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「あれ私のファーストキスだったんですけど、それを物にできた感想は?」

「そういえば私、スレイからキスをしてもらったことないですね」


「いつものことながら突拍子がないな?」



 故郷に帰り、ジュリアと結婚する旨を両親や幼馴染たちに報告したその夜。

 勝手に俺の部屋に上がり込んで、俺の使っていたベッドを占拠しているジュリアがそんなことを抜かした。



「だって私からはキスしたのに、スレイからは一回もないじゃないですか。そんな調子だとこれからの夫婦生活が破綻してしまいますよ。……分かってるとは思いますが、あくまで周りに不信感を与えないためにも、ある程度は夫婦らしい振る舞い方を、常日頃から心がけておく必要があると思ったからあえてこう言ってるだけで、私自身はスレイとキスがしたいわけではないので、勘違いしないでくださいね。まあ? スレイがどうしてもと頼み込むのであれば? もうちょっと夫婦らしいことをしてあげなくはないですよ? もし今スレイが頭を下げるなら、これから毎日おはようのチューとおやすみのチューくらいはサービスしてあげますけど? 嫌々ではありますけど、そこまでされて無碍にするのは聖女としてはなし寄りのなしですし」


「大丈夫大丈夫、そんなことのために頭を下げるつもりはサラサラないから」


「…………あの、本当はスレイって私のこと嫌いですか?」


「大好きだが?」


「み゛ゃ゛っ゛!」



 思っていることをそのまま言ったら、ジュリアが奇声を上げて枕に顔を埋めた。

 それ、俺が使ってた枕なんだけど。



「じゃあなんで私の提案を断ったんですか」



 枕に顔を埋めながら、ジュリアが質問してくる。

 なんで断ったかって言われてもなぁ。



「キスは好きだって気持ちを伝えるためにやるもんであって、頭を下げてやってもらうもんじゃないだろ。ジュリアにとってキスは、無理にさせて構わないような軽いもんなのか?」


「そういう訳じゃありませんけど……全く、乙女心が分かってませんねスレイは。そんなんだから私以外の貰い手は居なくなるんですよ」


「ジュリアに貰ってもらえるなら他の貰い手なんて俺には必要ないんだが」


「貴方はしれっとそういうことを言いますよね。このスレイめ」


「俺の名前を悪口だと思っていらっしゃる……?」



 テンポよく俺を罵倒してくるジュリア。

 いまだに、枕に顔を埋めたままで。



「あのー、そろそろその枕から顔を離してもらえないですか? 自分が使ってた寝具にそこまで引っ付かれたら恥ずかしいっていうか、変な匂いするんじゃないかって怖くなってくる」


「安心してください。御義母様の洗濯がお上手なのか、とても良い匂いがしますから。なんなら一生嗅いでいたいくらいです」



 ジュリアは枕の匂いを嗅いだまま、布団まで被り始めた。

 完全に就寝する構えである。



「もしかして、そこで寝るつもりか?」


「はい。私とスレイの二人で。ほら、こっちにおいでなさい。眠れないなら大サービスで子守唄を歌って差し上げますよ」



 そう言って、ジュリアがチョイチョイと手招きをしてくる。

 その光景に俺の自制心が揺らぎそうになる、が。

 残った理性をなんとかかき集めて、その衝動を抑えこむ。

 押さえ込んだ上で、ジュリアに真剣な眼差しを向け、口を開いた。



「なあジュリア。酸っぱいブドウの話って知ってるか?」


「ええ、存じてますよ。あれですよね。ブドウを欲しがってるキツネが、どう頑張ってもそのブドウが手に入らないもんで、『どうせあのブドウは酸っぱくて食べられたもんじゃないに決まってる』って諦めるお話のことで合ってますか?」



 大体そんな話で合ってる。

 どうしてその話を急にしたかと言うとだ。



「あれはな、欲しいものが目の前にあるのに、後ちょっとのところで手に入らない時が一番惜しくなるって話だと思うんだよ」


「ふむふむ、それで?」


「まさに俺はその状況って訳だ」



 そこまで言って、どうにも要領を得ていないジュリア。

 どうやら、懇切丁寧に教えてやらなくてはいけないらしい。



「お前のアプローチを、どうしてここまで俺が避けてると思う?」


「スレイがヘタレだからでは?」


「それもあるけどもだ」


「そこはあっさり認めるんですか……」



 俺よりもはるかに勇気があるジュリアにそう指摘されても、なんとも思わない。

 実際、俺は自分のことを臆病者だと思っているし。



「お前が子供を欲しがってるのは分かったし、そういう行為を俺とすることに抵抗がないことも把握してる。ただ、正式に結婚していないのに欲に流された行為をしたせいで、聖女の力が失われたりだとか、誰かに後ろ指を刺されるような状況になったら目も当てられないだろ?」


「そういったことは多分ないと思いますが?」


「多分ないだろうけど、確実じゃない」



 そういうことは結婚した後なら行っても問題ないが、ちゃんと結ばれていない今の状況でやってしまってケチがついてしまったら目も当てられない。

 そうなるくらいだったら、俺はいくらでも我慢できる。



「お前との結婚を妨げる要素は、全部排除しておきたい。例えどれだけ確率が低くても、その可能性の芽となることは全て潰しておきたいんだ。誰からも非難されることない、皆から祝福される結婚式を挙げたいんだよ」



 ジュリアとの結婚のためなら、俺はどこまでも我慢できるんだ。



「……なんというか、聖女である私よりも聖女っぽいですね、スレイは」


「俺男だぞ?」


「じゃあ聖人ですかね?」


「そういう柄じゃねえよ。それに今俺が考えてることを思ったら、聖人なんて、とてもじゃないが言えないわ」


「はて? 一体どのような不埒なことを考えておられるのですか?」

 


 ……できれば、隠しておきたかったけれど、明かさないのはフェアではないか。

 本当に嫌だけど、覚悟を決めて打ち明けよう。



「俺だって男だし、そういう欲望は持ってるんだよ。正直、結構ギリギリですらある」


「そ、そうだったんですか……」



 俺の心の内を聞いて、顔を赤らめるジュリア。

 昔から、反撃に弱いジュリアらしい表情だ。

 そんな弱々しくなっている目を逸らそうとするジュリアの頬に手を当て、視線をこちらに向けさせる。

 こういうことは、ちゃんと目を見て話さないといけないと思ったから。



「そんな溜め込んだものが決壊したらどうなるか分かったもんじゃない。長年押さえ込んでた想いだったんだからな。もしかしたらジュリアに拒絶されるかもしれない」



 さらに顔を紅潮させる聖女様に向かって、懺悔した。



「けれど、一度結婚してしまえば、お前も俺から逃げないだろ? なんだかんだでジュリアは真面目な聖女様だからな」



 そこまで言い切って、俺はジュリアから手を離してそっぽを向く。

 ああ、なんて恥ずかしいことを言ってしまったんだ俺は!



「……と、まあ、こんな感じの重たい男なもんで、そこから逃げるための猶予を与えようって理由もあるんだよ。まだ結婚していない内なら、どうにか諦めがつくし」



 突然こんなことを言われて引かないだろうか?

 いや普通引くわ。何を考えてるんだ俺は。

 今すぐ布団にかぶって引き篭もりたい。

 あ、でも俺の布団はジュリアがかぶってるんだった。

 いっそのこと家から飛び出して……。



「スレイ、王城でのことを覚えていますか?」



 背後から、ジュリアの声が聞こえてくる。

 俺を落ち着かせるような、優しい声色で。



「……覚えてるって言うか、忘れられるかよ。あんな公衆の面前でキスなんかしやがって」


「あれ私のファーストキスだったんですけど、それを物にできた感想は?」



 初めて、だったのか。

 聖女だから、それもそうなんだけど、それでも。



「それなら、飛び上がるほど嬉しいよ。俺が初めての相手なんて光栄にも程がある」


「そうですか。それで、スレイは? スレイも初めてでしたか?」


「……初めて、だったけど」



 そこまで言い切ったところで、背中に温かい重みを感じた。

 見なくても分かる。

 ジュリアが背中にもたれかかってきたのだろう。



「だったら、私もとても嬉しいです。しかも、多くの偉い人が集まっている中でこの勇者様は自分のものだとアピールできて、最高の優越感に浸れました。その上結婚宣言までしたのでもはや公然の事実にできましたし」


「急に何を……」


「スレイが罪悪感を覚えているその独占欲は、男女の関係なら皆が普通に持ってるものです。無理に自分を貶める必要はありません。誰しもが普通に、一般的に持っている欲求なんですよ」



 その聖女様の言葉に、俺は何も言えなくなった。

 無言になった俺に向かって、ジュリアは続ける。



「むしろ、私に対してちゃんとそういう気持ちがあることが知れて嬉しかったですよ。これから夫婦になるんですから、辛いことはなんでも相談してください。聖女だからではなく、貴方の妻のジュリアとして、夫であるスレイの悩みを聞いて差し上げますから」


「…………っ!」



 やっぱり、ジュリアは聖女様だ。

 こんな汚い欲望を持っている俺のことを受け入れてくれるんだから。

 俺から逃げず、寄り添って癒してくれる。

 ああ、こんな人を妻に迎えられて、俺はどれだけ果報者なのか。



「……うん。ありがとなジュリア」


「というか、魔王を倒す旅の道中だと全然スレイから悩みとか聞かなかったんで、そういうこととは無縁だと思ってましたよ。なので悩むための脳のリソースもない単細胞のバカなんじゃないかって。人間らしく悩むんですね、スレイも」



 突然口調が雑になるジュリア。

 けれど、これも、湿っぽい空気を払拭させるためにわざとやっているのだろう。

 ……多分。



「それでは、悩みを解決した報酬をもらいましょうか」


「おい金を取るのかよ、聖女様が」


「残念ですね。今の私は聖女ではなく、貴方の妻のジュリアです。なので正当な対価を支払ってもらわなくては」


「金銭のやり取りが発生する夫婦関係って嫌だなぁ」


「ご安心ください。お金は取りませんから」



 そこまで言うと、ジュリアは俺の背中から目の前まで移動してくる。

 そして、少しイタズラっぽい笑みを浮かべながら、俺の首に抱きつき、耳元で囁いた。



「スレイから、キスしてくださいよ。私からばかりは不公平でしょう?」


「……だから、キスは」


「好きだって気持ちを伝えるためにやること。でしょう? ならまさに今やるべきじゃないですか。それに、あの広間で私からキスしても、王様からも神からも、何もお咎めがなかったんですから、これくらいならセーフですよ」



 ……確かにジュリアの言う通りだ。

 あの大観衆の中で接吻をしても問題ないなら、これは許されている行為ということになる。

 そういうことなら。



「まあ、ヘタレのスレイのことですし、恥ずかしがってできないでしょうけ、」


「ジュリア、こっちを向いてくれ」



 またも饒舌になるジュリアの言葉を遮り、先ほどと同じようにジュリアの頬に手を当てる。

 そして、そのまま……。



「……これでいいか?」


「ひゃ、ひゃい……」



 目を潤ませて、過去最高に顔を赤らめるジュリア。

 ……本当に、やったんだな。自分から。



「誰もいないところでキスするだけでも勇気がいるのに、ジュリアは凄いな。あんな大一番でかますなんてさ」


「……嫌味ですか?」


「本心からだよ」


「……まあ、少しだけヘタレではなくなったスレイに免じて見逃してあげましょう」



 それはそれは寛大な措置でございますね。

 なんて茶化そうと思ったら。



「……なんで唇を尖らせてるんだ?」



 なんかキス待ちの顔をしているジュリアがいた。



「あれだけの欲望を抱えたスレイなら、一回だけじゃ足りないと思いまして。さあ、好きなだけキスをするがいいですよ」


「いや、今日はもう一回だけで十分だ。かなり勇気振り絞ってやったし」


「聖女様の慈悲を無碍にするおつもりですか? あれだけの勇気を示したスレイの心意気に感銘を受けた私の慈愛を踏み躙ると? それはよろしくありません。私は別に構わないですけど、私は別に構わないですけど、本当に私は別に構わないですけど! そんなことをしたら私を愛している神からの天罰が落ちますよ!?」


「あの、愛してる人が自分ではない誰かにキスしまくってる光景を見たら、逆に脳が破壊されるのでは?」


「やかましい。いいからしろ。ほら、後ろはもうベッドですよ? 抵抗するようでしたら、キスのそのさらに先の壁をぶち壊すこともやぶさかではありませんが?」


「さっきの俺の話聞いてた!?」


「へへ……もう聖女としての力なんて必要ないです。なんならその服も剥ぎ取って……ふへへ……」


「いやー! 誰かー! 男の人呼んでー!」


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