3.怒ってる?
まるで意識を失ったかのようだったトラは調子を取り戻したようだ。次は俺の荷片付けと遅ればせながらだけどトラの受け入れ準備をしないとな。
「よし。 ――それじゃあ荷物を置いてくるから、その後でトラの荷解きとついでに部屋の掃除をするか!」
そう宣言しつついつものようにトラに微笑みかけると、目を合わせた途端、顔をそむけられた。ううむ、やっぱり怒っているのか。
――まあ仕方ない、トラの事を忘れてた俺が悪いんだし。時間をかけて関係を修復していくしかないよな。
「着替えてくるから待っててくれ」
返事なく頷くトラを尻目に、キャリーバッグを抱えて自分の部屋へと戻った。
◇◆◇
部屋に戻る際に全ての部屋を軽く見てきたけど、やはりトラが言っていた通り何も手を付けられておらず、10日前のままだった。
そして、10日ぶりの自分の部屋へと戻った。
部屋に入った直後、違和感を感じながらも洋服ダンスからTシャツを何枚か取り出した。
――ううむ。ある程度予想はしていたけど、想像以上だ。
男だった頃は182センチ。今は152センチ。差は30センチ――そりゃトラを見上げるわけだ。昔は膝あたりまでしかなかったのに、気づけば180くらい。ヒヨッコだったあいつが、今じゃ俺より大きいなんて。
……いや違う。あいつが伸びたんじゃない。俺が縮んだんだ。なんだろうな、この素直に喜べない気持ち。嬉しいような、悔しいような――ああもう、複雑すぎてめんどくさい。
おっと、トラを待たせているんだった。とりあえず、この間違えて買った小さいサイズのTシャツでいいだろう。
俺は急いで服を脱ぎ、Tシャツと短パンを穿いて、トラの待つリビングへと戻った。
◇◆◇
「待たせたな! 早速荷解きするぞ!」
「別に待ってな―!! いや、待ってないです」
またしても視線が合った瞬間に顔をそむけられた。いや今合ったのは視線だったか? まあいいや。
どちらにしても顔をそむけられて、他人行儀な言葉遣いに変わった。まだ怒りは収まってなさそうだ。
「まずはトラの部屋へ案内するから、付いてこい」
そういうとトラは渋々、という感じで返事をして付いてきた。
階段を上がって右の部屋、そこがトラの部屋だ。前までは物置だったがなんとか片付けて開けたのだ。 ちなみに俺の部屋は階段を上がって左の部屋となる。
「ここがトラの部屋だ。自由に使っていいぞ」
「わあ、ありがとうございます。じゃあ早速荷物運んできますね」
「あ、荷解きは俺も手伝うから!」
「いえ、大丈夫です。それくらい一人でやれますから、リビングで休んでいて下さい」
と、手伝おうと思っていたがにべもなく断られてしまった。
というかだ、このやりとりの間、たった一度ですら俺の顔を見なかった。微笑みかけたりしてるのにだ。明らかに避けられてると感じておじさんは悲しいぞ。
ちなみに、それでもなんとか手伝おうと段ボールを一つ持ち上げようとした所、何が入っているのか分からないが非常に重く、全くびくともしなかった。そしてそんな事で悪戦苦闘している間にトラに見つかって、またしてもリビングへ追い出された。
トラはそんな、俺が持ち上げられなかった段ボールをヒョイと抱え、階段をトントントンと上がっていった。そんなばかな、最近やった腕相撲では俺に歯が立たなかったはずなのに。
今の俺って女の子になった事でそこまで腕力が落ちてるのか……。
自分の腕をあらためて見て、その白さや細さにため息を吐いた。力こぶを作ってみたけど、筋肉の盛り上がりは薄く、悲しくなる。
これから力仕事はトラに頼るしかないなあ……。とそんな事を考えつつぼんやりしていたら、どれほどの時間が経ったのか、トラがリビングに顔を出した。
「おじ……悠木さ……。ええと――」
「今まで通りおじさんで良いぞ」
「……おじさん、一通り終わりました」
トラは一瞬俺の顔を見た後、やはり目を逸らした。やはりまだ駄目か……。 俺はずっとちゃんとトラの目を見て話してるというのに。
時計を見るとそろそろ夕刻という時間だった。トラはこの一週間コンビニ飯だったらしいし、飯でも作って食わせてやるか。
「じゃあ晩飯の買い出しにでも行くか。トラも来るか?」
そう問いかけると、トラは少しだけ考えた後、止めときますと返事をした。トラにはまだ荷物の整理もあるだろうし、買い物くらいいつも一人だし別に問題は無い。
出かけようかと腰を上げ、玄関へと向かうとトラが慌てたように声を掛けてきた。
「え、そのままの格好で出かけるんですか!?」
トラに言われて気付く、ぶかぶかのTシャツ一枚に短パン、といっても男の時のなのでヒザ下くらいまでの長さがあるものだ。いくら買い物と言っても外出する格好じゃないか。
「そうだな、着替えてくる」
と部屋に戻ったは良いが、着る物が本当に無い。サイズの合う物といえば、病院で買ってもらったワンピースだけだ。仕方がない、今はコレを着るしかないか。
という事であらためてワンピースを着直し、玄関へと向かうと、そこにはトラが靴を穿いて待っていた。
「やっぱり僕も行きます。――べ、別に心配とかじゃないんですけど、なんとなくです」
やはり視線は合わさずにトラは言った。
どんな心境の変化だろうか。でもいいか、一緒に買い物、良いじゃないか。以前だって何度か買い物に付き合ってもらった事があるんだし。
「そりゃ良かった。それでどうだ?この格好なら変じゃないだろ?」
念の為にトラに確認を取る。さっきはトラにツッコミをされたからだ。
トラはちらりとだけ俺の全身を視界に入れ、答えた。
「ええ、うん。問題ないと思います」
やはりそっけない。おじさん寂しいねえ。
だがしかし、俺は大人だからな、気を取り直そう。
「よし、んじゃ行こうか」
◇◆◇
スーパーへの道中、ワンピース姿の俺はトラと歩いていた。しかしトラは足早で、俺の少し前を歩いている。それはまるで、一緒に歩いていると思われたくないかのようだ。
これでは話しかける事もままならず、一緒にいる意味が無いんだけど。これは……俺の想像以上にトラは怒っているのだろうなあ。どうしたものか、困ったものだ。
いつものスーパーに着くと、トラはカゴを手に取った。
「僕が持ちます」
それだけ。それもこちらをチラリとも見ないままで。嫌われてるのに気を使われるというのは、なんとも不思議な気持ちだ。
そのまま野菜が並ぶ場所へ行くと、トラは今度は隣に立った。手に取った野菜なんかをカゴに入れやすいように隣に立ってくれているんだろう。
まあ、ここでも先を歩かれたらトラを走って捕まえ、カゴに放り込んでただろうけども。
今日は簡単に、野菜炒めで良いだろう。キャベツ、玉ねぎ、人参、それにピーマン。……トラって好き嫌いなかったはずだよな?
「なあトラ、嫌いな物ってあるか?」
「んー、特に無い……いや、納豆とレバーですかね」
あっさりと答えてくれた。無視されたらどうしようかと思ったよ。
ついでだから、この際聞いておくか。
「じゃあ、好きな物ってあるか?」
「それは――!!」
そこまで応えて、俺を見たトラは口を押さえて立ち止まった。何故か顔が赤いような気がする。
うーん、分からん。思春期の少年は読めなすぎるぞ。
「――えーと、肉、そう!肉です!」
そう応え、またしても先に歩き始めた。なんだかよく分からんが、まあ肉は好きだよな。それは分かるぞ。
トラを追いかけると、牛肉コーナーで立ち止まっていた。そんなに肉が食べたかったのか、しょうがない、今日は肉多めの野菜炒めにするかあ。だが牛じゃない。
「おいおい、今日は牛じゃなくて豚肉だぞ。ほら、もうちょい先だ」
トラに声を掛けて、豚バラ肉の場所まで移動した。普段は脂身少なめを選んでるけど、今日はトラもいるし脂身多めのにするか。
こうして、無事に今晩の食材を買った俺たちは家へとたどりついた。そしてやっぱり帰りでも荷物を持ったトラは先行して歩いてしまって話す事も出来なかったんだけど。
「晩飯作るからゆっくりしててくれ」
エプロンを取り出し、紐を結んだ。
そしてスーパーの袋から野菜や肉を取り出し、野菜炒めを作り始めた。
◇◆◇
「出来たぞー。ご飯の準備手伝ってくれー」
野菜炒めを作り終え、皿に盛ってダイニングの机まで運んでそう声を掛けると、トラも茶碗を取り出し、ご飯をよそって机まで運んでくれた。無言で。
「トラはこっち、俺はこっちな」
俺の考えでは、この食事であらためて謝りたいと考えていた。流石にこれから一緒に暮らすというのに、こんな状態が続くのでは俺の精神が持たないからだ。おじさんは繊細なんだよ。
トラは俺の正面に腰掛けた。そして俺も心の準備と合わせて全ての準備を終え、腰掛けた。
「食べる前に、一ついいか?」
少しだけ緊張感が走る。いや、この緊張感は俺が勝手に感じているだけだと思うけど。
「これまでの1週間、なんの連絡せずにすまなかった! トラを預かる身でありながら本当にごめん!」
そう言って頭を下げた。
それに対するトラの反応は、俺の想像していたものと違っていた。
「え!? おじさん、どうしたの急に? 別に僕、それはもう怒ってないよ」
ん?
「え? だったらどうして、俺から顔をそむけたり、離れて歩いたりしたんだ? 俺がトラを怒らせたからじゃないのか?」
「――そ、それは……」
そうだ。怒っていないのであれば、だったらあの態度はどこから来ているものなんだ?
でもそうか、怒ってないのか、良かった。本当に良かった。
それから暫く、トラは沈黙を続けた。よほど言えない事なのだろう。
気まずい空気が流れる。せっかく怒ってないと分かったのに、これじゃ不味い。ここは大人が話を進めるとするか。
「――ああ良かった。トラが怒ってるわけじゃなかったんだな。いや~おじさん嫌われたか怒ってるかと思って寂しかったんだぞ。目を合わせてくれないし、買い物に出掛けた時も先に行っちゃうし」
「ごめんなさい。おじさんにそんな思いをさせてるなんて気付かなかった。 ――でも理由は言えない。というか、僕自身も良く分からなくて。それでも僕の態度は確かに悪かったし、だからおじさんを勘違いさせてしまって、僕のほうこそ、ごめんなさい」
「うん、良いよ。よくあるすれ違いってやつだ。だからこの件はこれで終わり、な! ――でもトラ、一つだけお願いがある。俺と話す時はお互いの目を見て話そう。いいな?」
この言葉で、トラはずっとそむけていた顔を、目を、やっと俺に向けてくれた。
それはおそるおそる、何故か緊張しているようで、覚悟を決めるような決意の籠もった瞳だった。
「――はい」
俺の目を真っ直ぐ見て、そう応えた。
「うん。それじゃあ美味しくご飯を食べよう。今日はお肉多めの野菜炒めだぞ! じゃあ、いただきます」
「いただきます!!」
俺とトラは両手を合わせて、それからご飯を食べ始めた。
「やっぱりおじさん料理上手いよね、めっちゃ美味しいよ!」
「おう、独身中年を舐めるなよ。こう見えても自炊派だからな。――ああそうだ、家にいる間はトラにも料理を覚えて貰うからな、そのうち交代制にするから、覚悟しとけよ~」
「ええ~、……でもまあ、おじさんに教えて貰えるなら、それも良いかな」
「お、言ったな~。それじゃあ、厳しくいくとするか!」
この日の晩ご飯の時間は楽しく、これからの楽しい日々を想像させるかのような時間だった。




