その4 憲法の全面改正をめぐる、なろう作家による詭弁
個別条文の改正案について論ずるものではありません。
全面改正案に限っての話であります。
憲法(基本法)の全面改正、あるいは新憲法の成立。
そのためには、前提としてひとつの事実が要求されるように思えてしかたないのです。
どう言えば良いか、「暴力によってもたらされる、統治機構の機能不全」です。
粗だらけの与太噺でカッコつけても仕方ないので言い換えます。
「力によって従来の政府がボコボコにされること/パニックに陥ること」です。
なぜって、その。
日本で憲法(基本法)が成立するのって、そういうのが起きた後ですよね。
十七条の憲法まわり←遣隋使の失敗/統一王朝・隋の成立と半島情勢の変化
大化の改新による国家制度の改変←乙巳の変
御成敗式目←後鳥羽上皇の配流
武家諸法度←戦国大名の消滅(江戸幕府の成立)
明治憲法←鳥羽伏見ほかの内戦
現行憲法←80年前の敗戦
古い時代については、かなり苦しい部分もありますか。
しかしこの事情、何も日本に限らないかと。
人権宣言←フランス革命
合衆国憲法←独立戦争
ビスマルク憲法←プロイセンによるドイツ諸侯征服
ソ連の諸法規←ロシア革命
ワイマール憲法←第一次世界大戦敗北
旧植民地諸国による憲法制定←宗主国の追放
古今東西人類史上、全面改正あるいは新憲法成立って「そういうことが起きた後」じゃないのかなって。
すると全面改正案を掲げている政党って、まさか?
いえ、令和のこの時代、武力暴力による転覆を考えているところなど無いと思うのです……ありませんよね?
ただ、全面改正を掲げるからには「『その覚悟』をお持ちである」と。
あるいは「少なくとも『その過程を期待している』」と。
そう言われかねないことは自覚なさっている。
そういうことで良いですか?
などと逆ねじ食わせてみたくなるのが物書き(主語大)のサガなのであります。
なお。
「いわゆる逆の側」に立つ方に対しても、ブッ込むべき詭弁があるような。
令和のこの時代にあっても、革命を旨となさっている……少なくとも「革命を旨としないのであれば、存在意義を問われる」政党が存在していたかと思うのです。
そういう方ほど、あるいは「革新」を主張する方であればあるほど、護憲ではなく改憲を、それも全面改正案を掲げていなければならぬはずですよね?
だって、「今とは違う政府を作ろう」ってそういうことのはずだもの。
護憲の主張は違うでしょと。
国民は騙してなんぼと、そういう機略ででもない限り。
あっ、でもこれ全面改憲を主張する政党にもあてはまりますか。
改憲する気がないからこその改憲案、そういう機略もアリでした。
理念とかより経済政策とか、そちらで支持不支持を決めたくなる理由です