2話 いつもと違う距離
食堂のざわめきは、思っていたより早く日常に戻っていった。
さっきまで自分が混乱していたことが嘘のように、周囲の学生たちは談笑し、食事を続けている。
俺と美月も、その流れの中にいるはずだった。
「ほんとに大丈夫? さっきから、ちょっとぼーっとしてるよ」
美月はスプーンを置き、心配そうに俺を見る。
「大丈夫だ」
そう答えながら、視線を合わせることができなかった。
大丈夫なわけがない。
目の前に、死んだはずの人が生きている。
それだけで、平常心を保てという方が無理だった。
「無理してる顔だよ、それ」
美月は小さく息を吐いて、苦笑する。
「昨日も遅くまで勉強してたんでしょ?」
「……まあな」
「やっぱり」
納得したように頷くその仕草が、やけに懐かしい。
昔から、美月はこうだった。
俺より少しだけ周囲をよく見て、無理をしている人間に気づく。
――だからこそ、守れなかった。
胸の奥が、わずかに痛んだ。
「美月こそ、無理してないか?」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
「え?」
一瞬、驚いた顔をする。
「どうしたの、急に」
「いや……最近、忙しいだろ」
言いながら、自分でも分かっていた。
本当は、もっと言いたかった。
睡眠時間。
体調。
少しの息切れ。
全部、知っている未来につながる兆候だった。
だが――今は言えない。
「忙しいのは、まあね」
美月は肩をすくめて笑った。
「実習もあるし、レポートも多いし」
「……無理はするな」
それだけしか言えなかった。
「なにそれ。お父さんみたい」
くすっと笑われる。
軽い冗談。
それで済ませてくれる距離感が、ありがたくもあり、苦しくもあった。
食事を終え、トレーを返却口に運ぶ。
並んで歩くその距離が、近い。
近すぎて、離れたくなかった。
「ねえ」
食堂を出たところで、美月が声をかけてくる。
「今日、講義終わったあと空いてる?」
一瞬、足が止まった。
――この時期から、美月は無理をし始める。
それを、俺は知っている。
「少しだけなら」
そう答えると、美月はほっとしたように笑った。
「よかった。一緒に帰ろ」
◇
夕方、校門近くで待っていた美月と合流し校舎を出ると、夕日の光が眩しかった。
歩きながら、他愛もない話をする。
実習のこと。
友達のこと。
昔と変わらない会話。
だが、途中で。
「……ちょっと、待って」
美月が足を止め呼吸を繰り返す。
「どうした?」
「ううん、大丈夫」
そう言って笑ったが、ほんの一瞬、呼吸が浅くなったのを俺は見逃さなかった。
「……本当に大丈夫か」
「平気だってば」
少しだけ、語尾が早い。
指摘したい衝動を、必死で抑えた。
今はまだ、学生だ。
今はまだ、何もできない。
家の近くにある別れ道で立ち止まる。
手を振りながら、美月は一瞬だけ何か言いたそうに口を開き――それから何も言わずに笑った。
「じゃあ、また明日ね」
「ああ」
手を振って去っていく背中を、俺はしばらく見送っていた。
胸の奥で、静かに警鐘が鳴っている。
まだだ。
まだ、何も始まっていない。
それでも――。
(時間は、確実に進んでいる)
俺は、拳を軽く握りしめた。




