5話 日常の中で
いつもの昼休み
昼休みのチャイムが鳴ると、キャンパスは一斉に動き出した。
講義棟の出口が開くたびに学生たちが吐き出され、
売店へ向かう者、外のベンチに腰を下ろす者、
そして食堂へと足を向ける者に分かれていく。
毎日繰り返される光景だ。
代わり映えはしない。
それでも、この時間帯の空気は嫌いじゃなかった。
講義の緊張が一段落し、
午後の予定が始まるまでの、わずかな空白。
俺と美月も、その流れの中にいた。
「今日はどうする?」
横を歩きながら、美月がこちらを見上げる。
「カレー」
考えるより先に口が動いていた。
「迷いがなさすぎ」
美月が小さく笑う。
このやり取りも、もう何年目になるのだろう。
小学校の頃から、昼に一緒に飯を食うのは当たり前だった。
中学、高校と進学し、大学に入って学部が分かれても、それは変わらなかった。
変わらないことが、変わらないままでいてくれることが、どれほどありがたいことなのかを、今の俺は知っている。
食堂の入り口に近づくと、ざわめきが一段大きくなった。
トレーがぶつかる音。
学生同士が呼び合う声。
空腹を紛らわす雑談。
誰かが席を探し、誰かが席を立ち、誰かが笑いながら箸を動かしている。
よくある大学の日常そのものだった。
カウンターでカレーを受け取り、美月と並んで、いつもの席に向かう。
窓際の、少し奥まった場所。
人通りが多すぎず、それでいて外の光が入る席。
美月が向かいに座る。
「今日もカレーなんだね」
「安いし、バランスがいいからな」
「神崎くん、ほんと変わらないよね。食生活が高校生みたい」
「悪いか」
「悪いとは言ってないよ」
そう言って、美月はスプーンを取った。
その仕草を見て、俺は一瞬だけ視線を留める。
呼吸の間。
ほんのわずかな間隔。
意識しなければ、見逃してしまう程度の違和感。
気にするほどのものじゃない。
周囲の誰も気づかない。
美月自身も、もちろん気にしていない。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
本当は、なんでもある。
だが、ここで言えることは何もなかった。
医者としても。
一人の男としても。
今の俺は、何かを指摘できる立場にいない。
「午後、実習でしょ?」
「ああ」
「最近、忙しそうだね」
「まあな」
「無理しすぎないでよ」
その言葉が、胸に引っかかる。
無理をしているのは、どちらなのか。
そう問い返したい気持ちを、俺は言葉にしなかった。
今はまだ、何も起きていない。
そして、何も起きていない今だからこそ、踏み込む資格がない。
食堂の喧騒は、変わらず続いている。
誰かが笑い、誰かが冗談を言い、
誰かが席を立つ。
平穏な昼休み。
それが、どれほど脆いものかを、俺だけが知っていた。
(……まだだ)
今は、まだ。
この時間は、まだ壊れていない。
昼休みは、もう少しだけ続く。




