軍部との激闘
首相官邸。
総理大臣に就任して3日。俺はまだこの状況に慣れていなかった。朝起きて鏡を見るたびに、東條英機の顔が映る。これが現実だと、何度も自分に言い聞かせる。
「総理、参謀本部の将校たちがお見えです」
秘書官が告げる。来たか。
応接室に入ると、10名ほどの将校が険しい顔で待っていた。
「東條総理」
その中の一人、参謀次長の塚田攻が口を開いた。
「御前会議での貴殿の発言、我々は納得できません」
「何が不満だ」俺は冷静に応じた。
「米国に譲歩するなど、陸軍の威信に関わります!我々は中国で血を流してきたのです。それを無駄にするのですか!」
「無駄?」
俺は目を細めた。
「では聞くが、中国での戦争は何のためだ?」
「それは——満州の権益を守るため——」
「権益を守って、日本本土が焼け野原になったら意味がないだろう」
俺は立ち上がり、地図を広げた。
「いいか、よく聞け。米国と開戦すれば、こうなる」
俺は指で航路を示した。
「まず、南方作戦。蘭印、マレー、フィリピンを占領する。初期は成功するだろう。だが、半年後にミッドウェーで空母4隻近くを失うだろう。1年後にはガダルカナルで消耗戦に陥る。2年後、マリアナ諸島を失い、爆撃機の爆撃圏内に入る」
将校たちの顔色が変わる。
「3年後、フィリピンを失う。そして4年後、沖縄が陥落。その後、本土決戦だ」
「本土決戦なら、一億総玉砕で——」
「玉砕?」
俺は怒鳴った。
「自爆特攻で戦車と戦うのか!?竹槍で銃火器を持つ米兵を殺せるのか?女子供まで戦場に駆り出して、それで勝てると思っているのか!?」
室内が静まり返った。
「いいか」
俺は声を落とした。
「俺は陸軍を愛している。だからこそ言う。無謀な戦争で陸軍を、そして愛すべき我が国日本を滅ぼすわけにはいかない」
俺は資料を取り出した。東條の記憶から引き出した、陸軍の内部資料だ。
「これを見ろ。陸軍自身が作成した対米戦争のシミュレーションだ。勝算は?」
資料には「長期戦になれば不利」「資源確保が最大の課題」「米国の物量に対抗不可能」と書かれていた。
「陸軍自身が分かっているんだ。勝てないと」
塚田が唇を噛んだ。
「ならば、どうしろと?」
「外交だ」俺は地図の別の場所を指した。
「まず、中国での駐留軍を部分的に削減する。華北から2個師団を撤退させる」
「何だと!?」
「待て、最後まで聞け。撤退は『誠意の証』だ。米国に交渉の意思を示す。同時に、仏印からも1個師団を引く。これで米国の主張する『日本の南進政策の脅威』を和らげる」
「それで米国が石油を——」
「売るかは分からない。だが、売らない理由を一つ減らせる」
俺は将校たちを見回した。
「いいか、外交は戦争だ。言葉の戦争だ。我々は今、経済戦争で負けかけている。だが、外交戦争ならまだ勝ち目はある」
「具体的には?」
「英国だ」
俺は別の資料を示した。
「チャーチルは対独戦で手一杯。ドイツのUボートに商船を沈められ、本土は爆撃されている。そんな状態で、太平洋でも日本と戦争したいと思うか?」
将校たちが顔を見合わせる。
「英国との個別交渉を開始する。ビルマルートの問題、香港の扱い。インドへの扱い。譲歩できる部分は譲歩する。英国が日米の仲介に入れば、局面は変わる」
「ソ連は?」
「スターリンは独ソ戦で疲弊している。モスクワ攻防戦が始まろうとしている今、極東で日本と戦う余裕はない。日ソ中立条約を強化し、スターリンに『日本は北進しない』と保証する。その代わり、米国への牽制を期待する」
俺は深呼吸した。
「そして中国だ」
「中国!?あの蒋介石と交渉しろと!?」
「敵の敵は味方だ」俺は冷静に言った。
「蒋介石は米国の援助を受けている。だが、彼も分かっているはずだ。米国の真の目的は中国市場の支配だと」
「しかし——」
「秘密裏に接触する。『段階的撤退』を条件に、停戦協定を結ぶ。そうすれば、米国は対日強硬策の根拠を失う」
俺の提案に、将校たちは言葉を失った。
「東條総理……貴殿は本気で、そこまでやるつもりか」
「本気だ」
俺は断言した。
「やらなければ、日本は滅ぶ」
長い沈黙の後、塚田が頭を下げた。
「……分かりました。陸軍は総理に従います。ただし、期限は守っていただきたい。3ヶ月です」
「分かっている」
将校たちが退出した後、俺は窓の外を見た。
東京の街並み。この街が、あと少しで焼夷弾に焼かれるはずだった。それを防ぐ。絶対に。
「秘書官」
「はい」
「外務省に連絡だ。駐米大使の野村に、緊急訓令を送る。それから、駐英大使にも。急げ」
「了解しました」
俺は机に向かい、文書を書き始めた。
対米交渉案、対英交渉案、対ソ交渉案。そして——対中秘密交渉案。
全てを同時並行で進める。どれか一つでも成功すれば、道は開ける。
「時間がない。あと2ヶ月ちょっとだ」
俺はペンを走らせ続けた。
外では、秋の風が吹いていた。




