13話 現場の声
昼の病棟は、3日前の夜の緊張が嘘だったみたいに落ち着いていた。
ナースステーションにはいつものざわめきが戻り、看護師さんたちは淡々と業務をこなしている。
患者さんの容態も、今のところ安定していると聞いた。
それだけで、少しだけ肩の力が抜けた。
私は看護学生として、指導看護師さんの後ろについて回っていた。
いつもと変わらない実習。
なのに、頭の中では先日見た光景が何度も再生されていた。
◇
「302号室の患者さんだけどさ」
ナースステーションで、別の看護師さんが声を落とした。
「3日前の夜、結構きつそうだったんでしょ?」
「そうそう」
指導看護師さんが頷く。
「呼吸も浅かったし、脈も速かった」
「早めに動いて正解だったわね」
私は、書類をまとめる手を止めそうになった。
でも、何も言わずに耳を傾ける。
「最初、昼は落ち着いてたんでしょう?」
「うん。だから一瞬、迷ったみたい」
「でも、たまたま実習できてた医学生が一言言ったって」
その言葉に、胸が小さく跳ねた。
「ああ、身長の高いあの子?」
「循環器のポリクリで来てるって言ってた子ね」
「学生なのに、よく見てるわよね」
指導看護師さんが、淡々と続ける。
「断定はしてなかったけど"このタイミングで見ておいた方がいいかも”って」
「言い方が上手ね。いくら研修医の先生でも言い方間違えてたら頑なになってたでしょうし」
「そうよね。それで結果として正しい処置が出来たんだから、最近の子は優秀よね」
その話を聞いて私は、思わず視線を落とした。
名前は出ていない。
でも、誰のことかは分かる。
「学生って、普通は萎縮するか、逆にバカみたいに教科書を神聖視して突っ走るかでしょ」
別の看護師さんが苦笑する。
「でも、あの子は違った」
「踏み込みすぎないのに、逃げてもない」
指導看護師さんが、短く息を吐いた。
「現場向きよね」
その一言が、胸の奥に静かに落ちた。
◇
私は、その場で何も言えなかった。
誇らしい気持ちがないわけじゃない。
でも、それ以上に、言葉にできない違和感があった。
神崎くんに何で分かったのかもう一回聞いていたとしても、きっと「たまたま」と言う。
でも。
“たまたま”で片づけられる視点じゃないことは、私でも分かっていた。
◇
実習の合間、廊下で神崎くんを見かけた。
壁にもたれて、資料を読んでいる。
3日前のことが嘘みたいに、いつも通りの横顔だった。
「……神崎くん」
声をかけると、顔を上げる。
「どうした?」
「患者さん、今は落ち着いてるって」
「ああ」
それだけ。
特別な感情は見えない。
私は、一瞬だけ迷った。
看護師さんたちの会話を、そのまま伝えていいのか。
「……ねえ」
「ん?」
「この前のこと、さ」
そこまで言って、言葉を飲み込む。
「……いや、なんでもない」
神崎くんは、不思議そうに首を傾げた。
「そうか」
それ以上、踏み込まなかった。
私はその反応に、少しだけ安心して、
同時に、少しだけ距離を感じた。
◇
昼休み、病院の食堂で一人座っていた。
カレーの匂いが漂ってくる。
でも、食欲はあまりなかった。
昨夜の出来事。
今朝の看護師さんたちの会話。
そして、神崎くんのいつも通りの態度。
それらが、頭の中でうまく噛み合わない。
幼馴染。
昔から、隣にいるのが当たり前だった人。
でも今は同じ病院にいても、同じ景色を見ているわけじゃない。
私は、少しだけ寂しくなった。
あの人はもう私の知っている場所から、何歩も先を見ているんじゃないか。
◇
午後の実習が始まる前、指導看護師さんが私に声をかけた。
「白石さん」
「はい」
「3日前の夜、落ち着いて対応できてたわね」
「ありがとうございます」
「これからも、ああいう“変化”に気づけるといいわね」
それだけ言って、背中を向ける。
褒め言葉なのか、期待なのか。
どちらにしても、軽くはなかった。
私は深く息を吸った。
神崎くんだけが前に進んでいるわけじゃない。
私も、立ち止まってはいられない。
でも。
同じ速度で進めるかどうかは、分からない。
それでもあの人の背中を、ただ見送るつもりはなかった。
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明日も20:10に続きを投稿予定になります。
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