普通の恋人たち
ーー朝。
窓から差し込む日差しが眩しくて、俺は目が覚める。
そして自分とは違う暖かい体温を感じた。
だんだん意識が覚醒し、ふと隣を見ると眠っているティアがいた。
こんなに充足した朝は初めてかもしれない。
何か足りなかった物をやっと見つけた感覚に似ていた。
俺は上半身を起こして、ティアのサラサラの髪を撫でた。
「……うーん……」
彼女は目を閉じたまま幸せそうに笑うと、また穏やかな寝顔を浮かべる。
俺はそんなティアを愛おしげに見つめた。
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ゲストルームで従者が用意してくれた朝食を食べ終えた俺たちは、食後に紅茶をいただいていた。
「今日はリュシー国の城下町をデートしようよ」
向かいに座るティアが、楽しそうにキラキラした瞳で見つめてきた。
「デート? 俺、こっちの国民からしたら、敵国の王様なんだけど」
「大丈夫だよ。ウロ以外は平和な国だしね。2国とも」
ティアがそう言ってカップに口をつける。
「??」
俺の頭の中は疑問だらけだったが、ひとまずティアの言うことを信じることにした。
ーーーーーー
俺たちはカジュアルな服装に着替えて、城下町に遊びに行った。
馬車で町の外れまで行き、そこからティアと手をつないで歩く。
「フフフッ」
ティアが嬉しそうにニコニコしながら言った。
「こんなに穏やかにアドニスと過ごせるのはーーーー」
けれどそこまで言って、言葉を詰まらせていた。
代わりに俺が言葉を続ける。
「久しぶり?」
「……そう。久しぶりなの……」
ティアはニコッと笑った。
けれど少し陰りも感じた。
「俺とティアは前にもデートしたことある?」
「…………あるよ」
「実は何度もしてる?」
「うん……何か思い出したの?」
それまで歩いていたティアが立ち止まった。
それに釣られて俺も立ち止まり、不安気に見つめてくるティアに視線を返した。
「全く。……けど、何かを無くしているのは分かってる。多分それはティアとの記憶」
「……何でそう思ったの?」
「ティアの態度と、昨日の夜……」
「??」
「体が覚えてる感じだった」
「へ?」
「実は何度もーーーー」
「そんなこと外で聞かないで!」
ティアが真っ赤になって先を歩き出した。
手をつないでいるから、俺も引っ張られるようにまた歩き出す。
「アハハ!」
俺は照れるティアが可愛くて思わず笑った。
「……もう」
前を歩く彼女が振り返ってジトっとした目を向けてくる。
俺たちはまるで普通の恋人たちのようだった。
2人して寄り添って城下町を歩いていると、よく声をかけられた。
「ティア様、今日はデートの日なんですね」
「今はこちらにいらしてるんですね。アドニス様」
「どうか、楽しんで行って下さい」
俺たちに気付いた人たちが、口々に喋りかけてきた。
みんな優しい眼差しで俺とティアを見る。
何故か2人でいることを喜ばれている節があり、そこに少しの同情心も感じた。
……?
なんだろう。
俺がティアとの記憶を忘れてしまっていることに関係しているんだろうか?
そしてティアが言ってたように、敵国の王である俺がいたとしても、誰も恨みつらみを言ってこなかった。
ウロの時はあんなに両国で戦っているのに。
…………
すごく不思議な感じだった。
みんなウロのことなんか忘れてしまっているかのように、平和な時間が流れていた。
「アドニス! あっちに美味しいご飯屋さんがあるんだよ。今日はそこで食べようよ」
ティアが本当に嬉しそうに、満面の笑みを浮かべながら俺を引っ張っていく。
そんな彼女を見ていると、段々不思議な違和感もどうでも良くなってきた。
「ティアが楽しそうなら、それでいいか」
頭の中で考えていたことが思わず言葉として外に出るほどに。
「?? アハハ! 暴君みたいだね!」
「これでも王だからな。ティアのためなら暴君にでもなるさ」
「フフッ。国民が可哀想だね」
俺たちはそう言って笑い合った。
けれど頭の隅では分かっていた。
またウロが始まったら、俺たちは国をかけて戦わなければいけないことを。
ティアを優先してはダメなことを。
それが国民の上に立つものの宿命だから。
だから俺たちは、ささやかな幸せを噛み締めながら、残りの時間を寄り添って過ごした。
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楽しい時間はすぐに過ぎた。
日が傾き夕暮れ時が訪れる。
俺たちは自然にウロの舞台である荒れ果てた町に足を向けた。
そしてそこを抜けてサロル橋の入り口に立つ。
「…………」
2人で手をつなぎ、サロル橋が続いていく先の風景を静かに眺めていた。
サロル橋を渡ると、ルカディア国だ。
俺は自国に帰らなくてはいけない。
何故かそういう決まりだった。
ウロで負けたりして捕虜になった者は、翌日には自国に帰る。
…………
ウロボロスは、よく分からないルールが多く存在する。
一体誰が決めて、どうなったら終わりなんだろう?
俺は名残惜しくて、ティアとつないでいる手をギュッと握った。
「……アドニス、今日は楽しかったね。またね」
ティアが1度強く握り返すと、つないでいた手をそっと離した。
「あぁ。……今度はルカディア国でデートしようか」
俺は少しだけ笑ってティアを見た。
彼女も弱々しい笑みを浮かべていた。
そして俺だけが歩き出してサロル橋に足を踏み入れる。
あえて後ろは振り返らなかった。
「…………」
サロル橋の下を流れる大きな川の先に目をうつすと、赤く輝く夕日が見えた。
川や空をオレンジ色に染め、世界を暖かく照らしている。
……夕日が沈まなければいいのに。
このまま夜が来ずに、明日が来なければいいのに……
感傷に浸っていると、橋の中腹で服の裾を背後から引っ張られる感覚がした。
『連れてって……』
思わず振り向くが、誰もいなかった。
……ティアの声のように聞こえたのに。
チラリと橋のふもとを見ると、さっきと変わらずに見送ってくれているティアがいた。
願望が幻聴として聞こえた?
重症だな。
俺は自虐的なことを思いながら、また前を見つめて歩き出した。
昔の記憶を少し思い出したことに気付かずにーーーー