赤目の魔女
俺は、いつもの広いベッドの上で目が覚めた。
いつもの見慣れた天井。
いつもの見慣れた自分の部屋。
眠い目を擦りながら、上半身を起こす。
俺は華美な装飾が施されたベッドの上で、辺りを見渡した。
無駄に豪華な家具や調度品に囲まれた部屋の中で、上質な夜着を着て眠っていた俺は、この国の王だった。
「おはよう!」
ちょうどそこに、俺の部屋の扉を『バァン!!』と無遠慮に開け放ちながら、側近のネイロが飛び込んできた。
「アドニス、まだ寝てるのか? いい加減起きろよ」
キビキビ動いて仕事をたくさんしたがるネイロが、メイドのようにカーテンを開けて回った。
「今日はウロの日だぞ!」
全てカーテンを開け終えたネイロが、今度は俺のベッドにきてブランケットを取り上げた。
「…………」
俺は睨むようにネイロを見た。
「何だよ。アドニスは今日も参加しないのか?」
「……やる気が出ない」
「ルカディア国の王なのに、困ったもんだな」
ネイロは大袈裟に肩をすくめると、一旦部屋を去って行った。
俺はしばらくボンヤリした後に、もぞもぞと朝の支度のために動き出した。
**===========**
ルカディア国。
煉瓦造りの家がひしめくように立ち並び、その街を見下ろすかのように、丘の上に立派な城が建っていた。
街の端には大きな川が流れており、そこには石造りの大きなサロル橋が隣国にまで伸びていた。
そのサロル橋を渡った終着地点……
何故かそこに荒れ果てた町があり、ウロの舞台だった。
朝の支度が出来た俺が自室で朝食をとっていると、また側近のネイロが飛び込んできた。
「今日のウロについてだけど……」
ネイロが分厚い書類をペラペラめくりながら、机に向かって座っている俺のそばに立った。
「まだ、朝ごはん食べてるんだけど……」
俺は従者が用意してくれたサンドイッチを頬張りながら、ネイロをじっとり見た。
「アドニスが起きるの遅いから、予定が押してるんだよ」
「…………」
「で、今回はーーーー」
ネイロが俺に構わず説明を続けた。
さっきから彼がよく口に出してるウロ。
正式には『ウロボロス』
白と黒の2匹の蛇が、互いのしっぽを加えて輪になっているシンボル。
『ウロボロス』とは、隣にあるリュシー国と長く続いている戦いのことだった。
なぜか戦う場所が決まっており、
なぜか戦う日時が事前に決まり、
なぜかそれを当たり前として、みんなが受け入れている。
なんでだ?
と、常に疑問に思いはするのけれど、特に聞くことはしなかった。
ーーだって、どうでも良かったから。
「聞いてたか?」
説明を終えたネイロが、俺に怪訝な目つきを投げかける。
「いいや」
「……ったく。そろそろ王様が参加してくれないと、現場の士気も下がるんですけどね」
ネイロがまた大袈裟に肩をすくめた。
「…………」
俺はそんな側近に構わず、朝食を食べ続けていた。
ーーーーーー
朝食が済むと執務室で机に向かった。
そして王である俺が、目を通すべき書類に向き合っていた。
「はぁ……」
何でこんなことしてるんだろ?
と、やる気のないため息が出る。
書類から手を離し、大きな窓から続くバルコニーへ出た。
城の2階にあるバルコニーからは、街の景色が遠くまで見えた。
荒れ果てた町。
ウロの舞台も。
「今頃、戦ってるんだろうなぁ……」
バルコニーの柵に手をかけて、思わず呟いた。
ネイロのさっきの報告だと、ちょうど今はウロが始まっている時間だった。
……何故か、あそこに行く気が起きない。
頭の片隅では分かっているのに。
本当は行かなきゃいけないって。
「寒くないですか?」
背後から声がしたので俺は振り向いた。
そこにはメイドのルゥが立っていた。
彼女は随分前から俺に献身的に仕えてくれており、いつも優しい笑顔を浮かべていた。
「大丈夫だ」
俺は返事をすると、顔を元に戻してまた景色を眺めた。
「……気になりますか?」
ルゥが再び背後から聞いてきた。
「俺が行くべきなのに、不甲斐ないと思って」
今度は景色を見つめたまま、ルゥに返事をした。
「でも……アドニス様が怪我をしないので、私は安心しております。紅茶でもいかがでしょうか?」
俺はルゥのどこまでも優しい声に、切なくなった。
王である俺が国同士の戦いに参加してないのに、彼女からは非難の色を一切感じなかった。
それが救いでもあり、苦しさでもあった。
「……いただこうかな」
ルゥの方に向き直り、俺は悲しげな笑みを彼女に向けた。
**===========**
「ただいま戻りました! 今日は隣国の『赤目の魔女』を捕まえて、戦果は上場!!」
夕暮れ時にウロから帰ってきたネイロが、俺の部屋の扉を『バァン!!』とまた無遠慮に開け放ちながら、飛び込んできた。
「赤目の魔女?」
無駄に豪華なフカフカのソファで寛いでいた俺は、飛び込んできたネイロを迷惑そうに見た。
「……まずは必死で戦ってきたオレに対して何かないの?」
ネイロも負けずにじっとりした目を俺に向けながら、向かいのソファにドカッと腰を下ろした。
「……お疲れ様」
「おう。で、赤目の魔女だけど、隣国の王のツレだよ。魔法を本当に使う訳じゃないけど、美しい見た目と強さから、ここルカディア国ではそう呼んでいるのさ」
「ふーん……よく捕まえられたな。今は弱っているのか?」
「気になるのか? 実際に見てくればいいじゃん」
ネイロが何てこと無いように言った。
……赤目の魔女。
どんな奴なんだろう。
俺は物珍しさに惹かれたのか、ネイロに言われた通り彼女に会いに行くことにした。
ーーーーーー
従者に案内されたのは、捕虜を閉じ込める牢屋ではなく、他国の王族などを迎えるための煌びやかなゲストルームだった。
従者が扉をノックすると、中から女性の返事がした。
それを受けて従者がゆっくりと扉を開く。
俺は少しドキドキしながら足を踏み入れた。
中に入ると扉がパタンと閉められた。
部屋の中には魔女と俺の2人きりになった。
ん?
敵である相手と、王を2人きりにするってどうなんだ?
と思ったが、部屋の中に佇んでいた魔女が目に入ると、そんな些細なことは頭から吹き飛んでしまった。
俺が思わず見つめていると、その視線を受け止めた魔女が顔を綻ばせた。
「初めましてかな? アドニス」
そう言って、あどけなく笑う彼女は、本当に美しかった。
腰まである明るい茶色のサラサラな髪。
少し吊り上がった猫の様な大きな赤い瞳。
俺の名前を呼んだ透き通った声。
何故か苦しいほどに胸が締め付けられた。
吸い寄せられるように、彼女の近くまで歩み寄る。
そして思わず彼女の頬に触れた。
彼女は嬉しそうに目を細めた。
「君は?」
「私はティア」
「ティア……」
俺の体が勝手に動き、ティアを抱きしめた。
彼女も俺を抱きしめ返す。
まるで、2人でくっ付いていることの方が自然かのように、彼女はすっぽりと俺の中に収まった。
ティアが好きだ。
もう離したくない。
俺の中に強い感情が湧き上がった。
ティアを見て、一目で恋に落ちた。
そして、それと同時に生まれた……殺意。
ーー次の瞬間、俺はティアの首を絞めていた。
「!! ……うぅっ……」
彼女の美しい顔が苦痛に歪む。
か弱い力で、自分の首を絞めている俺の手を外そうとする。
俺の目にはいつの間にか涙が溢れていた。
「ティア……ごめん。何故だか分からないけど、殺したいほど好きなんだ!!」
俺は泣き叫んだ。
いろんな激情が、俺の中を駆け巡り、グチャグチャになってよく分からなくなっている。
混乱?
憎しみ?
……愛しさ??
ティアもポロポロ涙を流した。
苦しそうに眉間にシワを寄せながらも、その潤んだ赤い瞳で俺を見つめた。
そして、さっき俺がしたみたいに、俺の頬に手を添えた。
「…………っ!!」
すると、何故だか急に俺の力が抜けた。
体を支えきれなくなり、ティアに向かって倒れ込む。
彼女はそんな俺を抱き止めた。
耳元で、息がやっと出来るようになったティアの咳き込む声と、大きく呼吸をする音が聞こえた。
その間にも、俺の意識はどんどん遠のいていった。
ティアの柔らかさや、温かさを感じながら微睡始めた時に、彼女の涙声が聞こえた。
ーーーーーー
かわいそう。
アドニス、かわいそう。
どうか、私と同じ苦しみを抱かないで。
まだ私は死ねないの。
……また、記憶を消してあげるね。
ーー私を、忘れてね。
俺の意識は、そこで途切れた。
**===========**
俺は、いつもの広いベッドの上で目が覚めた。
いつもの見慣れた天井。
いつもの見慣れた自分の部屋。
眠い目を擦りながら、上半身を起こす。
「…………」
いつものように虚無感を感じた。
そうして今日も、いつもと変わらない、どうでもいい1日が始まる。