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外に用意していたワゴン車にヨルを連れていくと、カグラはすぐに糸の解除に取り掛かった。
「まったく。なんて乱暴な仕掛けをするんだ。下手したら死んじゃうよ」
「解除は難しいですか?」
「僕を誰だと思ってるの?糸に関することで誰かを死なせるなんて、僕の前では絶対にさせないよ」
ホムラの言葉にカグラがいつもの調子で答えると、ヨルの頭の周りで何度も光が弾けた。それが終わるとヨルの表情が和らいだものに変わる。
「かなり強引に解除したからね。しばらくつきっきりで治療しないと。スイレン君、僕の診察室まで車を飛ばして」
「了解です!」
「俺も同行します。護衛が必要ですから」
ホムラがコハク達に連絡を入れると、スイレンはアクセル全開で車をすっ飛ばす。
一方コハク達の待機場所では捜査官達へ指示を出しているところだった。
「キリくんは病院へ。フチくんが付き添って。異常が無ければそのまま公安へ。残りはひとまず公安に行くよ。あそこのほうが署より安全だろう。それと……」
指示が終わるとそれぞれに車に乗り込み目的地を目指す。その間もウタハはララの手をずっと握りしめていた。
公安に着くとウタハはララに付き添い、コハクはハナが宣言通り全てを話すのを聞いていた。
「もうお分かりかと思いますがヨル様は能力者です。糸から白い霧がでて、それを吸い込んだ者は糸が出せなくなります」
ヨルが初めて白い霧を出したのは5歳の時だった。ヨルの父親は始めは驚いたが、それをビジネスチャンスだと考えた。幸か不幸かヨルの家は製薬会社を経営していて、父親には薬に関する知識があった。
ヨルの霧から薬を作り出した父親は、それを裏で取引して大金を稼いだ。もともと次男として跡取りの兄を支えるためだけに育てられていたヨルは薬を精製する手伝いまでさせられ、表向きは良家の子息のように見えても裏では奴隷のような扱いを受けていた。
それでもヨルは心優しい少年に育った。ハナとは親友のように仲が良く、家のためだからと役目も必死にこなす。だがその目はいつもどこか寂しそうだった。
やがて20歳の時に兄が離婚してララを連れ帰ると、ヨルは心の安らぎを得る。ララをあやしたり寝顔を見ている時間はヨルにとって何よりも幸福な時間となった。兄も両親も腕付きであるララには一切の関心がなく使用人に任せきりだったが、おかげで思うままにララと過ごせてヨルは幸せだった。
だが、そんな日々に突然終わりが訪れる。
「あの日、アサ様は酷く酔っておられました」
ハナがリビングに入っていくとヨルの兄のアサがソファで酒を呑んでいた。それ自体は珍しいことでもないのでハナは会釈して過ぎ去ろうとするが、腕を掴まれアサのもとへと引き寄せられた。
「お前の髪は見事な黒だな」
不躾に髪を触られハナは悪寒がする。失礼にならないようにアサから離れようとしたが、逆にソファに引き込まれてしまった。
「知ってるか?昔は黒髪が貴重で高値で取引されたらしいぜ」
ドス黒い欲望を含んだ酒臭い息がかけられる。アサの言わんとしていることが嫌ほど感じられて、ハナは必死で抵抗した。
「なんだよ。今日はいい気分なんだよ。ちょっとくらい相手しろ」
抵抗されることすら楽しむようにアサはハナの服の中へ手を伸ばす。
「しかしやっとララを厄介払いできるぜ。別にどうでも良かったが、意外といい値段がついたな」
その言葉にハナの抵抗が止んだ。
「ララ様が……?」
「あ?アイツなら売れる先が見つかったから明後日にはいなくなるぜ」
ハナの顔に絶望が浮かぶ。
『そんな……ララ様がおられなくなったら……やっとヨル様が幸せそうに笑われるようになったのに……』
その様子を見てアサが醜悪な笑みを浮かべる。
「なんだ?ララを売られたくないのか?」
可能なのかとハナが縋るようにアサを見る。だが返ってきたのは地獄への誘いだった。
「ならお前が俺の相手をしてる間は売らないでいてやるよ。せいぜい俺を楽しませろよ。飽きられたらララが売られるぜ」
絶望はどこまでいっても終わりがなかった。
ハナにとってヨルは主である以上に、親友である以上に、何者にも代え難い大切な人だった。使用人の子である自分を対等に扱い、母が亡くなった時は悲しみに寄り添ってくれた。使用人として雇ってもらうだけでなく学校にも行けるように両親に頭を下げてくれた。
そんな人の心の拠り所を守れるのなら……。
「わかりました……」
「物分かりがいいな。まあ初めてだろうから今日は大人しくさえしてりゃいいよ。しっかり男の悦ばせかたを覚えろよ」
体中をアサの手が、糸が、這いずりまわる。生きたまま死んでいくような感覚にハナの瞳から光が消えていった。
その時。
「ハナ?まだリビングにいるのか?」
リビングに行くと言ったまま戻ってこないハナを心配してヨルがやってきた。目の前に広がる光景に目を疑う。
「兄様……何をして……」
「ちっ。タイミングが悪いな。終わったら返してやるから部屋に戻ってろ」
兄の下に組み敷かれたハナの衣服は乱れ、顔からは全ての感情が消え失せている。
何が起こっているかは考えずともわかった。
「あ……あああ………うわあぁぁ」
絶叫のあとにヨルはアサに襲いかかる。ソファから引き摺り下ろし激しい殴り合いが繰り広げられたが、駆けつけた父親によってすぐに引き剥がれた。そのまま何も聞かれずヨルは父親に何発も全力で殴られる。
「まったく。バケモノ風情が大切な跡取りに傷をつけるなんて何を考えている。家に置いてやるだけ感謝すべきものを」
そう吐き捨てるように言うと、アサには「あのバケモノの世話ができるのはハナだけだ。男でも女でも好きなだけ用意してやるからハナにだけは手を出すな」とだけ釘を刺してリビングを出て行った。
アサも馬鹿らしくなったようでどこかへ去り、ハナはヨルを部屋まで連れて行って傷の手当てをした。
「……申し訳ありません。私のせいで……」
「お前のせいではない………お前こそ、どれほどの苦しみを……」
「大丈夫です。ヨル様が助けてくださいましたから」
ヨルを安心させるために笑顔を見せるハナだが、その顔は青ざめ全身の震えがまだおさまっていなかった。
抱きしめて安心させたいのに、触れれば恐怖を思い出すのではないかとヨルは手を伸ばせない。それに気づいたハナがそっとヨルの手を握った。
「……私よりも、ララ様が大変なのです」
「ララが?」
「はい。ララ様を売る先が見つかったと。明後日には引き渡すと聞きました」
ヨルの顔から血の気が引く。嘘だと思いたかったが、あの兄ならばやりかねないと信じるしかなかった。
「……ハナ。ララを連れて逃げよう。ついてきてくれるか?」
「……はい。あなたが望むならどこへでも参ります」
そして2人はわずかな荷物を用意するとララを連れて家を出た。
そして、その男と出会ったのだ……




