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前回の診察から一ヶ月。今日は診察の日なのに時間になってもルナが来ないと、カグラが心配そうにトカゲに相談していた。


「昨日の仕事には行ってたみたいなんだけど。今日は診察のために休みだっていうし。どうしたんだろう?」


真面目でいつも10分前には来るルナが30分過ぎても来ない。何かあったなら連絡が来るだろうし、事故にでもあったのかと心配しているとキリが診察室にやってきた。


「ルナが来ないんだって?」

「うん。いつもなら10分前には来るのに。この間の診察の時は何も変わった様子は無かったのになぁ。キリは?会った時に何か言ってなかった?」

「へ?俺はしばらくルナには会ってないぜ?」


おや?とカグラとトカゲが顔を見合わす。するとカグラのスマホが鳴った。


「ルナ君からだ!」


カグラが慌ててメッセージを確認する。


「頭痛で寝てて今起きたんだって。診察は改めてだね。……あれ?」


メッセージを読み進めるカグラが顔を上げてキリのほうを見てきた。


「キリにお菓子をあげようと用意してたみたい」

「なら、家に行ってくるかな。様子見がてら」

「そうだね。お願い」


一人暮らしの身で体調不良となれば心配にもなる。ちょうど時間の空いていたキリが様子を見にいくことになった。




ルナの家まで行くと意外にも家主は元気そうな姿でキリを出迎えた。

せっかくだからお茶でも飲んで行ってはどうかと、家にあがるようにキリを誘う。


「昨日遅くまで仕事をしてたから寝不足だったのかな。昼寝したらすっかり元気になってしまって」

「大丈夫かよ。俺も仕事人間だから人のこと言えねぇけど、あんま働き過ぎんなよ」

「はは。そうだね。カグラさんにもまた怒られちゃうな」


朗らかに笑う姿にキリはホッとする。


「そうそう。キリに渡そうとしてたお菓子。店の売れ残りで悪いんだけど、ウサギのクッキーがあったから」


そう言って立ち上がったルナに「ウサギならなんでも俺ってわけじゃないぞ」とキリが文句を言う。すると小さな袋を手にしたルナの動きが止まったので、キリは「え?怒った?」と慌てた。


「……キリ。もうウタハさんとキスはした?」


突然の質問にキリは頬を染めて狼狽える。

その反応にルナの表情が暗いものに変わった。


「なら、セックスは?もうした?」


直球な言葉に更に真っ赤になったキリだが、いつものルナとまるで違う雰囲気に違和感を感じる。そこであることに気づいた。


『この目……あの時のヨルと同じ……』


深い闇のような瞳。キリを殺そうとした時のヨルと同じ目のルナがそこにいる。

警戒して構えようとしたキリはあることに気づいた。


『糸が出せない?』


覚えのある感覚だった。売人に渡された薬を飲んだ時の、あの感覚。なぜ今?と疑問に囚われたせいで一瞬反応が遅れた。


「ルナ!」


ルナが糸でキリの動きを封じ、床に手足を縫い付ける。見下ろす瞳はやはり暗く、いつもの温かさが微塵もなかった。


「なぜ……私じゃなかったんだ……こんなに……君を愛してるのに……」


ルナの手がキリの服にかかる。その意味を理解した時、キリが感じたのは恐怖ではなく悲しみだった。


『……なんで……なんでルナが……』


糸が仕掛けられていることは明白だった。

あれだけキリのことを想っているのだ。触れたい。想いを叶えたいと願うのは自然なことだろう。だが、ルナはキリの気持ちを一番に考えた。愛している人に幸せになって欲しいと願った。その想いが、優しさが、今目の前で全て踏み躙られている。

キリの目からは自然と涙が溢れた。


「………嫌だ」


そう呟いたルナの動きが止まり、ポタリと雫が一粒キリの頬に落ちた。


「……こんなことしたくない……キリに幸せになってほしい……ウタハさんと笑いあう姿を見ていたい……」


暗い瞳から次から次へと涙が溢れてくる。それはルナの本当の願いだった。


「ルナ……」


愛しい人の悲しむ声に、ルナの心が一瞬だけ糸の支配から逃れる。その間にルナはキリを拘束する糸を解いてキッチンへと走った。


「……こんなことするくらいなら……」


1本の包丁を取り出し自分へ向けるルナ。止めようとするキリの手は届かず、刃がルナの体へ振り下ろされた。




その少し前。カグラはフチの運転でルナの家へと向かっていた。


「フチ君、わざわざごめんね。力を使いすぎた時のためにルナ君に薬を用意してたのを忘れてたなんて。キリに預ければ良かったのに」

「カグラさんでもそんなウッカリあるんですね。まあ最近普段の仕事に加えてヨルさんのことまであって忙しかったんですから、たまにはサボっちゃいましょう」


明るくサボリを肯定するフチにカグラはふふっと笑う。そんな会話をしているうちにルナの住むマンションへと着いた。


「え〜っと、たしか5階の……」


部屋番号を確認しながら進むカグラの足がふいに止まる。どうしたのかとフチが声をかけようとすると、今度は急に駆け出した。


「カグラさん⁉︎」

「糸の仕掛けだ!ここ……ルナ君の部屋から⁉︎」

「……下がってください!」


フチが鍵のかかった扉を力任せにこじ開ける。急いで家の中へ入っていく2人が見たのは、自分へ刃を向けるルナだった。


「ルナく……」

「とうっ!」


驚きで糸を出すことすら忘れたカグラの隣を、風のようにフチが駆け抜ける。

間一髪でルナの持つ包丁を叩き落とすと動けないように拘束した。


「……フチ君!そのまま!すぐ糸を解除するよ!」


パチン!とヨルの時とは違い1度光が弾けただけでルナは正気を取り戻した。

フチが拘束を解きキリ達が近寄ろうとした時、ルナは絶叫のような叫び声をあげた。


「来るな!」


自分の体を強く抱きしめ、誰にも触られたくないとルナは小さく体を縮める。


「私は……自分が……こんなに汚い人間だなんて……嫌だ……見ないで………消えてしまいたい……」


欲望に沈んだ自分を知って、ルナは絶望に涙を流して震えている。その痛々しい姿にキリは駆け寄って消えそうな体を抱きしめた。


「違う!あれは本当のルナじゃない!」


絶望から救い出すように、抱きしめる腕に力を込める。


「好きな人に触れたいと思うのは当たり前だ。でも、ルナは何よりも俺のことを考えてくれた。ウタハとの幸せを願ってくれた。今だって自分を傷つけてでも俺を守ろうとしてくれた………それが本当のルナだ」


ハラハラと、先ほどまでとは違う涙がルナの目から流れる。キリはその傷ついた心を優しく抱きしめ続けた。




しばらくしてルナが落ち着くと、キリは怒りに燃えた瞳で決意を語った。


「俺、今までは仕事に自分の気持ちを入れたらいけないと思ってきたんだ。でも今回は無理だ。ルナの気持ちを踏み躙られて、心の中をズタズタに引き裂かれて……こんなことされて許せるはずない」


普段の冷静に仕事をこなすキリとは違う。その姿にフチも同じ思いで応えた。


「キリさん!僕も同じです!こんな可憐な人を苦しめるなんて許せません!」

「そうだよな……許せないよな……可憐?」


聞き逃せないワードにキリの怒りが一瞬消える。すると、キリの隣で座り込むルナの前にフチが膝をついた。


「ルナさんというんですね。名前まで可愛らしい。僕はフチです。安心してください。あなたを苦しめた極悪人は僕が必ず捕まえます!」


見覚えのある表情でフチがルナの手を握る。

突然の行動にルナは反応できていない。


「近くで見るとますます愛らしい。一目見ただけでわかりました。あなたが繊細で優しく、芯のある強さを持っている方だと。……こんな時にすみません。僕、あなたのこと好きになってしまいました」

「………へ?」


何かの冗談だろうかとルナはポカンと口を開けている。

キリは呆れ果てて言葉を失い、カグラはなぜか嬉しそうにニコニコしている。


「あ。今は疲れてますよね。ベッドで横になりますか?連れて行きましょう」


そう言うとおもむろにルナを抱き上げフチはベッドへと歩き出す。190近くあるルナを、160しかない高校生のような見た目のフチがお姫様抱っこしている。キリはその光景に唖然とするばかりだ。


「いや、あの、降ろしてくれ。重いだろう…」

「何言ってるんです。羽のように軽いですよ」


爽やかなスマイルで返されてルナは閉口してしまう。こんな風に扱われるのも初めてなのだろう。恥ずかしさから手で顔を隠してしまった。そのまま壊れもののようにベッドに優しく降ろされる。


「先ほどのことから考えて、ルナさんはキリさんが好きなんですよね。でもキリさんのために身をひいた。素敵です。そんな健気なところにますます惹かれます」


再びルナの手を握り、フチは深い緑の瞳をうっとりと見つめる。


「キリさんへの気持ちに整理がついて、新しい恋をしてみたいと思ったら僕のことも考えてみてください。僕はいつまででも待ちますよ」


真摯に愛を伝えるフチに、不覚にもルナはときめいてしまった。

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