1.形式だけの結婚式
ノワレシア王国の第三王子、ルシアン・ノワレ王子殿下とわたくし、リュシア・ルミエールの結婚式は王子と公爵の娘の結婚式にしてはとても小規模なものだった。
参列者はわたくしの家族と王族と少しの貴族だけ。
その貴族たちからもひそひそと嫌な声が上がっていた。
「ルシアン殿下はまだ十六歳、結婚には早いのでは」
「ルミエール公爵家の財産目当ての結婚でしょう」
「それにしても貧相な衣装」
衣装にもお金をかけてはもらえなかったようで、わたくしはサイズの合わない誰のために誂えられたか分からないドレスを着せられていたし、ルシアン殿下は一応テイルスーツを着ていたが、それも白ではなく黒である。
幼いころは小さくて女の子のようだったルシアン殿下は、今では見上げるような長身の美青年に育っている。撫でつけた黒髪と王家にしか引き継がれない赤みがかった紫の目がルシアン殿下を大人っぽく見せているが、わたくしは彼がまだ十六歳だということを知っていた。
「誓いの言葉を」
国王陛下に促されて、わたくしとルシアン殿下は決められた誓いの言葉を口にする。
「わたし、ルシアン・ノワレはリュシア・ルミエール公爵令嬢を妻とし、生涯共に過ごすことを誓います」
「わたくし、リュシア・ルミエールはルシアン・ノワレ第三王子殿下を夫とし、生涯共に過ごすことを誓います」
「それでは誓いの口付けを」
式は淡々と進んでいく。
ルシアン殿下は誓いの口付けと言われて、わたくしの手を取り、手の甲に口付けた。
それは結婚の口付けではない。
分かっていても、拍手で祝福されて、わたくしは文句も言えなかった。
結婚衣装も王家のしきたりで王家が準備して、誓いの言葉も王家のしきたりで決まった文句を述べて、誓いの口付けは手の甲に。
婚礼の準備金は公爵家からたっぷりと支払われたはずなのに、会場も王宮の飾られることのない簡素な大広間で、参列客も少ない。
この結婚式はなにかおかしい。
分かってはいるのだが、進められていく結婚式に異議を唱えることができない。
「リュシア嬢、行きましょう」
「は、はい」
両親に別れを告げたかったし、兄とも言葉を交わしたかった。それも許されず、披露宴すらない結婚式を終えて、わたくしが連れて来られたのは、王宮の端の鄙びた離宮だった。
ルシアン殿下の兄上のギヨーム殿下は女好きの色狂いで、人妻であろうともベッドに引きずり込み、何人もの愛妾を抱えて、彼女たちに豪華な離宮を建てさせて住ませているという。
ルシアン殿下の二番目の兄上のデュラン殿下は宝石や美術品を愛する人物で、王宮のデュラン殿下の棟には大量の宝飾品と美術品が溢れていると聞く。
お二人のような放蕩を望んでいるわけではないが、ルシアン殿下も第三王子なのでそれなりの暮らしはしていると思っていた。
けれど、わたくしが通されたのは日当たりはいいが狭く小さな部屋で、バスルームと手洗いがなんとかついているだけの場所だった。
「王子妃殿下付きの侍女となります」
これも王家のしきたりとか言われて、侍女を連れてくることを許されなかったが、わたくしを産まれたときから愛して育ててくれていた乳母だけは我が儘を言って連れて来させてもらった。それもいい判断だったと言える。
侍女は一人きりで、わたくしは公爵家で暮らしていたときよりも、ずっと不便な暮らしをするようになるのは間違いなかった。
「リュシア殿下、こんな結婚、旦那様もお断りになればよかったのに」
乳母が嘆いているのが聞こえる。
わたくしもこれほど酷いとは思っていなかった。
ノワレシア王国は今、財政危機に陥っている。
その発端は、王妃であるアマーリエ殿下が、三人目のお子、ルシアン殿下を産んだ後に亡くなってしまったことだった。愛する王妃殿下の死を悲しんだ国王陛下は、今もなお喪に服し、生きる気力をなくしてしまわれた。
ノワレシア王国でも赤みがかった紫の目を持つ王族は、生涯にたった一人しかひとを愛さないという。それだけ強く激しく愛されていた相手が先に亡くなると、生きる気力すらも失ってしまうようなのだ。
それからが酷かった。
女好きで色狂いの第一王子のギヨーム殿下は国王陛下を操って、自分の愛妾を囲うために国庫を圧迫した。それだけではない。貴族の美しい女性を見れば、未婚であろうと既婚であろうと、権力を振りかざしてベッドに引きずり込むのだから、ギヨーム殿下の出席する夜会には女性は出ることを控えるようになっていた。
第二王子のデュラン殿下は、国王陛下を操って、自分の欲望を満たしていた。高価な宝飾品や美術品を集め、美しい少年や少女を侍らせるために国際法で禁止されている奴隷取引にまで手を出していると聞く。
国王陛下は王妃殿下が亡くなってから、生きた屍のようになっており、全てのことをギヨーム殿下とデュラン殿下に任せている。
そのせいで、今、この国は傾きつつあるのだ。
この国を救える希望となっているのが、ルシアン殿下なのだが、ルシアン殿下はまだ十六歳だ。本来ならば成人して十八歳になってから結婚するはずが、国庫が傾いでいるために、公爵家の財産が欲しくてわたくしと異例の速さで結婚させられたと言われている。
わたくしはルシアン殿下と交流があった。
十年前、わたくしが九歳で、ルシアン殿下が六歳のとき、ルシアン殿下はお茶会デビューを果たしたのだが、その席でルシアン殿下の姿が見えなくて、護衛たちが探していた。
ガーデンパーティー形式だったので庭のどこかに隠れているだろうと思ったので、わたくしも散策ついでに探していたら、ルシアン殿下は噴水の前で泣いていた。
黒髪に王家にしか出ない赤みがかった紫色の目だったから、わたくしはすぐにその少年がルシアン殿下と分かった。
巨大な噴水が王宮にはいくつも作られていて、その噴水は高く彫刻が据えられていて、とても立派なものだった。
その彫刻の上に、小さな黒い子猫がいた。
「ルシアン殿下、皆様が探しておられますよ」
「ふぇ……ひっく……ぼくのねこちゃんが……」
「あの猫はルシアン殿下のものなのですか?」
彫刻は小さなルシアン殿下には大きく、とても手が届きそうにない。
震えて泣くルシアン殿下に、わたくしはドレスのスカートを捲った。
「失礼いたします。どうか、下から見ないでくださいませ」
「あ、あの……」
「わたくし、木登りは得意ですの」
小さなころから木登りをして兄を呆れさせていたわたくしは、彫刻を登ることも、水に濡れることも気にならなかった。
子猫なのである。
あんな小さな命が今にも失われそうになっているというのに、躊躇っている暇はない。
彫刻によじ登って子猫を助けると、ずぶ濡れになったわたくしを見て、ルシアン殿下はぽろぽろと涙を零した。
「あにうえたちが、ねこはにわにふんをする、くさくてきたないと、うばってなげてしまったのです……」
「ギヨーム殿下とデュラン殿下が」
「ぼくはこわくて、たすけられなかった……。ありがとうございます」
涙を拭ってあげようにも、わたくしはびしょ濡れで、ハンカチも濡れていた。逆にルシアン殿下が小さなハンカチを取り出してわたくしの顔を拭いてくれる。
「猫は部屋から出さないように大事に飼ってください。その方が幸せなのです」
「は、はい」
「わたくしは、リュシア・ルミエールと申します」
「ぼくは、ルシアン・ノワレです」
名乗るとやはりルシアン殿下だったと分かる。
「リュシアとルシアン、どこか響きが似ていますね」
ふふっとわたくしが笑うと、ルシアン殿下も涙を拭いて微笑んだ。
「ぼくもそうおもっていました」
その後で駆け付けた両親にわたくしはすぐに濡れた服を着替えるためにお茶会を辞した。後日、国王陛下からルミエール家に第三王子のルシアン殿下とわたくしの婚約の申し込みが届き、父はそれを受け入れて、わたくしは王子妃となるための教育を受けるようになった。
「リュシアが大きくなって本当に嫌だと言えば、この婚約はなかったことにできる」
「わたくし、ルシアン殿下のことはかわいいと思っています」
「それならばよかった」
父は真剣に考えてくれていたようだが、わたくしはこの申し出を受けられるのが嬉しかった。
ルシアン殿下と結婚するのはまだまだ先だが、小さくてかわいいルシアン殿下にわたくしは好意を抱いていた。
それから月に一回、ルシアン殿下が公爵家にやってきて、わたくしとお茶をする機会があったのだが、ルシアン殿下は日に日に大きくなっていった。
十歳になるころにはわたくしの身長を超えて、十二歳では成人男性の平均身長くらいになって、十六歳の今では成人男性の平均身長を軽く超えるようになっている。
「リュシア姉様、今日は剣術の稽古をしました。近衛兵でもぼくには敵わなくなってきています」
「素晴らしいですね」
「リュシア姉様に褒められたくて頑張りました」
長身の美丈夫になっているのに、ルシアン殿下は変わらずわたくしのことは「リュシア姉様」と呼んで慕ってくれていた。
わたくしもどれだけ大きくなろうとも、見上げるほどになろうとも、ルシアン殿下がかわいくて仕方がなかった。
体を清めてルシアン殿下との初夜に臨もうとしたわたくしに、ルシアン殿下は寝室の入り口で待っていて、わたくしを寝室の中には入れてくれなかった。
「リュシア姉様、ごめんなさい。ぼくはリュシア姉様を愛することはできません」
ルシアン殿下が六歳のときから十年間、交友は深めてきたと思っていた。わたくしは結婚すればルシアン殿下と結ばれる、それが当然なのだと思っていた。
それを覆す言葉に、わたくしはため息をつく。
「ルシアン殿下、これは王族としての義務です」
「だからこそ、リュシア姉様のことは、ダメなのです」
政略結婚も、子どもを作ることも、ルシアン殿下は王族として、わたくしは公爵家の娘として受け入れなければいけない義務だったが、ルシアン殿下は泣きそうな顔でそれを拒んでいる。
愛されていなかった。
ルシアン殿下はまだ十六歳なので、そんな気分にならないのかもしれないが、初夜くらいはきちんと済ませておきたかった。
だが、それは無理のようだ。
「部屋に戻ります」
「リュシア姉様……」
「結婚したのですから、どうか、リュシアとお呼びください」
「姉様……」
縋るような声がしていたが、わたくしは寝室にも入れてもらえないのだ。
体の芯が冷えていくような気がして、わたくしは自分に宛がわれた部屋に戻って、ベッドで休んだ。
ルシアン殿下と結婚できるのだと思って、違和感のある王族のしきたりだらけの結婚式も、披露宴すらなかったことも我慢した。
それなのに、ルシアン殿下はわたくしを愛することはないと言って拒んだ。
まだルシアン殿下が幼すぎるせいなのだと自分に言い聞かせて、わたくしは胸の中の虚しさをかき消そうとしていた。
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