16話 リンシン孤児院
「はい、こちらの《リンシン》孤児院で責任者を務めている《ケネディ》と申します。えっと、貴女は……」
「私の名前は、フィオナよ」
「……フィオナ、さん……って、まさか、現カルディアリアム伯爵!?」
「ええ」
「い、言われてみれば、面影があるような……」
カルディアリアム伯爵令嬢としてお父様と一緒に町を歩いていたので、私の顔を見たことがある領民はそこそこいる。いつもお父様の後ろで俯いて歩いているような気弱な令嬢でしたから、印象は薄いでしょうけど。私はローレイと違って、大々的にパレードを開いてお披露目なんて、時間とお金の無駄なのでしませんでしたしね。
「どうしてカルディアリアム伯爵様が、このような場所に? しかも、お一人で……」
「休暇で町をぶらぶらしているの。ただの休暇だから、私が来ていることは大事にしないで頂戴」
イリアーナに町をブラブラしていることがバレたら、休暇だと言ってもなにかと五月蝿そうですしね。出来るだけバレないに超したことはない。
「おーい、ケネディさーん! もうすぐ炊き出し始まるよー! あ、なに、お手伝いさんを連れて来てくれたの? 助かるわー! 貴女も早くこっちに来て手伝って!」
孤児院から人が出て来たと思ったら、その女性はケネディと私の姿を見付け、手をあげて私達を呼び寄せた。
「え? いえ、違います! この方は――」
「分かりました」
ケネディが否定するのを遮り、笑顔で返事を返す。
「カルディアリアム伯爵様!?」
「人手が足りていないのでしょう? 私は丁度休暇中なので、手伝わせて下さい。ああ、私のことはフィオナで結構ですよ」
「ええ!?」
「よろしくお願いします」
戸惑うケネディを置いてけぼりに、私は炊き出しと呼ばれるお手伝いをするために、呼び寄せた女性のもとに向かった。
「ほいよ! 今日は孤児院の皆に温かいスープを振る舞うから、野菜の皮むきよろしくね!」
どうやらこちらの女性は私がカルディアリアム伯爵だと気付いていないようで、何の躊躇もなく、包丁と野菜の山が入ったボールを渡してくれた。
「分かったわ」
野菜の皮むき――単純なようで難しい作業だわ。
何せ私は、前世も今世も、一切料理をしたことが無い! せめて、ここにピーラーと呼ばれる調理器具があれば……いや、嘆いていても仕方がない。
意を決してじゃがいもを手に取ると、私は包丁を走らせた。
***
「ただいま」
「お帰りなさいませフィオナ様……って、その手の怪我はどうされたのですか!?」
ジェームズは帰宅した私を迎えるや否や、切り傷だらけの私の手を見て発狂に近い声を上げた。
「野菜の皮むきって難しいのよ」
「野菜の皮むき……!? 何故フィオナ様が野菜の皮むきを!?」
結局あの後、私は満足に野菜の皮もむけず、手を怪我するたびにケネディが真っ青な顔で小さく悲鳴を上げ作業を中断してしまうので、手伝うどころか、逆に足を引っ張てしまった。こんなことでは、バリキャリの名が廃るというものです。
前世では営業、企画、広報、事務仕事などの仕事をこなし、飲食業には一切足を踏み入れていないから完全に未経験でお門違いだけど、どんな場所に配属されても、弱音を吐かず努力をしてきたことが、私の誇り!
領主も未経験だけど、領主として、領民が困っている時に手を貸すのは当然の務めのはず!
「このままじゃ、私は役立たずのままだわ。いますぐ、料理長に包丁の使い方を教えてもらわなくては!」
「フィオナ様、お待ち下さい! せめて怪我の手当をさせて下さい!」
これくらい自然に治ると言ったのだけど、必死でお願いするジェームズに負け、傷の手当てをしてもらった。大袈裟なくらい包帯巻かれた気がするんだけど……明日にはそっと外しておきましょう。
その後、厨房に行き料理長に包丁の指導をお願いすると、とても驚いたようで、二、三分、時が止まったように動きが止まった。まぁ、普通主人に包丁の使い方を教えることなんて無いでしょうからね。でもこれは、私が役立たずから脱却するための必要事項! 最優先課題です!
ジェームズからも、『フィオナ様が怪我をなさらないように教えて差し上げて下さい』とお願いされた料理長は、戸惑いながらも、私に使い方を教えてくれた。但し、とても慎重に!
私が実際にじゃがいもを切ろうとしていた場面なんて、料理長以外にもジェームズ、モカまでもが厨房に来て固唾を飲んで見守り、怪我をした際に備えるように、消毒液や絆創膏を片手に準備をしていた。
……そんなに不安?
「ああ、そうだわジェームズ、あとで大切な話があるのだけど――」
「今は包丁に集中して下さいませ」
「……はい」
***