その2 皇位継承論をめぐる詭弁
その1と併せて、だいたいオチがバレているかとも思うのですが。
「臣民が君主の地位を左右すること、そもそも継承問題を口に上せること」
これも「大逆」あるいは「不敬」なんですよね。
ふっるいふっるい価値観から言えば。
だから「女性天皇・女系天皇は認められない!」って口にする……そのこと自体いかがなものかと。保守の立場に身を置くならば。
あくまでも「保守よりもふっるいふっるい価値観」からの物言いですが。
女性・女系天皇を認めるべきと言いたいわけでもありません。
そちらの主張にもブッコまずにはいられない逆ねじがあります。
「女性差別だ」と言う方には「男性差別は良いのですか」と問いたいのです。
「良いわけないでしょう? 男性も女性も差別されてはいけない、すべての差別をなくすべきです」とお答えならば。
だったらあなたが主張すべきは「女性天皇・女系天皇を肯定する」ことではなく、「天皇制の否定」ではないのですかと。
だって、皇室に生まれなければ天皇にはなれない。生まれによる差別ですよね。
逆に男女を問わず、皇族は政治家や自衛官になりたくってもなれないでしょう。なんなら宇宙工学や金融工学の研究すらさせてもらえないはず。天皇制が存在するゆえの差別ですよね。
ええ、逆ねじです。
こんなこと本気で思ってるわけないじゃないですか、「ふっるいふっるい価値観」なんぞを持ち出してくる輩が。
ただの感情論なんです。
何が言いたいかって、つまるところ。
よそ様のご家庭ではないですかと。
跡継ぎを誰にするかって、そこを外からとやかく言うのはどうなのよと。
「次の天皇は今の天皇が決める。基準など無用」、それで何が悪いのですかと。
「君主制を残すのであれば、そこは君主の権限(親族会議で決めるとしても、そこまで含めて君主の自由)」、それで良いじゃないですかと。
結果として女性になっても、男性で100代続いても。
「国民の信頼に依拠するのだから、国民が納得できる選び方を」、わかります。
わかりますけど、君主と臣民の間には――定義からして対置されている以上は――緊張関係が存在せざるを得ないとも思うのです。
信頼重視の物言いは、その緊張関係を意識できない/意識させない発想のようにも感じられるのです。
「親しき中にも礼儀あり」ではありませんけれども、ある程度の距離感や緊張感があったほうが、敬意を意識しやすいような。
自覚的に敬意を向ける/君主制を主体的に支持する、その方向に寄ることができるんじゃないかなって。
特に「保守」・「伝統重視」サイドの人にはそのほうがスッキリするんじゃないかなって。
つらつら記して思ったのですが。
私の行いも外野のから騒ぎ・論点の消費(エンタメ化)にあたってますねこれ。
ふっるいふっるい価値観からは不敬です、間違いなく。
わけわかんないや。やっぱり平民が口出すところじゃないのかも。
触れないに限る、その意味でも飛び地論は賢者の論じゃないかなって