3話 「食べた」
ふと夜中に、結人は目が覚めた。
いやにハッキリと澄み渡った思考で、理由を探す。デジタルの時計は真夜中の3時を示している。
龍達を見てから、ほんの二時間ほどだ。
つい先程、ようやく眠りについたのに·····。
なぜかも分からないままに、結人は布団を蹴っ飛ばし、ベッドから降りた。
踏みなれたフローリングを足裏に、台所へと向かう。
何故だろうか、体が勝手に動くほど欲求が高まる·····。────あの肉が食いたい。
食べなければ、とても我慢ができない。
あの赤身に噛み付かねば。
ほかの食材を押し退けて、ビニールに包まれた肉を掴む。
急かされているような気持ちで、ラップを破き剥がし、肉片を素手で掴んで·····。
─────、かぶりついた。
「はぁ····。はぁ」
指を伝う血も、一滴残らず舐めとる。
残してはいけない。全てと同化するのだ。
·····全てと。
頭を引いて、肉を噛みちぎる。
龍の生肉は、今まで食べたどんな食べ物よりも硬かった。まるでゴムタイヤを噛んでいるようだ。···だが、味は美味しかった。牛肉のような、鰻のような·····?
少しだけ不自然な苦味の混じった、その不思議な味をゆっくり感じる間もなく、次の一口に噛み付く。
やはり、銀紙を食べたような渋い苦味が口に染み込む。これさえなければ結構いけるのだが。
元々、拳大しかなかった肉塊は、瞬く間に量を減らしていった。
だめだ、まだ足りない。もっともっと、沢山食べたい。
こんな物ではとても満足しきれない。
ほんの少し咀嚼のスピードを緩めるも、それで肉の量が増える訳もなく、願い虚しく肉は消失した。
·····食べ切ってしまった。
もうどこにも残っていない。
あとに残った二枚の鱗を指で確かめながら、結人は真っ黒な瞳を走らせた。どこか、何処かに肉は無いか。
·····あるはずもない。
「··········」
結人は給湯器から直接水をガブガブと飲んだ。
そして、ため息をひとつついて部屋に戻った。
「どうなってんだよ·····俺。」
こんな真夜中に、生肉を·····。しかもよりによって、龍の生肉を死に物狂いで口に詰め込んでいる。
自分の行動が、制御できない。まるで自分が自分以外の誰かに操られているかのようだ。
それが酷く不気味で、不愉快だった。
噛みちぎられた龍の肉片達が、腹の中でグルグルと回る様子を想像しながら、結人は布団に潜り込んだ。
時計の横に二枚の鱗を置いて、目覚ましの設定が合っているかどうか確認してから、結人は再び眠りについた。
◇◇◇
不愉快な音が、等間隔で鼓膜をつんざく。
甲高く吼える目覚まし時計を手に取った時、結人は吐きたくなるほど強烈な倦怠感に襲われた。
「き、きもちわる·····」
なんだこれは·····、まるで内臓が掻き混ぜられているようだ。体温計を出すまでもない、高熱だ。
大きく唸り声を上げて、熱のこもった布団を引き上げる。
母が起こしに来たら伝えよう。今日は月曜日だが、通信の高校に登校もクソもない。
行動の予定を決めて、次は現状の解析に努める。
やはりどう考えても、昨晩の龍の生肉しか思い当たらない。·····というか、それ以上の理由がない。
やはり、昨晩の自分はおかしかった。
そんな事を、オーバーヒートした脳みそで考えながら、寝返りを打つ。なんだか胸が痛い、心臓に穴でも空いているのだろうか。
体が暑い、まるで鉄が溶けるような気だるさだ。
どうやら、ただ腹を壊して寝込んでいる訳では無いらしい。これは病院に行ったほうが良さそうだ。
「ぐっ·····」
なんだか上手く動かない体に力を入れて、ベッドから這い出でる。ほとんど四つん這いに近い猫背でドアを開け、リビングに出る。
「·····なに」
昨日の事を引きずって、一ミリの笑顔もない母親が、地面を睨んでフラフラと歩く結人に問いかける。
「風邪引いた、休む」
一言だけ返して、結人は棚から体温計を掴む。
台所に立ち、仏頂面のまま調理に戻った母親に顔を顰めながら、ケースから乱雑に取り出す。
脇に体温計を挟み、ぼやける視界で窓の外を見た。
七時半──、朝の月曜日は、結人の家庭環境を嘲笑うかのように澄み渡った空をしていた。
ピピッ、と体温計が小さな音を鳴らす。
目覚まし時計も見習って欲しい音量だ。
「·····??」
『47℃』
·····???
結人は体温計を見て、「ぁ」とも「ぇ」ともつかない音をもらした。