19.膝枕
ご褒美……ご褒美、か……。
1人ソファにもたれ掛かり、思案していた。
今はいつものようにトラと一緒に晩御飯を食べて、食後のまったりタイムだ。
トラはキッチンで片付けた食器を洗っている。
さて小夏ちゃんとのやりとりでトラにご褒美をやろうと思ったわけだけれど、冷静に考えたら俺の膝枕とか、なんのご褒美にもなってないどころか、普通に嫌がるんじゃないか?だっておれは元おじさんで、トラは元の姿を知ってるんだぞ?
手を繋ぐのだって周りに“付き合ってるフリ”を見せつけるためで、それ以上の意味は――ない、はずだ。少なくとも俺はそう思っていた。
それをこんな誰にも見せる必要のないプライベートの場で膝枕をするなんて、やっぱりおかしくないか? 一度疑念を抱いてしまえば、それがおかしいと感じるようになる。他に何か方法はないか? と考えてしまう。
だけど金銭を伴うようなものは駄目だ。それはトラならきっと丁寧にお断りされてしまうだろう。
一体どうすれば……う~ん……。
「何か考えごと?」
食器を洗い終わったトラがソファーの反対側へと座った。
3人がけソファーの、向かって右端が俺、左端にはトラが座る、それが定位置となっていた。
「ああ、いや……うん……。なんでもない」
取り繕うようにテレビのリモコンを手に取り、点けながらてきとうに返事をした。
その間、トラはまるで俺の心を見透かそうとでもいう様に、俺の顔をじっと見ていた。
「困りごとがあったらなんでも聞くよ。悠木の力にはなれないかもしれないけど、少しは気が楽になるかもしれないし」
トラの言葉が胸に込み上げる。なんて優しい子に育ったんだ……! と勝手に感動した。
「そうだな。――――まあいっか」
どうせ考えが纏まらない。代案も思いつかない。だったら、最初の案で行ってみるとしよう。それこそ、トラが嫌がるようならそこで終わりにして冗談って事にすれば良い。そうだな、そうしよう。
◇◆◇
俺は意を決して、ソファーの座る位置を1つずらした。トラの隣へと間合いを詰めた。
「じゃあ聞いてもらおうかな」
後で冗談と言い訳しやすいように、少しだけ保険をかけて、ニヤリと笑みを浮かべ、意地悪そうに言った。
「え。うん――」
トラの方は俺が間合いを詰める事をなど想像もしていなかったのだろう、少しだけ身を引き、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえたような気がした。
「いつもトラには気を使って貰ったり、守って貰ってるからさ、少しはご褒美を上げようと思ってな。――ほら、緊張してないで肩の力を抜け」
そう言って両手を伸ばし、トラの両肩を掴んだ。
「え!? 何急に!?」
トラは俺の手から逃れるように抵抗した。だけどそれは本気の抵抗ではなかった、もし本気で抵抗されたら、俺の手なんか容易に外せるはずだ。
そんな僅かな抵抗を示すトラに対し、俺が本気だと示すために、思い切り自分の胸元へとトラを引き寄せた。
「わっっぷ!?」
そのままトラの頭を胸元へ引き寄せると、トラが逃れようとして身体をよじるので、思わず両腕で頭ごと抱き締めた。すると抵抗はすっと止まり、トラは大人しくなった。
「ご褒美だって言っただろ。今から膝枕してやるから、大人しくしてろ」
その言葉に対し、トラはうんともすんとも反応が無く、ただ胸元で大人しくしていた。
そして俺はトラに対し、あえて言葉にするなら母性とでも言うのだろうか、慈しみのような感情が芽生えていた。
さらさらの髪をそっと撫でると、シャンプーの柑橘の匂いの奥に、うっすらと汗の温度が混じる。嫌な匂いではなく、スポーツマンらしい、爽やかな匂いとでもいうべきなのだろうか。そしてそれが妙に“生っぽい”というか、近さを意識させる匂いだった。
髪の触り心地と匂い、芽生えた母性のせいで膝枕という目的をすっかり忘れて、髪を撫で続けていた。
すると突然、トラが俺の腕を跳ね除けた。
「――あのさ! ハァ……ハァ……膝枕……するって言ってなかったっけ……? ハァ……ハァ……」
トラは顔を真っ赤にしながら、肩で息をしていた。苦しさだけじゃない、どこか照れたような熱がこもっている。それに自分の胸の間がじんわりと熱を持っている事に気づいて、やりすぎた事を悟った。
胸元へと強く抱き締めすぎたために、トラの呼吸するためのスペースに余裕が無く、そしてその吐息が俺の胸の間へ吐き出され続けた結果だろう。
トラからすれば、膝枕の前に少しの時間だけ抱きつかれた、そのつもりだったと思う。だから呼吸が苦しくても我慢していたけど、俺が夢中になってしまい終わる様子が見えない、結果、我慢しきれずに振りほどいた、こういう事だろう。
「あ、そうだった! あ~~、じゃあ……する?」
一応確認してみる。
こんな事になってしまっては拒否されてしまっても仕方がないと思うけど、一応だ。
だけど、そんな心配は杞憂だった。
「うん」
呼吸を整えた後、トラは頷きながらそう応えた。
「じゃあほら! こっちおいで!」
あんな事をしてしまったのに、トラは優しい。俺は嬉しくなり、自分の太ももをぽんぽんと叩いて招いた。
トラは俺の太ももの上に、そっと頭を置いた。
こうして、やっとの事で当初の目的だったご褒美の膝枕をする事ができた。
◇◆◇
――さて。
膝枕をしたはいいが、この後はどうすればいいんだ?
トラの方を見ると、何をするとも無しに目を瞑って腕を組んでいる。俺は俺で先程のように髪を撫でるなど無く、手持ち無沙汰だ。
「悠木。テレビ、消していい?」
「……いいけど」
トラはいつの間にか手にしていたリモコンでテレビを消し、リモコンをテーブルの上に戻した。
テレビを消した事で、さらに静かな空間へとなった。
「ねえ悠木」
「何?」
「耳かきしてよ」
「耳かき……」
そりゃあ別に構わないが……。
「人に耳かきなんかした事ないぞ」
独身中年男性が他人への耳かきの経験はそうそうないだろう。
そして例に漏れず俺もそうだ。
「――あるよ」
え?
「僕が小2の時、おじさんに膝枕してもらって、耳かきもしてもらったんだけど、覚えてない?」
トラが小2の時……?
膝枕して、耳かきまでしたって? ……そんなはずが……あ!!
「……思い出した」
トラの耳かきをした。
あれはたしか……。
「僕が指で耳をほじってばかりいたから、おじさんが見かねて耳かきしてくれたんだよね」
そうだ、小2の時、トラがやけに耳を気にしていたから、一度見てあげたんだ。
見た限りでは問題なさそうだったけど、トラのお母さんにはこんな事があった、と伝えておいたんだっけ。
「しょうがない、やってやるか。ちょっと待ってろ」
そう言って、一度トラの身体を起こして耳かきを取って戻った。
「いいぞ」
そう言って太ももをぽんぽんと叩くと、トラはそこへ頭を置いた。
「お願いね」
「おう、任せとけ」
こうして、トラの右耳の耳かきをしたのだった。
「――まあ、こんなもんだろ。さ、反対側だ」
問題無く右耳の耳かきが終わり、次は反対の左耳だ。
トラがソファーの反対側へと移動し、膝枕で正面を向いたまま左耳をこちらに向ける。俺はそう予想していた。
しかしトラは俺の予想と違い、そのままの状態で、俺の身体の方へ向けて反転させた。普通膝枕というのは正面、つまり俺と同じ方向を向くものだろう。
「……まあいいや、やるぞ」
「お願い」
半ば呆れつつ、左耳を覗き、掃除を始めた。
◇◆◇
「よし、終わった~~」
耳かきが終わった。
特段デカいのが出たとか、失敗して傷を付けたとか、そういったハプニングやイベントも無く、無事にだ。
その証拠に、トラは俺の膝枕ですやすやと眠っている。
「……ん、あれ? 終わった?」
「ああ、終わったぞ。良く眠れたみたいだな?」
「うん……心地よくて、つい」
「それくらい気持ち良かったって事だろ? それなら俺も嬉しいから気にするな」
トラはにっこりと頷き、そのままもう一度俺の膝枕に頭を下ろした。
結局その日は、風呂に入っているあいだ以外、ほとんどずっとトラは俺の膝にいた。あんなに嬉しそうにしてくれるなら――それだけで、ご褒美になったと思える。
まあ、結果的にトラへのご褒美として大正解だった、という事になるのだろうか。
それなら俺も嬉しいから良いのだけど。
そしてその日を境に、トラと手を繋いで登校する事が増えた。それはトラがそれを求めてくるようになったからだ、以前のように理由をつける事無く、ただ手を繋ぎたい、そういう意思表示をするようになった。
俺としては特別に断る理由も無いのでそれを受け入れていたのだが、結果としてそれはトラの気持ちを加速させていくこととなった。




