8.ルシアン殿下の気持ちを確かめる
ルシアン殿下は誕生日で十七歳になった。
成人するまでにはまだ一年時間があるが、ルシアン殿下は健康な男性としての欲望がないのだろうか。
わたくしは結婚した時点でルシアン殿下と結ばれることは覚悟していたし、ルシアン殿下が愛を告げてくれたので、そのうちにそういうこともあるだろうと思っていた。
しかし、ルシアン殿下はわたくしに口付けもしないし、抱き締めもしない。夜の営みを望んでいるわけではないが、わたくしとルシアン殿下は夫婦なのであってもおかしくないと思うのに、ないことに不安になってしまう。
そもそも、わたくしとルシアン殿下がすれ違ってしまったのは、お互いの言葉が足りなかったせいだ。話し合いの場を持っても、お互いに心に秘めていることが多すぎて、ルシアン殿下が「結婚しなければよかった」と言ったのを億面通りに取ってしまったのもよくなかった。
離縁を切り出すまで思い詰めてしまうよりも、ルシアン殿下と話し合いの場を持った方がよさそうだとわたくしは結論を出した。
父は水面下でギヨーム殿下とデュラン殿下に反意を持つ貴族たちをルシアン殿下派に引き入れているようだし、ルシアン殿下はギヨーム殿下とデュラン殿下の悪事の証拠を集めている。
忙しいルシアン殿下に手間を取らせるのは申し訳なかったが、以前のようにすれ違いたくなかったので、わたくしは夕食後にルシアン殿下を呼び止めてお茶室で話し合いの時間を持ってもらった。
「なにか不自由でもありましたか? この離宮はリュシア姉様にはあまりにも粗末に感じられるかもしれませんが、今のぼくでは精一杯なのです」
「不自由はありません。ルシアン殿下はずっとこの離宮で暮らしてこられたのですか?」
直球で尋ねるのは躊躇いがあったので、ルシアン殿下に聞いてみると、ルシアン殿下は凛々しい黒い眉を少し下げて困ったような表情になった。
「リュシア姉様に心配をかけたくなかったのですが……ぼくは、小さなころからこの離宮で暮らしていました。ギヨーム兄上とデュラン兄上が、そうさせたのです」
「国王陛下は?」
「父上はぼくに興味がなかったのか……ぼくを憎んでいたのか」
ルシアン殿下とのお茶会のときに、ルシアン殿下が言ったことがあった。
王妃殿下が亡くなったのはルシアン殿下のせいで、ルシアン殿下は国王陛下に疎まれているのだと。
あのときルシアン殿下をお慰めしたが、ルシアン殿下のお気持ちはまだ完全には癒されていないのだろう。
「国王陛下が例えルシアン殿下を憎んでいたとしても、ルシアン殿下のせいではありません。王妃殿下が亡くなった悲しみを、どこかにぶつけなければ心が壊れてしまうからなのでしょう」
「父上の心はもう壊れているような気がします」
「それはそうかもしれません」
ギヨーム殿下とデュラン殿下の行いを諫めることなく、国政を任せているという時点で国王陛下はその地位を放棄していると言える。ギヨーム殿下もデュラン殿下もそれをいいことに、好き勝手して権力を振るっているのだ。
「ギヨーム兄上は、結婚の開放という法律を作ろうとしているのです」
「結婚の解放?」
「本来、婚姻を結んだ男女は、それ以外の相手と関係すると不倫という形で罰せられます。それをなくして、婚姻を結んだ男女でも構わずに他の相手と関係することを許す法律です」
「なんという……」
そんな無茶苦茶な法律が作られていいはずがない。ぞっとするわたくしに、ルシアン殿下がわたくしの手を握って真剣に告げる。
「ギヨーム兄上は、リュシア姉様を狙っているのです」
「わたくしを?」
「王子妃であり、弟の妻であるリュシア姉様にはさすがに手が出せないので、法律を変えて、婚姻の意味をなくしてから、リュシア姉様を手に入れようと考えているのです」
そこまでわたくしはギヨーム殿下に執着されていたのか。
縋るようにわたくしはルシアン殿下の手を握り返した。
「どうか、その法律が実現しないようにしてください」
「ぼくは最大限の努力をするつもりです。ですが、リュシア姉様は、それだけギヨーム兄上に執着されているということを覚えておいてください」
「はい、気を付けます」
「リュシア姉様は美しくて、デュラン兄上も狙っているので、ぼくは気が気ではないのです」
デュラン殿下もわたくしを狙っている。
デュラン殿下の好みは十代の若い少年少女だが、わたくしは残念なことに身長があまり伸びなかったので小柄で、童顔にも見られてしまう。十九歳だがデュラン殿下の好みに当てはまってしまったようだ。
「リュシア姉様は本当に美しくて……デュラン兄上が諦めないのも分かります。早いうちにぼくが婚約しておいてよかった」
「ルシアン殿下はわたくしを守ってくださったのですね」
ルシアン殿下とわたくしが出会ったころ、わたくしは九歳だった。その年代は、デュラン殿下が好む年代に近い。
デュラン殿下を牽制するためにもルシアン殿下がわたくしとの婚約を望んでくれていたのかと思うと、胸が熱くなる。
「ルシアン殿下……わたくしはルシアン殿下の妻ですが、正式な妻にはしてもらえないのでしょうか?」
思い切って聞いてみると、ルシアン殿下が耳まで赤くなって、弾かれたようにわたくしの手を放した。
「だ、ダメです、リュシア姉様」
「わたくしは、ルシアン殿下に姉のようにしか思われていないのでしょうか?」
結婚してからも、ルシアン殿下はわたくしのことを「リュシア姉様」と呼んでいた。妻なのだから、呼び捨てで構わないのに。
「姉だなどと、思ったことは一度もありません」
「ルシアン殿下、それでしたら、どうして抱き締めてくださらないのですか? 口付けも……」
「だ、ダメです、リュシア姉上! そんなことをしたら、ぼくの理性が決壊します」
「してはいけないのですか? わたくしたちは結婚しているのですよ?」
問いかけるとルシアン殿下が涙目になっているのが分かった。ルシアン殿下は普段は凛々しいのだが、わたくしの前になると幼いころのように泣き虫で、弱くなってしまうようだ。そんなルシアン殿下を見られるのもわたくしだけだと思うと、胸が満たされる気がする。
「今のぼくは、リュシア姉様に相応しくありません。リュシア姉様をこんな粗末な鄙びた離宮に住ませて、食事もなんとかリュシア姉様を迎えるにあたって料理人を連れて来られましたが、リュシア姉様がルミエール公爵家で召し上がっていたものと比べれば質も落ちるし……」
「わたくしは、そんなことは気にしていません。ルシアン殿下と一緒ならば、どんな境遇でも耐えられます」
「ぼくが、成人したら、やり直しをさせてください」
「やり直し?」
問いかけるわたくしに、ルシアン殿下が深く頷く。
「ルミエール公爵家から支度金をもらっていたのに、それはギヨーム兄上とデュラン兄上が使い込んでしまって、リュシア姉様との結婚式もとても王族とは思えないようなものでした。新婚生活も、リュシア姉様に苦労を掛けてばかりです」
「わたくしは気にしていません」
「ぼくが気にしているのです。ぼくに格好をつけさせてください。ぼくが成人した暁には、王太子の座を勝ち取り、国王になってみせます。そしたら、リュシア姉様にプロポーズからやり直させてください。今度は指輪すら用意できないような酷い結婚式はさせません」
そういえば、わたくしは婚約指輪も結婚指輪ももらっていない。王族は付けないものなのだろうと思っていたが、そうではないようだ。
「しょ、初夜も、ちゃんと、やり直しします」
「ルシアン殿下」
「ぼくはまだ未熟で、リュシア姉様を傷付けるのが怖いのです。ぼくが大人になるまで待っていてください」
誠実な言葉にわたくしは頷き、ルシアン殿下の手を取ってその傷だらけの指先に唇をつけた。
指先が傷だらけなのは、ルシアン殿下が自らの手で庭の花を切ってわたくしの部屋に飾ってくださるからだと分かっている。その指の傷まで愛おしかった。
「リュシア姉様……」
「待っています。ルシアン殿下を信じて、待っています」
わたくしが告げると、ルシアン殿下は目を伏せてわたくしの手の甲に口付けた。
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