4話 「羽化」
過酷な気候条件下や病気などによる発熱に耐えられる体温の限界は44℃~45℃と言われています。体温が42℃を超えた時点で細胞がダメージを受け始め、45℃を上回ると酵素などのタンパク質が再生不可なまでに変性し、50℃へ到達すれば全身の細胞が死滅します。
スマホから顔を離して、より一層ソファへと身体を沈める。
依然、体は稼働中の炊飯器の中のような異常な熱を孕んでいる。
結人は思った。
死ぬかもしれない──────、
◇◇◇
熱は下がらない。
解熱剤の効果はなく、ベッドの内側は蒸し風呂のような熱気が発生している。
当然、熱の大元は自分の肉体である。
二度三度、視界が白く染まりかけた程、容体は酷かった。
「ぁぁ···」
朝から三度目になる体温測定を終える。取り出した体温計を見て、結人は熱い息を洩らす。
『48.5℃』
上がってる·····。
本当に、なぜ龍の肉など食べたのだろう。こんな事になるなら·····。
今日で何度目か分からない後悔を頭に、目を閉じる。
今は寝る事だ。治したいならそれしかない。
母親には、当然だが龍の肉の事は言っていない。もっとも、言った所で信じられないだろう。
母親は、結人を置いて仕事へ向かった。
暑い、暑すぎる·····。
なんか·····意識が·····。
心臓の部分に、何かが集まっていく。
ピリピリとした電流のような·····。だが、不思議と不快感はない。むしろ、その柔らかい電気信号が心地好く·····。
何を言ってるんだ、電気に柔らかいもクソもないだろ。
心臓へと集まっていた謎の粒子達はやがて凝固し、別の鼓動を放つ。やはり、微弱な電磁波のようなゆったりとした信号が、一定の感覚で体全体へと染み渡っていく。
心地よい·····。
体の細胞が熱によって壊死していく灼熱の苦しみに蝕まれながら、結人はその変化を感じていた。
まるで、自分の身体が全く別のものに、作り替えられているかのような。
体の芯の部分がその変化を終え、冷えていく。
新しい細胞へと生まれ変わったのだ。より強く、靱やかに·····。
「ぅっ·····」
突然、眼球に激痛を感じた結人は思わず体を捻る。
痛みは消えることなく、両の眼球を侵食する。中でパチンと音を立てて、目玉の中身が弾けた。目が見えない、真っ暗闇だ。
「ぁ、ぉ·····」
痛みは消えない。
あまりの痛みに、両手で顔を掴む。
ぬるぬると暖かい·····。
血が出ているのか·····俺の両眼から。
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
頭の中でギリギリまで張っていた糸が、プツンと途切れた。
それを最後に、意識は深いどこかへと沈んで、沈んで·····。
◇◇◇
「ぁ·····」
背中がひどく気持ち悪い。
見れば、ベッドは汗で浸水していた。
吐いたのか、ツンとした胃液の臭いもする。
どうりで気持ち悪い訳だ。
熱はすっかり下がったのか、つい先程までお湯をわかせるほどだった結人の体は、すっかり冷えて、熱の欠片も無かった。
まるで悪夢でも見ていたかのようだ。
体の具合を確かめながら、ゆっくりとベッドから降りる。
嘘のように体の調子が良い。
「·····」
ドアを開けて、台所へ向かう。
足に力を入れると、筋肉がミシリと音を立てた。
·····おかしい、俺の足はこんなに太くなかった。
乾いた喉に水を流し込みながら、結人は足の指を見下ろした。
貧血気味だった通常時と違い、いやに血色のいい筋肉質な脚が、フローリングをつつく。
脚だけではない、腕もだ。
服を捲って、身体を見る。
「·····なんだよ!これ」
薄い腹筋が見えるはずの腹部には、煌めく鱗が一面に生え揃っていた。
まるで龍のような·····。
夢ではない、確かめようと鱗を手でなぞる。ザラザラという質感が指に広がる。軽く叩いてみる。強い弾力とともに、拳が跳ね返る。
「·····」
コップを流しに突っ込んで、洗面所へ駆け込む。
「ッ───!!」
鏡の前に立つと、焦った顔の〝蛇のような縦に切れた目〟の少年と目が合う。
いや違う、これは俺だ。
鏡に手を合わせ、唱える。
切れ目は明らかに人間のものではなく、それは、結人自身の肉体が完全に変化したという事を表していた。
体重計にそっと乗る。
『72kg』
おかしい、俺の体重は60kgのはずだ。
一晩で12kgも増えた事になる。
·····一体何が増えた?臓器か?
なんの臓器だ。
心が揺れる。その揺れに合わせたかのように、結人の髪が浮き上がり、柔らかい電気がパチパチと音を立てて弾けた。