15.結婚の開放の法案の否決
議会は騒然となっていた。
もう取り繕うことはせず、ギヨーム殿下が大声で怒鳴っている。
「お前たち、おれに逆らったらどうなるか分かっているんだろうな!」
その声すら、ルシアン殿下の素晴らしすぎる演説の前では、ギヨーム殿下の脅しですら霞んでしまう。誰が次期国王に相応しいかを、ルシアン殿下は堂々とした演説ではっきりと示して見せたのだ。
「それでは、議員投票を行います」
それでも、ギヨーム殿下に脅されて言うことを聞かなければいけない議員もいるだろう。
一人一人が議長前の卓に置かれた投票箱に結婚の開放の法案が可決か否決かの投票をしにいく。
最前列に座っているギヨーム殿下は、ぎらぎらと目を光らせて、横を通る議員たちを牽制していたが、それもどれだけ効果があったか分からない。
全員の投票が終わって、議長が投票結果を発表するまでには、かなりの時間がかかった。議会の会場を埋め尽くす議員全員の票を数えなければいけないのだ。時間もかかるだろう。
「それでは、投票の結果を発表します」
票の集計が終わって、議長が重々しく口を開いた。
ギヨーム殿下が身を乗り出し、ルシアン殿下が静かに結論を待っているのが見える。
「投票の結果、結婚の開放の法案は、否決となりました」
わぁっと議員から歓声が上がった。それはギヨーム殿下でも止められないもので、ルシアン殿下に対して改めて拍手が送られる。
今日の議会の議題はこれが最後だったようで、議員たちが退出していく。
ルシアン殿下が立ち上がり、退出しようとしたところで、ギヨーム殿下がルシアン殿下に掴みかかっていた。
「お前、なんてことをしてくれた! おれに逆らったことを後悔させてやるからな!」
「ギヨーム兄上、これは議会での決定です」
「うるさい! お前のせいで!」
怒鳴り散らしながらルシアン殿下に掴みかかるギヨーム殿下を、ルシアン殿下はあっさりと振り払ってしまった。
元々ルシアン殿下の方が身長は高く、引き締まった体付きで鍛えている。腕力では叶わないと思ったのだろう、ギヨーム殿下も悪態はついていたがそれ以上ルシアン殿下に絡んでくることはなかった。
父に送られて、わたくしは宮殿の離宮に戻った。
ルシアン殿下も離宮に戻ってきていた。
ルシアン殿下の顔を見た瞬間、わたくしは堪えきれずに涙を流していた。泣き崩れるわたくしの前でルシアン殿下がおろおろと狼狽えているのが分かる。
「リュシア姉様、大丈夫ですか?」
「ルシアン殿下!」
わたくしは躊躇いなくルシアン殿下の腕に飛び込んでいった。ルシアン殿下がしっかりとわたくしと抱き留めてくれる。
「素晴らしい演説でした。わたくし、感動してしまって……」
「リュシア姉様のためにも、全ての国民のためにも、あの法案は決して可決されてはならないものでした。それを示せてよかったです」
ルシアン殿下がわたくしの涙を拭ってくれながら言うのに、わたくしはルシアン殿下に抱き締められながらこくこくと頷いていた。
「リュシア姉様の位置からは見えなかったかもしれませんが、ぼくは会場に父上がいたような気がしていたのです」
「国王陛下が?」
王妃殿下が亡くなってからもう十七年になる。その間、国政を放棄し、議会にも顔を出さなくなった国王陛下があの会場にいたかもしれない。
「演説台の上からだったので、よくは見えなかったのですが、父上の姿を見たような気がするのです」
国王陛下になにか変化があったのだろうか。
考えられるとすれば、わたくしが王妃殿下の遺品のアメジストのネックレスを渡しに行ったことだった。あのとき、僅かだが国王陛下の痩せて落ちくぼんだ目に、光が戻ったような気がしたのだ。
「国王陛下がルシアン殿下の演説を聞いていてくれたのだったら、次期国王がルシアン殿下にこそ相応しいと思ってくださったかもしれません」
「そうだといいのですが……」
議会の会場ではあれだけ堂々と演説をしていたのに、国王陛下のこととなるとルシアン殿下は自信がなくなるようだ。国王陛下が王妃殿下の死と共に抜け殻のように生気を失ってしまったのが、自分のせいだと思われているのかもしれない。
「ルシアン殿下、わたくし、国王陛下にお会いしたことはお伝えしましたよね」
「はい、聞きました」
「そのときに、国王陛下がルシアン殿下のお名前を呼んでおられたのです」
「ぼくの名前を?」
「はい、間違いなく」
王妃殿下の遺言を伝えたときに、国王陛下はルシアン殿下の名前を呼んだ。それは間違いなくわたくしの耳に届いていた。
わたくしが告げた言葉に、ルシアン殿下は驚いていた様子だった。
涙も止まったので、わたくしとルシアン殿下はお茶室でお茶をした。
ルシアン殿下はお茶を飲みながらわたくしに言う。
「リュシア姉様と一緒に飲むお茶が一番美味しいです」
「ルミエール公爵家からいい茶葉を持ってきましたからね」
「それだけではないのですが」
「わたくしが一緒だから美味しいと思ってくださるなら、そんな嬉しいことはありません」
微笑んで伝えれば、ルシアン殿下がティーカップに口をつけてお茶を飲み、お茶の香りを嗅ぐ。
「このお茶は、寝る前に出してくれるお茶と違いますね」
「寝る前のお茶は安眠をもたらすと言われているお茶なのです」
「そこまでリュシア姉様はぼくのことを考えていてくださったのですね」
嬉しそうに微笑むルシアン殿下に、わたくしも嬉しくなってしまう。
それと同時に、ルシアン殿下がわたくしが離宮に嫁いで来るまで、どんなお茶を飲まされて、どんな食生活を強いられていたのかが心配になる。
「ルシアン殿下はわたくしが来るまではどのような生活をされていたのですか?」
問いかけると、ルシアン殿下の表情が暗くなる。
「離宮には料理人がおらず、使用人と変わらない食事をしていました。教育はなんとか受けさせてもらえたものの、学園でも友人を作ることは許されておらず、ギヨーム兄上とデュラン兄上に同級生も圧力をかけられていたので、近付いてくることはありませんでした」
この国では貴族や王族が通う学園がある。地方の貴族のために寮もあるのだが、高位貴族はほとんどが王都にタウンハウスを持っていて、そこから学園に通っていた。
学園に通うのは王族や貴族の結びつきを強くするためでもあるのだが、本来ならば十八歳まで学園に通うはずのルシアン殿下が、成績優秀で飛び級をして十五歳で学園を卒業してしまったのも、学園に通う意味がないと分かっていたからかもしれない。
「でも、リュシア姉様と結婚するにあたって、手を回して、離宮に料理人を雇うことはできました。ぼくも十六歳になっていたし、学園は卒業していたし、結婚するので少しだけ勇気を出すことができたのです」
ギヨーム殿下とデュラン殿下に苛められていて、二人を恐れていたルシアン殿下が、必死になってわたくしのために離宮での生活が快適になるように努力してくれたことは純粋に嬉しかった。
「今日のことでギヨーム兄上が妙なことを考えていなければいいのですが」
「それは、わたくしも思いました」
結婚の開放の法案をルシアン殿下の演説によって否決させられたことで、ギヨーム殿下はルシアン殿下を恨んでいる。それは明らかだった。
ギヨーム殿下が今後、どんな手に出てくるか分からない。
それと同時に、沈黙を守っていたデュラン殿下も不気味だった。
ギヨーム殿下の法案が通らなければ、デュラン殿下も奴隷を認めさせるような法案を議会の議題に上げることは難しくなる。それが分かっていて、沈黙していたデュラン殿下は何を考えていたのだろう。
「これからは、これまで以上に警戒をしてください」
「分かりました、ルシアン殿下」
「リュシア姉様に何かあったら、ぼくは生きてはいけません。リュシア姉様がいてくれるからこそ、ぼくは勇気を出せるのです」
伸ばされたルシアン殿下の手がわたくしの手を包み込み、温かく握りしめる。
わたくしはその体温を感じながら、ルシアン殿下への想いを強くしていた。
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