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五十二歳救命医、医学部六年に戻る ――救えなかった恋人を、今度こそ救うために  作者: 猫又ノ猫助
医学生編

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14話 願いごとの温度

 年が明けてから、時間の進み方が少し変わった。


 同じ一日でも、重さが違う。


 ページをめくるたびに、残りの枚数ではなく、残りの時間を数えている自分がいる。


 机の上には問題集とノート。


 医師国家試験まで、あと一か月。


 前世の知識があるため、余裕がないわけじゃない。


 でも、勉強しなくても受かるとはとても言えなかった。

 

 スマートフォンが震えた。

 

「今、勉強中?」

 

 美月からのメッセージだった。

 

「してる」

 

 短く返したつもりだったが、すぐに通話の着信が鳴る。

 

「ごめん、集中してた?」

「いや、大丈夫だ」

 

 向こうから聞こえるのは、紙をめくる音と、ペンの擦れる音。


 美月も、机に向かっているのが分かる。

 

「今日はどこ勉強してるの?」


「循環器」


「……また循環器」

 

 小さく笑う声。

 

「好きだよね、そこ」


「そう見えるか?」


「うん。話してるとき、ちょっとだけ声違う」

 

 自覚はなかった。


 でも、否定もしなかった。

 

「私は基礎看護。覚える量が多すぎて、もう頭が追いつかない」


「そういう時期だ」


「神崎くんは?」

 

 一瞬、返事が遅れた。

 

「……余裕ではないな」


「それ、ほんと?」

 

 探るような声。

 

「ほんとだよ」

 

 嘘ではない。


 でも、本当の全部でもない。

 

「終わったらさ」

 

 美月が、少し明るい声を出す。

 

「全部終わったら、少しは楽になるよね」

 

 合格。


 そうすれば一区切り。

 

「……そうだな」

 

 同意したようで、していない返事。

 

 美月は、それ以上突っ込まなかった。


 突っ込まなかったから、その先の言葉は宙に浮いたままペンを動かす音だけが夜に吸い込まれていった。



 数日後、美月からまた連絡が来た。


「初詣、行かない?」

 

 合格祈願、という言葉は使われなかった。


 でも、意味は分かる。

 

「人、多いぞ」


「この時期だもん。いつ行っても多いよ」


「寒いぞ」


「その位、知ってますー」

 

 短いやり取りのあと、結局行くことになった。

 

 神社は想像以上に混んでいた。


 吐く息が白く、手袋越しでも指先が冷える。

 

「すごい人」


「みんな、神頼みしたいことが有るんだろ」


 そう言いながら、もう長い間、神頼みというものをしていなかったことを思い出した。

 

 並びながら、美月が言う。

 

「医師国家試験と看護師国家試験。ほぼ同じ時期って、不思議だよね」


「……そうだな」

 

 似た時期に、同じ緊張感で望む試験。


 でも、その先はもう違う。


「こどもの時に出会って」

 

「同じ大学で学んで」


「同じ病院で実習して」


「ここまで一緒だったのにね」

 

 その言葉が、少しだけ胸に刺さる。

 

「ここまで、だな」

 

 冗談めかして言ったつもりだったが、美月は笑わなかった。

 

 順番が来て、2人で賽銭箱の前に立つ。

 

 美月は迷いなく手を合わせた。


 目を閉じて、しっかりと。

 

 俺は、その横で立ち尽くした。

 

 合格。


 それは神に願うものなのか。


 それとも、通過するものなのか。

 

 頭に浮かぶのは、合格した後の景色ばかりだった。


 だが、強いて神に祈るのであれば――再び彼女の横に立てたこの奇跡への感謝だろうか。

 

「……何お願いしたの?」

 

 帰り道、美月が聞いてきた。

 

「内緒だ」


「ずるい」


「そうか?」


「うん。私はちゃんとお願いしたのに」

 

 歩幅が、ほんの少しずれる。

 

「神崎くんってさ」

 

 前を向いたまま、美月が続ける。

 

「もう、先のこと考えてるでしょ」


「試験の先」

 

「……そんなことない」

 

 否定はできる。


 でも、否定しきれない。

 

「私ね」

 

 少し間を置いて、言う。

 

「合格したら、やっと自分のやりたかったことが出来るんだなって思ってる」


「看護師として、ちゃんと始まる、って」

 

「……ああ」

 

「でも」

 

 声が、少しだけ小さくなる。

 

「神崎くんは、合格しても全然安心しなさそう」

 

 返事ができなかった。

 

「同じ様に試験を受けるのに」


「同じ場所にいるのに」

 

 足を止める。

 

「なんか、ちょっとだけ距離を感じちゃう……なんてね」

 

 その言葉に、胸が詰まる。

 

 否定したい。


 でも、嘘になる。

 

 神社の鳥居を抜けると、冷たい風が吹いた。

 

 近いのに、遠い。


 分かっているのに、触れられない。

 

 美月は何も言わずに歩いている。

 

 俺も、何も言えずに黙って車道側の道を歩く。

 

 この距離を埋める言葉は、今の俺には見つからなかった。

 

 見つけてしまったら、何かが変わってしまう気がした。

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