6話 「衝動」
『次のニュースです。』
お目当ての項目へ差し掛かり、ソファに座った結人は、テレビへと目を向けた。
ゴミゴミとした部屋には、多数のスマホの空き箱が散乱し、空になったエナジードリンクの瓶が幾つも転がっている。
『本日未明、都内のマンションに住む親子三人が死亡しているのが発見されました。』
ゆっくりと進むニュースに少し手持ちぶたになった結人は、集中につれて止めていた手元の肉を口に運ぶ動作を再開した。
『〝長月 典良〟さんと、その妻〝長月 知穂〟さんが、自宅の浴槽から遺体で発見されました。同じく、息子の〝長月 淳平〟さんが、全身に深い切り傷を負った重傷で病院へ搬送されましたが、今朝の2時34分に、死亡が確認されました。』
そうか·····。あの時、弟はまだ生きていたのか。
結人は唇の端に付いた肉のスジを舌で絡めとり、咀嚼しながら思った。
手の中の肉が無くなり、結人は地面へ手を伸ばした。
死体の足を掴み、両手を使って雑巾絞りの要領でちぎる。
ビチリ、と泡立った赤黒い血を撒き散らして、左足が死体の胴体から外れる。
死後硬直が始まったのか、不格好なまま微塵も動かない男の体は、とても結人が家に居ない間に父と母と弟を殺した殺人者とは思えない。
夜の散歩を終えるなり部屋へ戻った結人の前に、その男は居た。ベランダから顔を覗かせた結人と、結人の部屋を漁っていた男の髭の生えた顔が合う。
その顔に何故か唐突に猛烈な殺意が湧き上がって、結人は男に襲いかかった。
一拍遅れて男が拳を振るうが、追いつくはずもなく、結人の右拳で右胸を貫かれた。よろめいて血を吐いた男は、そのまま死ぬと思われたが、何があったのか体勢を立て直して、結人に飛びかかってきた。
男の大振りなラリアットが、木でできたタンスを割る。
その腎力は、明らかに人間ものでは無い。だが、人間では無いのはこちらも同じだ。
結人は男の目を見た。
まるで、蛇のように縦に割れた目だ。
結人は抗いきれない捕食欲に体の芯を貫かれて、男の首目がけて手刀を放った。
真横に一閃された結人の手のひらが、男の首を豆腐のようにすり抜けていく。
水を切る鋭い音を立てて拳を振った後、男の頭がゴトンと落ちた。
·····家族が殺されているのを見付けたのはその後だ。
自分の部屋で男の頭部を食した後、結人は逃げ出した。
男の体を左手に提げて、建物の屋根から屋根へ飛び移った。
一度喉に通したからか、男の血の匂いがハッキリと嗅ぎ分けられた。
男は、結人の見慣れたマンションの扉を飛び越えてきた、その前は、横の中学校沿いの道をかなりの速度で走って来たようだ。匂いの量が少ない。
入り組んだ道を多用している。これから、自分が後ろめたいことをすると知っていたのだろう。匂いが濃く残っているのは、ゆっくりと散歩をしているように歩いていた証拠だ。
結人の中で、何かが力を獲たようだった。
それは狩人の本能と言うべきか、はたまた龍の加護とも言うべきか。
結人は獲物を追う猟犬のように、男の血の匂いを辿って行った。·····とはいえ、その獲物は既に頭を切り離されて、自分の左手に引き摺られているが。
そしてとうとう、結人は男の住処へ辿り着いた。
開きっぱなしの住民票に複数の受話器。細かくチェックの書き込まれた紙の束を見るに、この血塗れの肉塊は生前、オレオレ詐欺でもしていたようだ。
男は、結人の家族を殺した後、一人一人丁寧に浴槽に並べていた。·····している事は猟奇殺人そのものだが、その意図が結人には分かった。
この男は、食べる対象を探していたのだ。
恐らく、結人と同じように龍の肉片を取り込んだのだろう。そして、同じく龍の肉を食った結人の匂いを辿り、家までやってきた。·····だが、家には人間が複数いた。
男はとにかく殺して、一人一人食べられるか確認していたのだ。浴槽に並べたのは、目当ての血を一滴残らず飲み干すためだ。
地面で肉を食べれば、かなりの量の血が流れて行ってしまう。それでは全てを取り込めない。一つになれない。
結人は男の思考が手に取るように分かった。
何故なら結人もまた、男の血の匂いを前に同じ気持ちを突き付けられたからである。·····一滴足りとも残してはならない。全てと同化するのだ。
───ばら撒かれた全てと。
『警察の発表によると、遺体はどれも人間の素手による暴行で損傷されており、昨日、北海道で起きた殺人事件と同様の手口と見られていて、警察関係者らは事件の解明に200人の動員を───』
使い慣れたスマホを開き、ギガの制限を外す。
どうせ直に捨てる事になる。今この瞬間も、この場所に警察が向かっているかもしれない。
元の自分·····。人間だった頃の自分の痕跡は全て消した方が良い。
結人は、震えるように振動した腕の鱗を眺めてそう思った。
しかし、俺の家族の死体は素手での殺害ではなかった。もっとなにか、鋭い刃物の類いの傷だった。
まるでこの鱗で斬り裂いたかのような·····。
『なお、長男の〝長月 結人〟さんの行方が、昨夜から分からなくなっており、警察は事件との関連を────』
自分の腕をさすった後、そっと力を抜く。ささくれ立っていた鱗の群れが、ひらべったく皮膚に張り付き、色を同化させる。
よく見ると薄く線が入っているが、パッと見ではここに鱗があるとはとても思えない。
人の腕をまじまじ観察する者などそう居ない。
それに今は長袖だ。縦に割れた瞳以外、誰にも疑われはしない。
どのみち、誰も何も知らない。
ネットニュースではここ数日、北海道から神奈川、そこから京都までの直線状で殺人事件が起きていることを報道していた。
だが、それはただの殺人事件ではない。
治安の急激な悪化でも、経済の下降による民衆の不満の発露でも、何でもない。
血を求めているのだ。
龍の肉を、血を、己が肉体に取り込まんとしているのだ。
恐らく、龍の肉を取り込んだ者は、自分と同じようにその肉を取り込んだ人間を殺し、その血肉を食らうことで、自身の中の龍の成分を高めようとしている。
何故?──────全てと同化するために。
·····事件の発生現場を辿るに、龍は血を撒きながら北海道から神奈川、そして京都までを大きな弧を描くように移動したと思われる。
つまり、その線をなぞれば、全ての龍の肉片を回収できるはずだ。
·····面白くなってきた。
結人の口の中で反芻された人肉が、鋭い牙に噛み切られて、水を含んだ音を立てた。