表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
五十二歳救命医、医学部六年に戻る ――救えなかった恋人を、今度こそ救うために  作者: 猫又ノ猫助
医学生編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/15

1話 最愛の人との思わぬ再会

 瓦礫の匂いと、血の匂いが混ざっていた。


 耳鳴りがひどい。


 怒鳴り声も、叫び声も、もう遠い。


 視界の端で、何かが崩れ落ちるのが見えた。


 身体が、言うことをきかない。


(……ここまで、か)


 立ち上がろうとして、失敗した。


 地面の冷たさだけが、やけにはっきり伝わってくる。


 患者の顔が浮かぶ。


 助けた命。


 助けられなかった命。


 そして――。


(……会いに行くよ)


 誰に向けた言葉だったのか、自分でも分からない。


 胸の奥が、ゆっくりと暗くなっていく。


 次の瞬間、すべての音が途切れた。



 鼻をくすぐる、匂い。


 油の匂い。


 炊き立ての米の匂い。


 どこか懐かしい、温い空気。


(……?)


 意識が、浮上する。


 重いまぶたを開けると、白い天井ではなかった。


 蛍光灯。


 ざわめき。


 金属製のトレーが擦れる音。


 ――食堂だ。


 俺――神崎恒一は、ゆっくりと身体を起こした。


 目の前には、カレー。


 スプーン。


 安っぽいプラスチックのトレー。


 理解が追いつかない。


(……なぜ、ここに)


 周囲を見回す。


 若い学生たち。


 自身が身に着けた白衣ではない服装。


 聞き慣れたはずなのに、ひどく遠い会話。


 胸の奥が、ざわつく。


「……神崎くん?」


 背後から、声がした。


 一瞬、呼吸が止まった。


 その声を、俺は知っている。


 何度も呼ばれた。


 何度も、返事をした。


 そして――もう二度と、聞けないはずだった。


 ゆっくりと、振り返る。


 そこに立っていたのは、白石美月だった。


 黒髪のセミロング。


 少し色の薄い瞳。


 困ったように、優しく笑う表情。


 頭の中が、真っ白になる。


 あり得ない。


 いるはずがない。


 三十年前。


 心臓の病気で。


 手術台の上で――。


「どうしたの? 顔色、すごく悪いよ」


 心配そうに覗き込んでくる、その距離が近すぎて、息が詰まった。


 幻覚か。


 夢か。


 だが、匂いも、音も、温度も、あまりに現実だった。


「……み、つき」


 声が、震えた。


 今わの際に見た夢でも、幻でも何でもいい。


 美月がそこにいるだけで、様々な感情が濁流の様にこみ上げてきた。


「え? なに、急に」


 美月はきょとんとした顔で笑う。


 ――生きている。


 確かに、ここにいる。


 胸の奥が、焼けるように痛んだ。


 俺は、知っている。


 この先に待つ未来を。


 彼女が、いつ、どうして死ぬのかを。


「……大丈夫?」


 再び、名前を呼ばれる。


 俺は視線を逸らし、無理やり言葉を絞り出した。


「……ちょっと、考え事をしてただけだ」


「また? 昨日も遅くまで勉強してたって言ってたでしょ」


 何でもない会話。


 何でもない昼休み。


 それが、たまらなく怖かった。


 美月は俺の向かいに座り、トレーを置く。


「相変わらずカレーなんだね」


「……安いからな」


「医学部六年生なのに、食生活が高校生」


 くすっと笑う。


 ――と、そこで。


 美月は一瞬だけ、俺の顔をまじまじと見た。


 笑顔のままなのに、どこか探るような視線。


「……ねえ、神崎くん」


「ん?」


「なんか、今日ちょっと変じゃない?」


 心臓が、跳ねた。


「……変?」


「うん」


 少し言いづらそうに視線を逸らし、それから曖昧に笑う。


「いつもと雰囲気が違うっていうか……うまく言えないけど」


 言葉を探すように、指先でトレーの縁をなぞる。


「ま、いいや。気のせいかも」


 それ以上、踏み込んではこなかった。


 美月の笑顔を見た瞬間、確信した。


(……戻ってきた)


 理由は分からない。


 なぜ、今なのかも。


 だが、一つだけはっきりしている。


 この時間は、もう二度と戻らない。


 俺は、拳を握りしめた。


 医者としてではない。


 一人の男として。


「……今度こそ」


 小さく、誰にも聞こえない声で呟く。


「――失わない」


 目の前で、確かに生きている、この人を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ