「こんなに寛大な心を持っている聖女様に感謝しなさい」
魔王の城から我らが国に戻る道中。
もう少しで王都に辿り着くというところで日が暮れ始めてきた。
できることなら一刻も早く魔王討伐の報告をしたいのだが、暗闇が深くなっていく以上、モンスターの襲撃なども考えるに無暗に先に進むのは無謀というもの。
そんなわけで、途中の街で宿を借り、一泊することになったのだが。
「部屋は一つで大丈夫です。私たち夫婦ですから」
「いきなり何を仰りやがりますの???」
聖女様が何か血迷ったことを宣い始めた。
「私、何か変なことでも言いましたか? 私とスレイは夫婦ですよ? であれば二人一部屋でも何も問題ないでしょう?」
「まだ婚約であって結婚してないだろ」
「婚約してるなら充分条件は満たしていると思いますよ? さあ、明日の朝、宿屋の人に『ゆうべはおたのしみでしたね』と言われる覚悟は良いですか?」
「ないので遠慮しておきます。聖女様がそんな言葉遣いをしないでください」
「あれ? なぜかスレイと私の間の距離が離れた気がするのですが気のせいでしょうか?」
「気のせいでございますよ、ジュリア様」
「じゃあ敬語で喋るのやめてもらえません?」
そうやって取り繕ってないと耐えられないからです。
俺だって男だもの。そういう欲求はちゃんとある。
大好きな女の子から一緒に寝よう、なんて言われて喜ばない男なんてこの世に存在しないんだ。
でも、だからこそ、俺はジュリアをちゃんと大切にしたい。
曲がりなりにもこいつは聖女だ。
神に愛され、その恩恵として様々な力を得ているこいつが、不貞行為をしたら何が起こるかわかったものじゃない。
なので、ちゃんと確証が得られてから……。
「焦ったいですね。女将さん、この宿で一番いい部屋を一部屋お借りします。ほらほらさっさと行きますよスレイ。こんなところで怖気付くなんて本当に勇者ですか貴方は」
「あ! ちょっ、引っ張るな引っ張るな!」
「ごゆっくりお寛ぎくださいねー」
有無を言わさないジュリアの迫力に俺は何も言えず、そのまま聖女様にグイグイと借りた部屋へと手を引っ張られていく。
背後から女将さんの声を聞きながら。
抵抗しようと思えばできるのだが、こうなったジュリアは頑固なもんで、意地でも俺を部屋に連れ込もうとするだろう。
何か起きそうになったら、その時は全力で逃げ出せば良いか。なんて妥協案を考えながらも、あえなく俺はなすがまま部屋に入ったのだった。
「そこまで抵抗するとは失礼な勇者もいたものですよ。……あの、まさかとは思いますけど……わ、私との婚約が、その、ふ……不本意だったんですか?」
自分で連れ込んでおきながら、なんか不安そうに俺に訊ねる聖女の姿があった。
……そう言えば、俺から積極的にジュリアと結婚をしたいという意志を見せてなかったな。
婚約の話も、聖女様の方からの提案であって、俺はそれを了承したにすぎない。
全く、ジュリアの方がよっぽど勇気があるじゃないか。
この部屋に連れ込まれたのはさておき、ちゃんと俺もジュリアに返事をしなくては。
「そういうわけじゃない。俺はお前のことはちゃんと女性として好きだし、できることなら夫婦になりたいとも思ってたさ。だから、お前から婚約の話を切り出されて、本当に嬉しかったよ。でも、あまりにも俺に都合が良すぎて整理できてないっていうか……」
「ほ、ほーん。そんなに私のことをあ、愛してくれていたんですか。まあ? 神にも愛されて、世界中の人類をも魅了してしまう私であれば、たかが勇者の一人くらいはメロメロにしてもおかしくないと言いますか? まあ、この場はその言葉を聞き出せただけでも良しとしてあげなくもないですよ?」
ところどころ言葉に詰まりながらも、少しだけ普段の調子が戻ってきたジュリア。
その反応に、ジュリアも少なからずは俺に気があるのではないかと自惚れそうになる。
言っておくけれど、俺は別に鈍感系ではない。
ジュリアは俺に対して悪くはない感情を持っているってくらいの自信はある。
正確には、俺に対する好意自体はあるのだろうが、本当に異性としてのものかが分からない、というのが正しいか。
友達付き合いならともかく、夫婦としてやっていけるかの好感度はまた別のもの。
俺の不都合を帳消しにしつつ、ある程度気心が知れた相手だから婚約を提案した、妥協による結婚の可能性もあると言えばある。
そうなれば、ジュリアが本当に愛する相手が後から出てきた時に、そちらに靡いてしまうかも知れない。
正直、そんなことになったら俺は耐えられないと思う。
みっともなくジュリアに縋りつき、捨てないでくれと懇願するかもしれない。
ジュリアの幸せを考えられない、自己中心的な欲望をひけらかして。
勇者だなんだと持て囃されても、こんなに俺はジュリアに対しては臆病になってしまう。
魔王と相対した時の恐怖なんか、これに比べたら屁でもないと感じてしまうくらいに。
けれどジュリアは、
「それでは私達の結婚生活の方針を決めましょう。考えなしに結婚しても碌なことになりませんから」
俺のそんな葛藤なんてつゆ知らず、どこか楽しそうにこれからの展望について語り始めた。
「なんだかんだで一生遊んで暮らせるくらいの報酬はもらえると思うんですよ。なんせ私たちは世界を救った勇者と聖女なので。だからと言って仕事をしなくなればメリハリのついた生活も送れなくなります。実際に高齢になったことで仕事を引退した方というのは、一気に気力がなくなって記憶力の低下も加速してしまう事例が多く報告されていますし。なので、スレイには無理のない範囲で仕事をしていただいた方が良いかと思います。まあスレイなら大体の力仕事は余裕でできるでしょうけども」
「はい」
仕事に関しては俺もやっておきたい。
俺が欲しいのは、今日と変わらない平和な明日なんだから。
これからは、その平和を維持するために尽力したい。
「スレイとしては私は働くか、家のことに専念するのかどちらか希望はありますか? 仕事でしたら教会の方からいくらでも回してもらえると思いますし、働く分には問題ありませんが」
「それはジュリアがしたい方で良いよ。俺に遠慮とかせずに、好きなように過ごして欲しい」
俺は普段通りのジュリアが好きなんだ。
だから、そこに何か口を挟む気はない。
そんな気持ちが伝わったのかは分からないけれど、ジュリアはそうですか。と軽く流した。
「まあ、仕事をするにしても子供ができるかどうかで結構変わってくると思うんですよね」
「あー、子供ね。俺子供欲しかったんだよな。お前と結婚するなら無理だろうけど」
が、俺のその言葉に、ジュリアはギョッとしたような反応を示した。
「おやおや何を言うのですか? まさか貴方不能だったり? いえいえだからと言って私は貴方をバカにはしませんよ。こんなに寛大な心を持っている聖女様に感謝しなさい」
「聖女様が不能とか言うな! ……いやだってさ、形だけの結婚なわけじゃん? だったらお前も俺とは本当はそういうことしたくないわけじゃん? 嫌がる相手にそう言うのを求めるほど腐っちゃいないのよ」
ジュリアの言葉をそのまま受け取るなら、ジュリアにとって俺は慈悲の心で拾っただけの男にすぎない。
なかなか素直ではないジュリアの言葉なので、それを丸々鵜呑みにする気はないけれど、万が一の可能性がある。
しばらくそういうのはなしで過ごして、それでもし大丈夫そうなら……。
「ええ確かに貴方とそういう体験をすることを想像するだけで動悸と息切れ、頬の紅潮と精神の昂りを感じます。けれど婚約ガチ勢である以上はやはり子供がないと仮初の夫婦であることがばれてしまいます。なので仕方なく、本当に仕方なく私に触れることを許可します。決して私がふしだらな人間であると言うことではないので勘違いしないように」
そんな俺のプランを、全力でぶち抜いてくる聖女様がそこに居た。
「だから好きでもない相手とそういうことはさせたくないって……」
「やかましい。子供は最低3人ですからね」
「この聖女、勇ましすぎる……」
神様、勇者として選んだ人間間違ってませんか。
聖女の方がよっぽど勇者っぽいですよ。
なんなら聖女だけで魔王倒せたのでは。
「……ん? 待てよ、そもそも聖職者が結婚とかして良いのか? そういうのって神に身を捧げてるから無理とか聞いたことあるんだが……」
「あっそれ私は例外ですよ。そもそも私、なんの神も信仰してませんので。生まれながらにして神に愛されてるので聖女と呼ばれてるだけです。神から私への一方的な愛ですね」
このお方はどこまで規格外なのだろうか。
というか聖女が無宗教でいいのか。
一応生まれも育ちも教会だっただろお前。
「神が処女厨で聖属性魔法が使えなくなる可能性も……」
「そんなキモい神ならこっちから願い下げなのですが……」
なんか一方的に振られている神様が、可哀想に思えてきた。