痛、失神なし。

 救急搬送ではなく、外来からの入院。


 研修医がカルテを確認しながら説明する。


「今のところ、バイタルは安定しています」


「血圧、心拍数ともに許容範囲」


「心電図も致命的な異常はありません」


 ホワイトボードに簡単な所見を書き込む。


「急性冠症候群を示す所見もなし」


「今日は経過観察でいきます」


 周囲の医学生たちが、揃って頷いた。


 教科書的には、正しい判断だ。


 俺も、表情は変えなかった。


 だが、実際に患者の顔を見に行った瞬間、胸の奥がわずかにざわつく。


 息切れを訴えるわりに、呼吸が浅い。


 言葉を選ぶ時に、ほんの一瞬だけ間が空く。


 顔色は悪くないが、疲労感が抜けきっていない。


(……今は問題ない)


 それは分かる。


 今、この瞬間だけを切り取れば。


 だが――。


(帰していい患者じゃない)


 そう思った理由を、はっきりと言葉にできない。


 数値は揃っている。


 所見も決定打に欠ける。


 だからこそ、口を閉ざす。


 ここは、学生が“正解を言う”場面じゃない。


 実習の合間、廊下の向こうに見覚えのある姿を見つけた。


 看護学生用のユニフォーム。


 患者のベッド脇に腰を落とし、目線を合わせて話を聞いている。


 美月だった。


「……少しだけ、お話いいですか?」

「ええ、だいじょうぶですよ」

「今、胸のあたりはどうです?」

「うーん……痛いってほどじゃないんだけどね」


 患者は曖昧に笑いながら答える。

 

「朝よりは楽ですか?」

「そうだね。動かなければ、まあ……」


 言い終えるまでに、わずかな間が空いた。

 

「さっき、トイレに行かれたって聞きました」

「ええ。ちょっと歩いただけなんだけど」


 そこで、患者は一度言葉を切った。

 

「戻ってきたら、少し息が上がって」

「今は大丈夫ですか?」

「今は……大丈夫、かな」


 “かな”という言葉に、妙な引っかかりが残る。

 

「横になると、苦しくなったりはしませんか?」

「夜はね……」


 患者は少し視線を天井に向ける。

 

「仰向けだと、なんとなく息が浅くなる感じがして」

「じゃあ、横向きの方が楽ですか?」

「そうそう。その方が眠りやすい」

 

 美月はただ、相手の顔を見て、頷いている。

 

「今、しんどさは何点くらいです?」

「うーん……三、くらいかな」

「朝は?」

「朝は……二、くらいだった」

 

 ほんの一段階。

 だが、確かに上がっている。

 

「ありがとうございます」

「すぐ先生に伝えますね」

「うん、頼むよ」

 

 患者はそう言って、少しだけ安堵したように息を吐いた。

 

 そのやり取りを、俺は廊下の端から見ていた。

 

 数値は聞いていない。

 病名も出ていない。


 だが――


 息切れの出方。


 回復の遅さ。


 そして、“大丈夫”と言い切らない言い方。

 

(……今は問題ない)


 それは分かる。


 だが。

 

(帰していい患者じゃない)

 

 美月が立ち上がり、こちらに気づく。


 一瞬だけ、目が合った。

 

 俺は何も言わず、軽く頷いた。

 

 違和感を、違和感のまま流すには。


 嫌な予感が、強すぎた。

読んで頂きありがとうございます。


本日は13話(3/19 0:10)まで1時間おきに投稿していきますので、合わせて読んで頂けますと幸いです。

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