変わった未来、続く戦い
1941年12月25日。
歴史では、この日は真珠湾攻撃から2週間以上が経ち、日本軍は香港を占領していたはずだった。
だが、この世界では違う。
「日米高官級会談、無事に終了しました」
外務大臣の東郷が報告する。
「米国は、我が国の段階的撤退案を受け入れました。その代わり、石油禁輸の段階的解除に合意しました」
閣議室に安堵の空気が流れる。
「具体的には?」
「まず、中国南部から1ヶ月以内に2個師団を撤退させます。それを確認した後、米国は民生用石油の輸出を再開します。その後、半年ごとに撤退を進め、3年以内に中国本土からの完全撤退を完了します」
「満州は?」
「満州国は、国際連盟の監視下に置かれます。日本、中国、ソ連の三国が共同で管理する形です。完全な独立国としては認められませんが、日本の権益もある程度は保護されます」
俺は深く息を吐いた。
理想的な結果ではない。日本は大陸での軍事的支配を失う。だが、戦争は避けられた。
「仏印は?」
「即座に全面撤退します。これは既に決定事項です」
「三国同盟は?」
「軍事条項を凍結します。ドイツ、イタリアとの同盟は形式上維持しますが、米国、ソ連を敵とする軍事行動には参加しないと宣言します」
つまり、事実上の同盟破棄だ。
「ドイツの反応は?」
「激怒しています。ヒトラー総統は、日本を『裏切り者』と非難しています」
「構わない」
俺は冷たく言った。
「ドイツは独ソ戦で敗れる。我々がそこに巻き込まれる必要はない」
実際、歴史を知っている俺には分かっている。ドイツは1943年にスターリングラードで大敗し、1945年に降伏する。そこに日本が関わる必要はない。
「英国との関係は?」
「改善しています。チャーチル首相は、日本の『平和的解決』を評価すると表明しました。ビルマルート問題についても、協議が進んでいます」
「ソ連は?」
「スターリンは非常に満足しています。日本が北進しないことが完璧に確定したので、極東の兵力を全て西部戦線に回せますからね。」
全てが、少しずつ動いている。
「国内の反応は?」
東郷は複雑な表情を浮かべた。
「賛否両論です。『戦争を避けた』と評価する声もありますが、『米国に屈した』と批判する声も根強い」
「そうだろうな」
俺は立ち上がり、窓の外を見た。
「だが、これでいい。少なくとも、日本は生き残った」
会議が終わった後、俺は一人、執務室に残った。
戦争は避けた。だが、問題は山積みだ。
軍部の改革。国内には、まだ強硬派が多い。彼らは「東條の裏切り」と考えている。いつクーデターが起きてもおかしくない。
経済の立て直し。ABCD包囲網で疲弊した経済を回復させなければならない。
そして、民主化。軍国主義体制を終わらせ、真の議会制民主主義を確立しなければならない。
「やることは山ほどあるな」
その時、ノックの音がした。
「入れ」
入ってきたのは、近衛文麿だった。
「東條君。少し話せるかね」
「近衛さん。どうぞ」
近衛は座り、深いため息をついた。
「君は本当に、日本を救ったよ」
「まだ終わっていません」
「いや、終わったんだ」近衛は静かに言った。「少なくとも、最悪の未来は避けられた。それは君の功績だ」
「……近衛さん」
「私は首相として、この問題を解決できなかった。だが、君はやった。どうやって、そこまで先を見通せたんだい?」
俺は答えられなかった。転生したとは言えない。未来から来たとも言えない。
「ただ……歴史から学んだだけです。賢者は歴史から学ぶと言うでしょう。」
「歴史か」
近衛は微笑んだ。
「確かに、歴史は繰り返す。同じ過ちを繰り返さないことが、我々の使命だね」
近衛が去った後、俺は日記を開いた。
東條英機としての日記ではなく、田中徹としての記録だ。誰にも見せないメモ。
『1941年12月25日。太平洋戦争を回避した。これで、310万人の命が救われる。広島も長崎も無事だ。だが、これで終わりではない。次は軍部の解体。民主化。そして、アジアとの真の和解だ。東條英機として、俺に残された時間がどれだけあるか分からない。だが、できる限りのことはする』
1942年1月。
俺は軍部改革に着手した。
「陸軍省と参謀本部の分離。文民統制の強化。これを実施する」
軍部は猛反発した。だが、俺は押し切った。
「軍部が政治を動かす時代は終わった。これからは、政治が軍を統制する」
同時に、治安維持法の緩和も進めた。
「思想犯の釈放。言論の自由の拡大。これも実施する」
内務省が反対したが、俺は聞かなかった。
「民主主義国家を目指すなら、言論の自由は不可欠だ」
1943年。
中国からの撤退は順調に進んだ。約束通り、3年で完全撤退を完了した。
満州国は国際監視下に置かれ、日本の軍事的支配は終わった。だが、経済的な繋がりは維持された。
「これでいい」俺は思った。「軍事支配ではなく、経済協力。それが本来あるべき姿だ」
1944年。
ヨーロッパではノルマンディー上陸作戦が成功し、ドイツは敗色濃厚になった。日本は中立を保ち、戦火に巻き込まれずに済んだ。
「総理、そろそろ退陣のお考えは?」
側近が尋ねた。
「ああ」俺は頷いた。「次の選挙で、後継を決める。もう、俺の役割は終わった」
1945年8月15日。
歴史では、この日に玉音放送が流れ、日本が敗戦を受け入れたはずだった。
だが、この世界では違う。
ラジオから流れるのは、新しい憲法の公布を告げる声だった。
「本日、大日本帝国憲法の改正が公布されました。新憲法では、主権在民、基本的人権の尊重、平和主義が明記されています」
俺はラジオを聞きながら、窓の外を見た。
東京の街。この街は焼けなかった。人々が笑顔で歩いている。子供たちが遊んでいる。
「守れたな……」
俺は呟いた。
東條英機としての俺の任期は、まもなく終わる。次の総選挙で、俺は政界を引退する予定だ。
だが、後悔はない。
最悪の未来を避けられた。日本は生き残った。そして、民主化への道を歩み始めた。
「田中徹として転生して、東條英機として生きた。不思議な人生だったな」
夕日が、東京の街を照らしていた。
────
エピローグ
1948年。
東條英機は政界を引退した。彼は「戦争を止めた総理」として歴史に記録された。
日本は新憲法の下、議会制民主主義国家として再出発した。軍部は解体され、文民統制が確立された。
中国との関係は、完全ではないが改善した。しかし、中国の共産化を防ぐことは叶わなかった。満州は国際管理下で安定し、日中の経済交流が再開された。
米国との関係も、徐々に正常化した。冷戦が始まる中、日本は「アジアの民主主義国家」として、西側陣営の一員となった。
そして——。
310万人は死ななかった。広島も長崎も、原爆に焼かれることはなかった。東京大空襲も、沖縄戦も起きなかった。
歴史は変わった。
1950年、東條英機は静かに息を引き取った。享年66歳。
彼の葬儀には、多くの人々が参列した。日本人だけでなく、米国、英国、仏国、中国、ソ連からも弔問客が訪れた。
墓碑には、こう刻まれた。
「平和のために戦った軍人」
田中徹の魂を持つ東條英機は、最期まで日本の未来を信じていた。
そして、彼が変えた歴史は、新しい時代へと続いていく——。
本作品はあくまで完全なフィクションです。
実際の歴史では、東條英機は1941年12月8日に対米英開戦を決断し、日本は壊滅的な敗戦を迎えました。また、米国の政策も単純な陰謀ではなく、複雑な国際情勢の産物でした。
この物語は「もしも」の世界です。
歴史に学び、過去の過ちを繰り返さないために、私たちは何ができるかを考えるきっかけになれば幸いです。
戦争の犠牲になった全ての方々へ
ご冥福をお祈りします。




