5.名前
ショッピングモールに足を踏み入れ、案内パネルで女性服専門店を探す。
「えーと、お、3Fにあるみたいだぞ。レディース、レディースねぇ……」
自然と目に入るのはやはり男服、つまり”メンズ”で、”レディース”という言葉への違和感がまだ強い。意識しないと目に入らないくらいだ。
トラは、というとどこかぎこちなく、所在なさげに見える。周りをキョロキョロと伺っている。
「なんだ。あんまりこういうトコこないのか?」
「いや、そうじゃないですけど……。本当に僕も一緒じゃなくちゃダメですか? おじさん一人でもいいんじゃ……」
「なに言ってんだ。おじさんのセンスじゃあ、このくらいの年頃の女の子の服なんか分かるわけないだろ。トラなら同じ年代だし、多少でも分かるだろ?」
そう、服選びのためにトラは必要なのだ。あとは多少の荷物持ちをお願いできればそれで十分。
「正直、同年代の子たちがどんな服とか、僕もよく分かんないですよ」
「まあまあそう言わずに、昼飯代は持つからさ。頼むよ」
「まあ、おじさんがそこまで言うなら……」
トラの渋々とした了承を得ると、ちょうどその女性服専門店へと到着した。
◇◆◇
店頭には春物の洋服を着たマネキンがあり、奥を覗くと大量の洋服や下着が所狭しと並べられていた。
「――本当に入るんですか?」
「当たり前だろ、覚悟を決めろよ」
実は内心では俺も緊張していた。なんせ女性服専門店に入るなんて初めての事だ。
以前彼女がいた時でも店には入らず表で休憩してたくらいだ。それぐらい男にとって女性服専門店のハードルは高い。
俺が先に店に入ると、トラは仕方なしと縮こまりながら俺の後についてきた。まあ、縮こまっていても俺より大きいから目立つんだけどな。
さて、まずは下着か?病院で何枚か貰ったとはいえ何の飾り気も無い綿パンだからな。別に誰かに見せるわけでもないが、履きやすいものが良いだろう。
と下着コーナーへと移動すると、やはり周りの女性たちの視線は必ずトラへと一度は移った。こういうところへ男がいる事自体が珍しいだろうし、それも仕方のない事ではある。
トラはトラで、出来るだけ下着を視界に入れないためだろうか、視線は常に下を向いていた。
自分のサイズは分かっている。後はサイズの合う物を選ぶだけ……なんだけど、女の下着は男と違って細かいサイズ分けがされている。男なんか、S・M・L・LLとかその程度だというのに。
幸いにも、看護婦からちゃんと数字で覚えるように教え込まれたから大丈夫だけども。
それにしても種類が多い、トランクス派の俺としては肌への接地面積が小さいほうが好みなんだけども……ううむ。
と手に取って悩んでいると、トラが声を掛けてきた。
「おじさん。――おじさん! 僕、本当に此処にいる意味あります?」
言われてみれば確かに、一人で悩んでしまっていて、トラを放置してしまっていたな。
「そんな事はないぞ。ほら、トラはどっちが良いと思う?」
そう言って2枚のパンティを両手に持ってトラに尋ねてみた。
「ちょっ!! おじさん!?」
慌てて視線を外すトラ。
と同時に、思わず出たのであろうその大きな声で周りの視線を集めてしまう羽目に。
「――おじさん?」
近くにいた女性がぼそりと不思議そうにつぶやいた。
あ、しまった。
ここで”おじさん”と呼ばれるのは余りにも不自然だし、どこかに中年男がいるのかと警戒されてしまうかもしれない。
今後の事もある事だし、人前での”おじさん”呼びは止めてもらうようトラに注意する必要がある。そう思った俺は小声でトラに呼びかけた。
「おい、トラ。人前で”おじさん”呼びは止めるんだ。これからは、そうだな……名前で呼ぶんだ、いいな」
よし、これで不審がられずに済むだろう。
「というわけで、どっちが良いと思う? トランクス派の俺としてはこっちの肌への接地面積が少ないほうがいいんだけど……」
と、問いかけてもなんのリアクションも無い。不思議に思いトラを見ると、何か悩んでいるような様子だった。顎に手を当てて、目をつむり、頭をひねっていた。下着を選ぶのにそこまでして悩むほどか?
数秒の沈黙の後、トラは目を開けて顔を上げた。それは妙に長く感じ、決意を感じる顔つきだ。
「うん。分かったよ、悠木」
「で、どっちが良いと思う?」
「じゃあ、悠木が良いと思うこっちで」
「……ん!?」
その違和感にすぐには気付かなかった。だけど、二言目の”悠木”で気付いた。
悠木ってトラお前……。 いや確かに名前で呼んでくれって言ったけど、そういう意味で言ったんじゃなくてだな。――え? 名字で呼べって言わなきゃダメだったのか?
それに加えて呼び捨てとは。もしかして、トラは本当に呼び捨てしていいか、それで悩んでいたのか? と、そこまで思考して思い出した。たしか昨晩に俺はトラに「兄弟か彼氏くらいには見られるだろう」と言った事を。
つまりこれは、トラが俺の彼氏役を演じている、という事だろう。そういえば話し方も変わっている気がする。 ――ったくしょうがねえな、そういう事なら俺も付き合ってやるとするか。おじさんとして、大人としてな。
「うん、じゃあこっちにする。じゃあカゴ持ってきて」
そこからはトラもある程度は吹っ切れたのだろう。縮こまる事はなく、俺の隣で一緒に悩み、選んでくれた。とはいえ、流石にブラを選ぶ時は恥ずかしそうだった。
「Eカップ……?」
「そ、E65。Eカップだ。だけどブラが想像より小さいだろ? ――って、おいおいトラぁ、まじまじとブラを見るなよ」
「ゆ、悠木!?」
こんな感じで耳を真っ赤に棚の向こうを見るトラが面白くも可愛くもあり、からかってやった。
トラももうそういうのに興味津々な年頃だもんな。
◇◆◇
「なあトラ、本当にこれで良いのか?」
試着室で着替えて、カーテンを開け放った。そこにはトラがいて、いかにも居心地が悪そうだ。
俺はというと白いシャツに黒のキャミソールワンピースという組み合わせで仁王立ちした。
「うん。悠木に似合ってると思うよ。どこか気になった?」
トラはそう言いつつ、恥ずかしいのか俺の服装や辺りを見回し、視線を彷徨わせていた。この挙動不審感、俺がいなかったら確実に通報されていたと思う。
「いや別に……それなら良いけど。他は?」
他にもトラと一緒に、主にトラが選んだ服を順番に着ていった。俺は若い子のセンスは分からないからな。試しに一つ選んでみたら「それは大人っぽすぎる」とトラに却下されたので全部丸投げだ。
ブラウスやフレアスカート、そして様々な種類のワンピースを順番に試着していく。これはまるでファッションショーみたいだぞ。――まあ、観客はトラだけだけど。
そして何度も試着していくうちに慣れてきたのか、トラも視線を外さずに俺の服装を見られるようになっていた。
「後はいくつかインナーを買えば大丈夫だろ。そろそろレジ行こうか」
やっと買い物が終わった。合計で1時間半もかかった。なるほど、女性の買い物が長い理由だ。
◇◆◇
買い物が終わった後は少し遅めのランチタイムだ。
とはいえ、もうお昼のピークを過ぎているというのにレストラン街はまだまだ並んでいる人が多く、俺たちは比較的並んでいる人が少ない天ぷら屋に並ぶ事とした。
「荷物重くないか? 多少なら持つぞ」
「平気平気、悠木には持たせられないよ。それにこれくらいなら軽いから大丈夫」
嘘だな。
トラは大量の衣類が入った紙袋をぶら下げていた。冷静に考えたら、これから毎日の衣類、下着から上着まで全部あるわけだから、かなりの量だ。しかも結構かさばるし。
俺が半分持とうと言っても、自分が持つと言って頑として断られた。まあ男の見栄ってやつだと思うが、……気持ちは分かるけど、頼ってもらえないのはそれはそれでおじさんとしての俺は寂しいものだ。
少し経ち、俺たちの順番になって席に通される。 俺はスタンダードに天ぷら定食と行こう。
「トラは何食うんだ?」
「うーん、いろんなの食べたいけどお金が……」
「お前そういうの良くないとこだぞ! ――お姉さん! 天ぷら定食一つと盛りだくさん天ぷら定食一つね!!」
「え!? 困るよおじ……悠木。勝手に頼んだら!」
「何言ってやがる。ここは俺の奢りだ、付き合ってもらったお礼なんだから素直に受け取っとけ」
いつもの事だが、責任感の強いトラは自分で背負い込もうとする癖がある。だからこうやって俺の奢りだと言ってやれば、それで解決だ。
「ええ……奢り、奢りかあ……でもなあ、う~ん」
トラは何故か難しい顔をして悩んでいた。おかしい、いつもなら素直に喜んでいるはずなんだが。
と、そんなトラを尻目に天ぷら定食と盛りだくさん天ぷら定食が届いた。盛りだくさんはその名に恥じず、通常の2倍以上の天ぷらが乗っていた。これは想像していたよりも多い、トラはこんなに食えるか?
「トラ、これいけそうか?多かったら言えよ」
「うん、これくらいなら大丈夫だよ。それじゃあおじさん……コホン、悠木、いただきます!」
気持ちに踏ん切りがついたのか、トラは先程までとは打って変わって元気に食べ始めた。
そうそう、奢りなんだから元気良く食って欲しい。悩みを抱えたり、無気力で食べられたら奢り甲斐が無いってものだ。
俺も天ぷら定食を食べ始めたんだけど、一つの発見があった。それは天ぷらの衣が全く重く感じなかった事だ。胃もたれなんか全く感じない。 ――これが若さというやつか。
そして食べ終わったのはほぼ同時だった。トラのほうが天ぷらの量が倍以上あったにもかかわらず、だ。 いや……うん、若いって凄いね。
その後は少し天ぷら定食について話し合ったり、これからの予定なんかを喋った後、さてお会計というところで気付いた。
俺はトラより年上で、当然俺が奢るもの、という感覚だ。
しかしだ、この絵面はどうだろう? 若い2人、お金を払うのが女の子の方、というのは。
そういう事もあるかもしれない、だけど、俺がトラの立場に立ったら嫌だと思う。先ほどの荷物を持つトラを思い出すと、それは男としての見栄だ。女から見ればバカらしいと思うそれも、男にとっては大事なもの、誇りやプライドに繋がるものだ。そして甲斐性とは、そういうものだ。
すまんトラ、俺は女の子になってそんな大事な事も忘れかけていたのかもしれない。
そう思った俺は立ち上がるために浮かせた腰を再び降ろし、トラに小さく囁いた。
「トラ、これで払え」
そっと人からは見えない机の隅のほうで1万円札を差し出した。
「釣りはとっとけ、お駄賃だ」
トラはそれを受け取り、こう返した。
「いえ、返します」
「いいから」
「返します」
あー、これもまたプライドか見栄か。だけどこうなったトラは簡単には引き下がらない事はよく知っていた。
「分かった。ほら、会計行くぞ」
「はい」
そう言って2人で席を立ち、俺が先に店から出てトラを待った。
「お待たせしました」
「念のため言っとくが――」
「分かってますよ、家で返します」
「なら良い」
こんなところで大勢の人前でお金の返済なんかされちゃたまらない。
トラにとっても、俺にとっても、それは場所を弁えるという事だった。
「今日はありがとうな。トラ」
「僕のほうこそ、悠木のおかげで楽しかった」
「そりゃあお前は女性服売り場で堂々と出来たからなあ、楽しかっただろうさ」
「――ちっ、ちがっ!!」
「ははっ、冗談だ、冗談」
今日は、俺とトラに小さな関係性の変化があった。満腹感とは違う何かが胸の中に小さな欠片として生まれた。だけどそれを俺もトラも、まだ気付いてはいなかった。




