2.新婚二日目
翌朝、ルシアン殿下と朝食を食べているときに、ルシアン殿下は硬い声でわたくしに言った。
「申し訳ないのですが、リュシア姉様はこの離宮と庭から出ないでください」
離宮には庭があって、それは他の棟や宮殿の庭とは別になっているが、広い場所とはいえない。わたくしは行動を制限されてしまったようだった。
「王宮の夜会はどうしましょう?」
「それも辞退してください」
王宮では毎日のように夜会が開かれている。それはギヨーム殿下が一晩の相手を探してのことなのだが、わたくしも王子妃となったので出席の義務があるはずだった。
「わたくしはルシアン殿下の妃なのですが……」
「体調が悪いということにしてください」
王子妃として認められていない気配がひしひしとする。
朝食を食べ終わると、ルシアン殿下は身支度を整えて足早に離宮を出ていった。見送りに出たわたくしに視線を向けたが、声はかけてもらえなかった。
この国の王太子はまだ決まっていない。
ノワレシア王国では、生まれた順番で王太子が決まることはない。国王陛下が健在の場合には、全員の王子が成人してから、その能力に合わせて王太子を決める。
国王陛下を操っているギヨーム殿下とデュラン殿下は、王太子の座を争っているのだろうが、ルシアン殿下がどうなのかはわたくしには知らされていなかった。まず、ルシアン殿下はまだ成人していないので、王太子になる権利が与えられていない。
この国の成人年齢は十八歳で、ルシアン殿下は十六歳。
この若さで結婚させられたというのも異例であるし、この国の法律を破るようなものだった。成人年齢にならなければ結婚は認められないと、この国の法律にある。それを捻じ曲げたのがギヨーム殿下なのかデュラン殿下なのか分からないが、わたくしもルシアン殿下も二人の王子の手の平の上で転がされているようなものだった。
王子妃として外交や内政にも関わるはずだったわたくしだが、完全にこの離宮内に閉じ込められる形になって、何もすることができない。
やることがないので、午前中は本を読んで語学の勉強をして、午後は心配しているであろう両親に手紙を書いた。
急な結婚式に、両親はとても驚き、反対もしていた。
わたくしの父は三代前の国王陛下の血筋で、王族でもあった。
「ルシアン殿下はまだ成人していないし、この結婚は急すぎる」
「国庫が傾いていると聞いています。公爵家の財産目当てなのでしょう」
それが分かっていても、わたくしはルシアン殿下が泣いているような気がして、両親に結婚を承諾するようにお願いした。
「結婚は少し早まりましたが、わたくしは平気です。王家に嫁ぐ準備はできています」
王子妃としての教育は十年間受けていたので、わたくしは完璧な自信があったし、ルシアン殿下の好意も感じていた。
ルシアン殿下は高価なものは用意しなかったが、わたくしとのお茶会のときには、必ず庭に咲いていた一番きれいな季節の花を持ってきてくれていた。
「これがぼくの精一杯なのです。許してください」
「何を許すことがありましょう。わたくし、お花は大好きですわ。ルシアン殿下自ら切ってくださったお花なら、特に」
わたくしの視線がルシアン殿下の手元に行っているのを見て、ルシアン殿下は恥ずかしそうに自分の手を背中に隠した。ルシアン殿下の指には、その日持って来てくれた薔薇の棘で傷付いた痕があったのだ。
「庭師の手が行き届いていないので、ぼくが庭も整えているのです。今は秋薔薇が見頃です。リュシア姉様にも見ていただきたいです」
「ぜひ見せていただきたいですわ」
「……ごめんなさい、お招きできなくて」
そういえばルシアン殿下からのお招きはなくて、月一回のお茶会は必ず公爵家で行われていた。ルシアン殿下はどこで暮らしていたのだろう。
この離宮で暮らしていたのだとすれば、ルシアン殿下も冷遇されていたのではないだろうか。
ルシアン殿下が酷く傷付いた顔でわたくしとのお茶会に現れたことがあった。
あれはわたくしが十五歳でルシアン殿下が十二歳のときのことだっただろうか。既に成人男性くらいの身長があるルシアン殿下だが、中身は十二歳の少年だった。
赤みがかった紫の目を潤ませている様子に、わたくしは聞かずにはいられなかった。
「何かあったのですか、ルシアン殿下?」
「ぼくは、父に疎まれているかもしれないのです」
「国王陛下に?」
ぎゅっと目を閉じたルシアン殿下が膝の上で拳を握っている。その手が震えているのに、わたくしは気付いていた。
「母が亡くなったのは、ぼくを産んだせいだと兄上たちに言われました。父上はぼくが生まれなければよかったと思っているのだと」
思わずわたくしは行儀作法も忘れて椅子から立ち上がって、ルシアン殿下の横に座って、震えるその手に自分の手を重ねていた。
「例えそうであっても、わたくしはルシアン殿下と出会えてよかったと思っています」
「リュシア姉様?」
「王妃殿下の死は、国王陛下のお心を傷付けたかもしれません。ですが、王妃殿下が亡くなる前に国王陛下に言っていたことを、わたくしは知っています。『この子を愛して』と」
その話は王族である父から聞いていた。
ルシアン殿下は国王陛下には分からないけれど、王妃殿下には間違いなく愛されて生まれてきた。自分の体を裂くようなことをして産んだ子を愛しいと思わない母親はいない。
「リュシア姉様、ありがとうございます」
精悍になってきたがまだ幼さの残るルシアン殿下の頬を伝った涙を、わたくしはハンカチで拭って差し上げた。
両親への手紙に、わたくしはどこまで正直に現状を書いていいのか迷った。
ルシアン殿下に初夜を拒まれたこと、ルシアン殿下はわたくしに王子妃としての仕事をさせずに離宮に閉じ込めていること、その離宮が寂れていてわたくしの部屋がとても質素であること。
国庫が傾いているのだから、贅沢な部屋など望んではいなかった。それでも公爵家の娘として育てられてきたわたくしにとっては、その部屋は狭く簡素すぎるように感じられていた。
ベッドも机も椅子も簡素なもので、ソファセットは年季が入って軋んでいる。カーテンは色あせて、ベランダの椅子は雨で劣化していた。この部屋を彩るものといえば、簡素な白い花瓶に生けられた花くらいだった。
それは秋薔薇。
ルシアン殿下がかつてわたくしに自ら切ってくれた花だった。
結局、両親には安心させるような手紙しか書けなかった。
少しでも不満を漏らせば、父は反乱を起こしてでもわたくしを取り返そうとするだろう。
事実、この国では貴族の中でも不満が芽生えていた。
ギヨーム殿下に妻や娘を乱暴された貴族たちが怒りを抱え、国際法を破って奴隷取引をしているというデュラン殿下に猜疑心を抱く貴族や民衆が奮起のときを待っている。
この国は倒されるのかもしれない。
そのときにわたくしがどうなってしまうのかも、父は心配だったのだろう。
それでも、わたくしはルシアン殿下を信じたかった。
わたくしの前で弱さをさらけ出し、泣いていたルシアン殿下の支えとなりたかった。
それも、ルシアン殿下に拒まれている気がしてならないのだが。
夕食の時間になってもルシアン殿下は帰ってこなかった。
ルシアン殿下からは、先に夕食を食べて休んでいるようにという手紙が届いたが、新婚なのにそれはないだろう。
何より、新婚の妻を置いて、朝からさっさと離宮を出ていったルシアン殿下にも信じられない思いはあった。
「夕食はルシアン殿下がお戻りになるまで待っています」
「ですが……」
「夫を待つのも妻の役目です」
わたくし付きの侍女になった、わたくしの乳母より年上くらいの女性が困った様子でいるが、わたくしは気持ちを曲げる気はなかった。
夜更けに帰ってきたルシアン殿下は、わたくしが起きていることに驚いた様子だった。
「リュシア姉様、眠っていなかったのですか? こんな時間なのに」
「こんな時間まで、何をなさっていたのですか?」
「それは……。リュシア姉様は夕食は召し上がられましたか?」
「夫を待っていてはおかしいですか?」
わたくしが長身のルシアン殿下を見上げてはっきりと言えば、ルシアン殿下が深くため息をつく。面倒だと思われてしまっただろうか。
「リュシア姉様のお体のためにも、今後はぼくを待っていないで、夕食は早めに食べて休んでください」
「わたくしは、ルシアン殿下の妻になるために王宮に嫁いでまいりました。ルシアン殿下との時間を求めてはいけませんか?」
わたくしの言葉に、ルシアン殿下は痛みをこらえるような表情になる。
「明日から、夕食の時間には戻るようにします。ふがいない夫で申し訳ありません」
「ルシアン殿下……」
「今日は軽いものを食べて、休んでください。遅くなってすみませんでした」
少しでもルシアン殿下と歩み寄ることができただろうか。
明日からはルシアン殿下と夕食を共にできると思えば、少しは進歩した気がする。
けれど、ルシアン殿下は何をしていたのだろう。
王族が忙しいとはいえ、結婚して数日は新婚で休みがもらえるはずだ。
その休みを返上してまでしたいことがあったのだろうか。
わたくしから距離を置きたいから離れていたのだろうか。
その可能性に気付いて、わたくしの心は重く沈んでいく。
ルシアン殿下はまだ十六歳。
結婚したくなかったのかもしれない。
この国では貴族や王族が通う学園があるが、ルシアン殿下は成績優秀で本来ならば成人年齢の十八歳で卒業する学園を、十五歳で卒業してしまっていた。それから、国を建て直そうと奔走している様子なのだが、ギヨーム殿下やデュラン殿下の力が強くてどうにもならないようではある。
「ルシアン殿下がしようとしていることをわたくしにも話してください。お力になれるかもしれません」
「リュシア姉様に危険なことをさせたくないのです」
「わたくしは王子妃になるための教育は受けています。少しでもお役に立てるかもしれません」
「リュシア姉様……ごめんなさい」
申し訳なさそうに言って部屋に戻ってしまうルシアン殿下に、わたくしはその背中を追いかけようとしたが、身長差がありすぎて歩幅が全く違うので追い付くことができなかった。
閉じてしまったドアの前でわたくしは小さく呟いた。
「わたくし、ルシアン殿下が分かりません……」
幼いころから知っていて、お互いに好意を持っていると思っていた。
ルシアン殿下の涙も笑顔も、わたくしは知っている。
それなのに、結婚してからルシアン殿下の笑顔を見ていない。
わたくしは何のために結婚したのだろう。
ただのお金目当てだったのか。
虚しさは募るばかりだった。
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