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24.境界線

「――はぁ」


 ため息を吐いた。

 これからのことを考えると少し緊張が走り、僅かに憂鬱になる。

 なぜ俺は――あんな水着を買ってしまったのだろう。


 今日は予定通り海に遊びに行く。

 小夏(こなつ)ちゃん(猪原 小夏(いはら こなつ))と菜摘(なつみ)ちゃん(鹿島 菜摘(かしま なつみ))と俺の3人と、それからトラとその友達、鳥野 秀司(とりのしゅうじ)くんと牛山 香(うしやま かおる)くんで合わせて6人。

 学校最寄りの駅で待ち合わせをして、今は6人揃って海へ向かう電車に乗っているところだ。


 小夏ちゃんや鳥野くんを中心にみんな楽しそうにおしゃべりをしていて、全体の雰囲気も悪くない。

 だけど、後悔していた。

 昨晩、念の為に、小夏ちゃんたちと以前買った水着を試着してみた。そして鏡で自分の姿を見た時、その姿に対し、強い羞恥を覚えた。

 もはや見慣れてしまった自分の身体と黒いビキニの組み合わせ、この下着姿同然の格好はとんでもない露出の量で、これでトラの前に出ることを想像するとそれだけで頭に血が登ってくる。


「これを……トラに……?」


 買った時はそこまで恥ずかしいと思わなかったというのに、今になって恥ずかしいと思うなんて、やっぱり自分は変わってきているということなのだろうか。いや、まだ俺は俺のままのはず……だ。

 どちらにせよ……この姿をトラに見せるのか……。

 結局、踏ん切りがつかないまま、ここまで来てしまったというわけだ。


「どうしたの? 悠木」


 トラの声に我に還る。

 海に近づくにつれて徐々に混み始めた電車は、海水浴客が多いことが容易に想像できた。

 そして、人が増えるに連れて狭くなっていくスペースで、俺とトラはほかのみんなと離れてしまい、トラは俺を他の乗客から守るように間に立ち、壁となってくれていた。そんなトラが頭上から声をかけてきたのだ。


「あ、いや」


 そう応えて顔をあげ、トラの顔を見た瞬間、脳裏に自分の水着姿がよぎった。


「……なんでもない」


 それだけ応えるのがやっとで、トラの顔から視線を外して窓の外に目をやった。

 多分今、俺の頬は紅くなっているだろう、どれくらいかは分からないけど、間違いなくだ。


「ふーん。――あ、海」


 トラの声でやっと車窓の景色が目に入った。

 遠くに広がる一面の海と、そして手前に広がる砂浜に大量の人の影。どうやらこの海水浴場は人気のスポットのようだ。


◇◆◇


 目的地へ到着し、電車を降りる。

 簡単にいったけど、電車にいた人の大半がこの駅で降りていて、混雑を極めていた。

 みんなが駅前で集合し、全員の無事を確認した。


「ひゃーっ! すごかったねえ、そっちは大丈夫だった?」


 小夏ちゃんがはぐれた俺とトラに向けて言った。


「うん、大丈夫だった。トラが壁になってくれてたからな」


 そう応えた瞬間、小夏ちゃんはニヤニヤし始めた。


「いや~、熱い熱い、ねえ菜摘ちゃん、急に熱くなったと思わない?」


「そうですね、本当に羨ましいです」


「おいトラ、あんまり見せつけんなよ。今日は6人で楽しく遊びに来たんだからな!」


「そうだそうだ、いつの間にか二人だけ居なくなってるとか勘弁してね」


 鳥野くんと牛山くんに詰め寄られるトラは、嬉しそうに照れ笑いをしていた。


「分かってるって。今日はちゃんと6人で遊ぶつもりだから、悠木と抜け出したりしない。安心しろ」


 そんな感じでひとしきり盛り上がった後、場所取りのために海水浴場へと移動しはじめた。


◇◆◇


「うへ~、電車からも見えてたけど、混んでるね~」


「こりゃあ場所取るのに一苦労だ」


 小夏ちゃんと鳥野くんが人だらけの砂浜を見回して言った。

 7月ともなれば夏休み前でも海水浴客は多かった。もっと早く来たら良かったと小夏ちゃんはボヤいていたが10時前でコレなんだから多少早くしても変わらないだろう。


「着替える前に場所の確保だけはしとこうぜ」


 鳥野くんの提案により、まずは場所を確保することとなった。俺たちはなんとか空いているスペースを見つけて、そこにシートを広げた。


「先に悠木たちが着替えてきなよ、僕らはここで待ってるから」


「そうか? 別にトラたちが先に着替えてきても――」


「分かった! じゃあ待っててね南川くん!」


 出来るだけ水着に着替えることを先延ばししたい俺の心を見透かしたように、小夏ちゃんは俺の言葉を遮って俺を掴んで更衣室に引っ張っていった。


「ダメだよ悠木ちゃん。早くお披露目してあげないと!」


 小夏ちゃんとそれに引っ張られる俺、その後を追うように菜摘ちゃんの順に更衣室へと入っていった。


◇◆◇


 ここまで来てしまったら、もう覚悟を決めて着替えるしかない。

 更衣室のロッカーの前、黒のビキニを手にしてあらためて決意を固めた。


 とはいえ、とはいえだ。女物の下着や服を着ることにはすっかり慣れてしまったけど、この、面積の小さい下着のような衣類を身に着けて、それだけならまだしも人前に出るなんて想像は……買う時にも想像はしていたはずなのに、こんな風に感じるとは思っていなかった。


「悠木ちゃん、着替え終わった? ってまだ全然じゃん!」


 隣の列の更衣室で着替え終わった小夏ちゃんが、日焼け止めを塗りながら顔を覗かせた。


「あ、す、すぐに着替えるから!」


 慌てて応えて、服に手をかけた。

 そして勢いのまま、黒ビキニの水着へと着替えを終わらせたのだった。


「あ、着替え終わった?じゃあ日焼け止め塗るの手伝って、3人で手分けしようよ」


 小夏ちゃんと菜摘ちゃん、そして俺の3人でお互いの背中や一人で塗りにくい箇所に日焼け止めを塗りあった。

 俺の黒くて長い髪も動きやすいようにポニーテールとして後ろで縛った。


「悠木ちゃんは肌が白くて綺麗だね、髪もキューティクルが整っててツヤがあるし、羨ましいなあ」


 背中を塗ってくれていた菜摘ちゃんがそんなことを言った。

 俺からすれば、菜摘ちゃんだって十分に肌が綺麗で髪のツヤもあるように見えるんだけどなあ。


「それに……胸も大きいしね!」


 小夏ちゃんが胸を下から持ち上げるように塗りだした。

 確かに胸は標準的なサイズより大きいと思う、それも結構な大きさだ。

 男の時は大好きな部位で、大きければ大きいほど良い。なんて思ってたけど、自分の身となると、当然見方が変わってくる。男の視線があつまるのは当然として、意外と女子の視線があることに気づく。

 元男からすれば見たくなる気持ちは分かるので、何もしてこない限りは好きなだけ見れば良い、と気にしないことにしている。


 そんなことをしているうちに、最初に感じていた恥ずかしさは薄れて消えていった。

 女の子の肌に直接触れている、という男なら嬉しいはずのこの行為に対して、最初は緊張こそしたものの、興奮を覚えるようなことはなかった。

 それが、少しだけ不思議だった。


◇◆◇


「おまたせー」


 留守番しているトラたちにワンピース水着姿の小夏ちゃんが元気に声をかけた。


「時間かかりすぎー、おっそいぞ!」


 水着に着替えてから日焼け止めを塗り合って、多少のじゃれあいはしたからトラたちを結構待たせたと思う。

 しかしそんな鳥野くんの文句を小夏ちゃんは意に介せず続けた。


「女の子は準備がかかるものなんだよ。それにほら、可愛い女の子の水着姿だぞー、(あが)(たてまつ)れ~」


 その言葉に振り向く男子3人、反応はそれぞれだ。やや興奮気味な鳥野くん、恥ずかしそうに視線を外す牛山くん、そしてトラは俺の水着姿を見た後に立ち上がり、俺の前まで来た。


 じっと俺を見つめるトラ。俺はもうとっくに緊張と恥ずかしさで爆発しそうなほどに鼓動が鳴りやまない。というか、何も言わないのはそれはそれでプレッシャーなんだけど!


「――悠木」


「……お、おう」


「……大人っぽくて、凄く綺麗だ」


「……あ、ありがと」


 トラの背後では、鳥野くんや小夏ちゃんが(はや)し立てているけど、全く耳に入らない。

 緊張と、嬉しさで、心臓が早鐘を打ち続けていた。

 今、抱き締められたら、俺はダメになってしまうかもしれない。それくらいの極度の緊張とトラに褒められた大きな喜びがあった。


 俺とトラの間には、お互いの心臓の音だけがする空間だった。

 見つめ合い、次に発展する可能性だけがあった。


 しかし、そんな空気は、ぶち壊された。


「おいトラ! 盛り上がってるとこ悪いけど、暑すぎて無理だ、着替えるぞ」


 鳥野くんはそう言って、トラの首根っこを掴んで引きずった。

 小夏ちゃんが俺を引っ張っていったように、鳥野くんもトラを連れて行った。


「ごめんね北条さん」


 牛山くんは一言謝り、鳥野くんの後を追いかけていった。


 トラの姿が離れたのを確認すると、一気に緊張から解放された。

 先程までのことが嘘のように鼓動が落ち着き、冷静さを取り戻した。つまり、さっきの俺の心情は何かの間違いで、今の自分こそが正しい状態なのだ、ということだ。

 こんな、水着と海、というシチュエーションのせいでおかしくなっていたに違いない。決してトラに心を奪われたわけじゃない、はずだ。


「流石に空気読めよー、と思うけどね。暑いのは分かるけどさー」


「でも、かなり注目集めてましたよ」


「確かに、絶対ドキドキして見てたよね。私らもだけど」


「悠木ちゃんの緊張感が伝わってきましたね」


「……なんか、俺の反応見て楽しんでない?」


「そんなこと~~、あるよ!」

「ごちそうさまでした」


 実に楽しそうに応える小夏ちゃんと菜摘ちゃん。

 ……まあ、二人が楽しめたならそれはそれで良いか。注目を集めてしまったのは余計だったけど。


◇◆◇


 3人でシートに座ってトラたちを待っていると、不意に声をかけられた。

 トラでもない、鳥野くんや牛山くんでもない、知らない声。


「君たち高校生? 可愛いねー」


 振り向くとそこには大学生くらいの男たち3人がいて、俺たちを見下ろしていた。

 嫌な予感がした。

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