22.恥ずかしさ
気づいたら、白く大きなベッドに裸で横たわっていた。
眼の前には俺と同じように裸のトラがいて、覆いかぶさって俺の顔をじっと見ている。
少しずつ俺との距離を縮めてきて、お互いの唇が触れ合うまで数センチ、という距離まで近づくと俺は何故かトラの背中に両手を回していた。
そんな事をしようと全く思ってなかったにもかかわらず、知らずのうちにだ。
心の中では「おい、トラ、やめろ!」「離せ!」と叫び、暴れているつもりだが、全く声も出なければ、身体が思うように動かない。
更に近づくトラの唇、それに対し不思議と嫌悪感や忌避感は全く湧いてこず、はやく触れ合いたいとでも言うように、身体が勝手にまぶたを閉じてしまう。
自分の意志とは関係なく、勝手に、まるで身体がトラを求めているかのようだった。
裸で抱き合い、キスをするなんて、俺とトラはまだそんな関係じゃないはずだ。あくまで俺は、トラがちゃんとした女の子を好きになるのを助ける。そういう存在で、そうじゃなきゃいけないはずだ。
――それにこんなの、まだ早い。俺の心の準備だって出来てないんだぞ!!
トラの背中を抱く両手を離し、全力でトラを押しのけようと思っているはずなのに、やっぱり身体は言うことを効かない。目を瞑っているはずなのに近づく唇が鮮明に映り、触れ合う瞬間――。
俺は最後の力を振り絞り大声で叫んだ。
「わあぁぁっ!!!!」
さっきまでの光景が嘘のように、そこは俺の部屋で、シングルサイズのベッドの上で、トラの姿はそこにはなく、寝間着姿の俺だけがいた。
「ゆ……夢か……」
全身が汗ぐっしょりと濡れていて、手のひらまでじんわり熱い。きっと良い夢ではなかったのだろうと分かる。だが、肝心の夢の内容は少しも思い出せない。
高い所から落ちる夢か、はたまた救いのない閉所空間に押し潰される夢か。なんにせよ、こんな汗をかく夢だ、思い出さないほうが良いに決まってる。
時計を見るとまだ6時前、少し早いがシャワーを浴びて汗を流し、朝食を作り始めるにはちょうど良い時間だろう。
「汗でも流すか……」
独り言をつぶやき、無意識に唇をなぞった後、替えの下着を取り出して浴室へと向かった。
◇◆◇
汗を流し、朝食と弁当の準備をしているところへ、顔を洗ったトラがリビングへとやってきた。
トラの姿を見た瞬間、心臓の鼓動が跳ねた。何故だか分からないけど、トラの唇へと視線が行く。それに顔も熱くなっているような気がする。
「……おはよう、悠木」
「……ああ、おはよう、トラ」
お互い気まずそうに挨拶を交わした。俺はトラと視線を交わさないようにしていた。
多分、昨日のトラの告白が効いているんだ。それを受けた余韻がまだ俺に残っていて、そしてトラは告白したことで、余計に俺を意識するようになっているんだと思う。
まるで思春期のような……いや、トラは思春期だから自然な反応だ。
だが俺は違うはずだろう。元おじさんで結婚はしてなかったけど、それなりに恋愛経験はあって、ちゃんと彼女だっていた。なのになんだ、まるで俺まで思春期のようになってしまっているじゃないか。大人の余裕はどこへ行った。
男から女の子になったことで景色が変わり、異性――男の見え方も変わってきている気がする。その変化が、俺の心まで揺らしているのだろうか。 心も、身体に引きずられるように年相応になってしまうのか? 今までの俺の存在はいったいどうなるのか……。
――まるで、自分が自分でなくなっていくような、そんな不安が心の中に芽生えていた。
「……何か手伝おうか?」
トラの言葉に我に返った。
「――ん。あ! 大丈夫大丈夫! ああでも、もうすぐ出来るから食器出しといて貰おうかな」
「分かった」
料理に集中しているふりをしてトラの顔を見ず、いつものように、軽く応えた。
今、トラの顔を見たら平静ではいられないだろう。特に理由は見当たらないけど、多分そうなる。いや、別に理由は思い当たらないけど、見るのは危険だと思う。
◇◆◇
朝食を作り終え、トラに配膳をお願いした。その間に2つの弁当に料理を詰め込む。
トラの弁当箱は運動系の部活やってる男の子の弁当らしく、大きくて容量も多い。それに比べて俺の弁当箱は小さく、トラの半分にも満たない容量に見える。
そんな大容量の弁当をトラが毎日残さず食べきってくれるのは、嬉しい。あくまで作りがいがある、という意味でだ。他意はない。
ダイニングに置かれたテーブルに2つの弁当を置き、トラと一緒に朝食を食べた。
この日の朝食は僅かな緊張感に包まれたまま、お互い終始無言で、一度も目を合わさないままだった。食べ終わると「ごちそうさま」とだけ口にして、出かける準備を始めるために席を離れた。
そして出かける時間となり、トラは先に玄関内で俺を待っていた。
いつもなら玄関先で俺を待っているのに、今日に限ってはそこで俺を待っている。
なんとなく顔を合わせたくない俺としては、先に外に出ていてくれると良いんだけど。などと思いつつ、諦めて靴を履き、立ち上がろうとした時、頭上から手が差し出された。当然、トラの手だ。
その手を取るかどうか迷った。取りたい気持ちと取りたくない気持ちの半々だ。
「――悠木」
トラの声を聞いた瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。思わず顔をあげてトラを見てしまった。――そして俺は、観念してトラの手を取った。
そんな表情をされたら、手を取らないわけにはいかないじゃないか。
トラのその顔は、いつもの微笑みでも、時折見せる慈愛の表情でもなかった。それは俺には、今にも泣き出しそうな子供に見えた。
それはトラが小さな頃にも見た事があった。その時の俺は虫の居どころが悪く、トラを冷たくあしらった時に見せたあの表情。まるで心の拠り所を無くしたような、寂しさと切なさを滲ませ、泣きたいのを堪えていた。その表情だ。
「すまなかった。トラ」
真正面から見据え、謝罪の気持ちを伝えた。
するとトラは、勢いよく俺を抱き締めた。突然の抱擁に鼓動が跳ね上がり、体温が上がるのを感じる。
「なんで僕を見てくれないの!? 僕はずっと悠木を見てるのに!!」
……ああ、これは完全に俺が悪い。
俺は恥ずかしさからトラの顔を見れずにいた。でもトラにとって、それは“拒絶”だったのだ。きっとトラは本当に俺を見ていたのだろう。昨日告白したことも合わせて、どんな風に自分を見てくれるか、それをきっと楽しみにしていたに違いない。
だが俺は、結局玄関まで一目もトラの目を見ることがなかった。それがトラの心に傷を負わせたのだ。
――こりゃあ、俺も少しは正直になるしかないか。可愛いトラのためだ。
「ごめんな、トラ。目を合わさなかったのは、その……あれだ。昨日のアレがあったから少し恥ずかしくてな……」
「――え……それって……悠木も僕を意識してくれてる、ってこと?」
うん。正直に、そう、少し正直に、だ。
「まあ……そうだな。トラに勘違いして欲しくないけど、俺だって別に嫌々受けたわけじゃない、からな」
そう返すと、トラは抱き締める腕に力が入った。かなり。
「ちょ!! 強い! 苦しいって!!」
「あっ! ごめん悠木!」
トラは慌ててこめた力を緩め、優しく抱き締め直した。
「でも本当に嬉しいんだ。昨日の返事の感じだと、しょうがなく僕の告白を受けた、そう感じたから……」
「本当に嫌ならいくらトラの告白でも受けねーよ。だから、まあ、悪かった、ごめんな」
トラの髪を撫でながらそう応えた。
「分かった。じゃあ許すからさ、その……キスしても――」
「それはダメだ! 調子に乗るな!」
「え~~~」
そんなに俺とキスしたいのか? 俺なんかと?
「――ったく、そういうのは…………徐々にだ、徐々に。分かったか?」
そう応えるとトラは喜色満面になった。
「うん! 悠木に認めてもらえるように、頑張るよ! 本気だからね!」
本当に嬉しそうだ。
……だけど本気になるなよ。こんな俺の何が良いんだか……。
その後は、いつものように手を繋いで登校した。
だけど、いつもと同じはずなのに、なんだか新鮮で、いつもより温かく、トラの存在を強く感じるような気がした。
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