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境界線 -r15-  作者: あい
境界線

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19/24

十六日目(午後):情熱の残滓、帰路の独白

夫の帰宅が迫る、最後の一日。日常へ戻るための車内で、彼は思いがけない提案をします。「……あいちゃんの家に、行ってもいいかな?」


チェックアウトの時間が刻一刻と迫り、私たちは名残惜しさを剥ぎ取るようにして、朝風呂上がりのバスローブを脱いだ。


お泊りになるとは思っていなかった。不慣れな私たちは、昨日着てきた服を再び身に纏うしかない。


日常に戻るための「皮」を被り直す。鏡の前で、私は不意に訪れた寂しさに指を震わせた。下着の端に残る微かな「共犯の証」。それは、私たちが境界線を完全に踏み越えた何よりの証拠だった。


「……あいちゃん。……できることなら、ずっとこのまま、僕の隣にいてほしいよ」


たかしさんは、日常に戻ろうとする私の姿を慈しむように見つめ、熱っぽい声を投げかけた。その執着に近いほどの熱い視線に、私の胸が熱くなる。


私たちは再び「斎藤さん」と「高石さん」の仮面を被り、ホテルのフロントを通り抜けた。


帰路の車内、名残の香り


彼の運転する車が、ゆっくりと山を下り始める。

密閉された車内には、昨日から今朝にかけて私たちが分かち合った熱い記憶の残滓が、かすかに漂っていた。


窓の外を流れる軽井沢の景色。けれど、時計の針は容赦なく現実を指し示していた。

午後三時。夫が帰ってくるまで、あと何時間あるだろう。


信号待ちのたびに、彼の手は私の膝の上を彷徨い、言葉の愛撫を繰り返す。


「……ねぇ、あいちゃん。ずっと言いたかったんだ」


ハンドルを握る彼の手が微かに震えていた。


「……あいちゃんの肌、本当に綺麗だね。触れるたびに、そのすべてが愛おしくて、頭がどうにかなりそうだった。あんなに美しい情景、今まで見たことがなかったよ」


彼の率直で熱烈な称賛。その言葉を聞くたび、私の身体は温泉に浸かった時よりも熱く火照った。


「……っ、そんなふうに言ってもらえるなんて……はじめて」


今の私にとって、この言葉がどれほどの救いか、彼は知らないだろう。


夫とは、もう長いこと心も身体も触れ合うことがない、空虚な日々を過ごしてきた。同じ屋根の下にいても、私は一人の女としての実感を失い、孤独な夜を幾度も越えてきた。

無機質な文字列や、独りよがりの慰めで誤魔化してきた私の乾いた魂を、彼は真っ向から、その熱い情熱で潤し尽くしてくれたのだ。


やがて車は、見慣れた住宅街へと入り込んだ。日常を象徴する、あのフェンスが視界に入る。


「……それじゃあ、また後で」


「ええ。……また」


車を降り、お互いの家の玄関へ向かう。その足取りは、どこか重かった。


日常への帰還


「……ただいま」


鍵を開け、冷え切った家の中に足を踏み入れる。いそいそとペットの世話をしたり、溜まっていた家事を片付けたり。日常という名の雑務が、私の指先を機械的に動かす。


けれど、私の心はまだ、隣の家のガレージにある彼の気配を追っていた。


ふと時計を見る。夕方の五時過ぎ。

夫はまだ帰ってこない。仕事が長引くと聞いていた。

たかしさんの奥さんも、今日は遅くなるはずだ。


私は一度深く息を吐き、リビングのソファに腰を下ろした。スマートフォンの画面を指先で弾く。


『……用事、今終わりました。たかしさんも、少しお時間ありますか?』


『今日の夜、もしよろしければ……家で一緒に夕食を食べませんか? 夫、遅くなるので』


送信ボタンを押す瞬間、心臓が大きく跳ねた。

家という日常の聖域に、彼を招き入れる。それは、旅先での非日常とはまた違う、決定的な一歩だった。


既読はすぐに付いた。


『……いいの? ぜひ、お邪魔したいな』


私たちはそれぞれの日常を演じながら、再び境界線の際で待ち合わせる。

下着の中に残る彼の熱い名残と、これから始まる「日常の中の蜜月」への予感。


夫が帰るまでの、あと数時間。

それは、昨日までの「ただの隣人」には、もう二度と戻れないことを意味していた。

私たちの物語は、このフェンスの内側で、より深く、より密やかに続いていく。


聖域だった私の家へ、彼を導く。それは、日常と非日常を完全に混濁させる、最も危険で甘い一歩でした。


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