第2話『アイドルの武術講座』
森で狼を追い払った“神の娘”――春日唯は、今や村の英雄だった。
だが本人は浮かれる暇もない。森に潜む魔物の脅威は続いており、村にはまともな武器も鎧もない。
村長に案内されて見た村の“兵士”たちは、木の棒を手に、素振りのような動きを繰り返していた。
(これじゃ、狼にも勝てない……)
唯は思った。今、自分にできること。それは――。
「護身術、教えます!」
村人たちはきょとんとしていたが、唯は笑顔で一歩前に出た。
「武器がなくても、身を守る方法はあるんです。私の“ファン”が教えてくれました。元・柔道選手とか、合気道マニアとか、いっぱい!」
唯は地面に円を描く。
「まず、“間合い”を知ること。相手に触られない距離を保つのが基本です。こう、手を伸ばして――そう、それが“自分のフィールド”!」
彼女は懐から小さなメモ帳を取り出した。そこには物販で交わしたヲタクたちの格闘技アドバイスがびっしり。
「拳よりも重心だよ、唯ちゃん。“崩し”ができれば、勝てる」
「合気道の初歩は“相手の力を使う”こと」
「真剣勝負では、先に動いた方が負けることもある」
唯は思い出しながら、村人の前でゆっくりと動いて見せた。
「ほら、こうやって重心を落とすだけで、すぐ転ばないでしょ?」
手取り足取り教える彼女の元には、いつの間にか子どもたちも集まり、「ゆい様道場」が自然発生した。
村の空き地には円形の土俵が作られ、朝になると「間合い!」と叫びながら素振りをする村人の姿が日課となっていた。
◇
そんなある日、唯は村の“炊事場”を見て、言葉を失った。
黒ずんだ土の上で、鍋もないまま水を熱している。木の皿に、焼け焦げた肉と草の汁。煮沸もせずに井戸水を飲んでいる子どもたち――。
「……やばい。食中毒で全滅する……」
そうつぶやいた唯は、自分の知識の引き出しを開いた。
(確か……歴史オタのあの人が、言ってたな)
「唯ちゃん、飛鳥時代もちゃんと薪で煮炊きしてたんだよ。貯水も“甕”に溜めて、煮沸してた」
「縄文時代の土器って、意外とすごくて、煮込みもできたんだよ!」
唯は、その記憶を頼りに、村の土をこねはじめた。
「もっと粘土質の土……あ、川の下流のあたり! 焼き上がりが強くなるように、草を混ぜて、空気抜いて……」
村の子どもたちに囲まれながら、即席の“土器教室”が始まった。
「みんなで鍋、作ろう。それができたら、ごはんも安全に食べられるし、スープだって飲めるよ!」
数日後――。土器の試作品ができあがり、火にかけられると、村人たちは歓声を上げた。
煮込まれたスープから立ち上る湯気。それは“文明”の香りだった。
◇
武術と炊事。どちらも、命を守る手段。
唯が村にもたらしたのは、派手な魔法でも、剣の腕でもなかった。
ただ、人の言葉を忘れなかった少女の、記憶の積み重ねだった。
(みんな、元気に生きて。教えてくれた“あなたたちの知識”、今ちゃんと役に立ってるよ)
そう心の中でファンたちに語りかけながら、唯は村の広場で手を掲げた。
「次の稽古は、“崩しの技”いきまーす!」
彼女の声に、村人たちの「押忍!」が返る。
今日も村には、アイドルの笑顔と、ヲタクの知恵が響いていた。