第6話 隠れる私とお姉ちゃんからは逃げられない
次の日、私は姉に見つからないようこっそりと家を抜け出して普段、足を運ばないある場所へと向かった。
「……張り切ってたお姉さまには悪いけど、流石に二日連続でアレは私の精神が持たないからね」
いくら傷の類いを魔法で治してくれると言っても、体力や魔力までは回復しないし、磨り減った集中力も戻らない。
にもかかわらず、姉はそんな状態の私に対しても容赦なく魔法を撃ち放ってくるのだ。
その上、回を重ねる事に疲労で動きが悪くなる私と違い、姉は微塵も疲れた様子を見せない。
あれはもう実戦練習なんて生易しいものじゃなく、一方的な蹂躙だ。
「っと、着いた。よし、ここまでくれば大丈夫……お邪魔しまーす」
集落から少し外れたところにある大きな家の前まで来た私は木造の戸を軽く叩いてから返事を待たずに中へと足を踏み入れる。
「長老ーいるー?」
「ん?おお、ルーコか、珍しいの」
戸を開けた私を出迎えてくれたのはこの集落の長である最高齢のエルフ〝長老〟だ。
長老は最高齢だけあって他のエルフと違い、見た目も年相応に老けているが、この集落の中では比較的まともな感性を持っていた。
私にとってはおじいちゃんみたいなもので、たまに会った時は話し込んだりもする。
何を隠そう普段、私が入り浸っているあの場所にある書物達の大半は長老が外から持ち込んだ物なのだ。
今と違って昔は少ないながらも外との交流があったらしい。出来ることなら私もそんな時に生まれたかった。
と、まあ、話はそれたけど、そういうわけで長老と私がそんな仲である事を知らない姉がたどり着くには時間がかかると思ってここに来たのだ。
「うん。ちょっとここで匿って欲しいなって」
戸を閉めて中に入り、机の近くにある二脚の椅子の片方へ腰を掛けながら用件を伝えた。
「ふむ、これまた唐突じゃな。一体何から匿うのじゃ?」
長老は突然の訪問や勝手な私の態度を気にした様子もなくそう返してくる。
「……お姉さまから」
「ほう、主の姉から?」
片方の眉を上げて理由を尋ねてくる長老から目を逸らし、小さくため息を吐く。
匿ってもらう以上、話さないわけにはいかないだろう。
「昨日、お姉さまに魔法の練習を手伝ってもらったんだけど、それがちょっと厳しいというか、容赦がないというか……」
「なるほど、つまり練習が嫌で逃げてきた、と言う事かの?」
逃げてきたと納得したように頷く長老に少しムッとする。
確かにここには姉から逃げるために来たけど、そう言われるとなんとなく私の意気地がないみたいに聞こえてしまう。
「別に練習が嫌とかじゃないよ。ただあんなに限界ぎりぎりまで追い詰めなくてもいいんじゃないって思っただけ。いくらお姉さまの治癒魔法で傷が治せても精神的に苦しいのはどうにもならないし……」
早口で言葉を並べ立てて、自分でもわかるほど言い訳染みているけれど、これは決して言い訳じゃない。
全部事実だし、あの人との特訓も、前にこっそり覗いた他のエルフの練習も、あそこまで厳しくはなかった。
確かに他のエルフに頼むよりも安全だとは思う。
でも姉の特訓に精神の方が耐えられない。だから魔法の練習は今まで通り一人でやるしかないだろう。
「……そうか。主の姉は治癒魔法が使える故に多少の無茶を通し、過激で苛烈な練習も辞さない……主はそれが嫌だと言いたいのか」
「まあ、うん。だいたいそんな感じ」
ふむふむと長老は長く貯えた髭を擦りながら考える素振りを見せる。そして一拍おいてから口を開いた。
「そうさな……まずここで匿う事に関して儂に異論はない。気の済むまで好きにいるといい」
「本当?ありがとう」
元から断られるとは思っていなかったけど、許可が出るのならその方が気兼ねしなくて済む。
「しかし、主は本当にそれでいいのか?」
「え?」
長老が何を聞きたいのかいまいちわからない。いいのかと言われても私はそれを望んでいるのだから良いも悪いもないと思うんだけど。
「……聡い主の事じゃからすでに気付いておると思うが、ここのエルフ達は儂を含め、物事への興味や感情の起伏が少ない。たとえ親兄弟、娘、息子が相手でもそれは変わらず、死に別れたとしても涙一つ流さないだろう」
他のエルフがおかしいというのは五年前のあの人の死で嫌というほど理解している。けど、長老がそれに気付いているとは思わなかった。
「しかし、主の姉は違う。悲しければ泣き、嬉しければ笑い、人を愛する心を持っておる。そんな姉がそこまで厳しくするという事はそれ相応の理由がある筈じゃ……それがわからない主ではないじゃろう?」
「相応の理由……」
最初は姉にとってあれが普通なのだろうと思っていたけれど、言われて見れば確かに普段あれだけ妹に甘い姉が何の理由も無しにあそこまで厳しくはしないように思う。
ならそこに何らかの理由があるのは明白。
そしてそれはおそらく昨日、姉が私に付きまとっていた理由と同じであの人と私を重ね合わせたからだ。
あの人のようになってほしくないから必要以上に厳しくした。
つまり大事だからこそ姉はあそこまで私を追い込んだ、とい事になるわけなんだけど……なんというか、その……。
「どうやら心当たりがあるようじゃの。主も姉に似て感情が豊かなのか、はっきりと顔に出ておる」
「え、は、嘘……!?」
顔に手を当てて見ると自分でも知らない内に頬が緩み、紅潮しているのがわかった。
別に姉が私を大事にしているのは知ってたし、改めてそれがわかったからって照れるような事でもないのに。
「まあ、それだけ厳しい練習ならば魔法の腕も確実に上達するじゃろうし、何よりきちんと安全面が考慮されておるじゃろうから安心して励むと良かろう」
「いや安心して励むって私はまだ……」
やるとは言っていないと口にしようとしたその瞬間、外から誰かが戸を叩く音が聞こえてきた。
「━━長老様、朝早くごめんなさい。うちのルーちゃんがお邪魔してませんか?」
「っ……!?」
驚きで上がりそうになる声を必死で抑え、長老が普段使っているであろう布団の中に慌てて潜り込む。
まさかこんなに早く見つかるなんて……!
あまりに予想外過ぎて混乱する中、ゆっくりと戸を開ける音だけがやけに大きく聞こえてきた。
「お邪魔します」
室内に入ってきた姉が長老と何かを話しているのは聞こえる。
布団を被っているとはいえ、この近距離なら会話が聞こえてもおかしくはないのだが、正直、見つからないように息を潜める事でいっぱいいっぱいになり、内容まで頭に入ってこない。
声が聞こえない……もう行っちゃったのかな……?
二人の話し声が聞こえなくなった事に一先ず安堵し、張り詰めていた緊張の糸が切れる。
正直、この布団に隠れた後でここよりも、もっとましな場所があった筈だと後悔していた。
焦っていたとはいえ、こんな膨らみを見ればすぐにバレてしまうような場所にどうして隠れてしまったんだろう、と。
でもまあ、見つからなかったのなら良かった。多分、長老が上手く誤魔化してくれたからだろうけど、おかげでしばらくの安全は確保できたし、ここでこのまま二度寝しようかな……。
「━━ルーちゃん見ーつけた」
「……え?」
意識を微睡みに任せて目を閉じようとした瞬間、ぞっとするような声と共に布団の隙間から紫色の瞳がこちらを覗いているのが見える。
「っ━━……!?」
驚きのあまり反射的に布団を飛び出して部屋の隅ぎりぎりまで距離を取る。
び、びっくりし過ぎて心臓が止まるかと思った……。
安心しきって油断した瞬間を狙うそれは、まるで怪談のような趣向だ。
わざとやっているのならあまりに趣味が悪いが、おそらくは素でやっているのだろう。
「ふふっ、ルーちゃんおはよう」
「……おはようございます。お姉さま」
覗いてきた瞳の正体はやはり姉で、私は完全に見つかってしまった。
「もールーちゃんったら迷惑だからこんなに朝早くにお邪魔しちゃ駄目でしょ?」
「うっ……それはそうだけど……というかお姉さまはどうして私がここにいるってわかったの?」
こんなに早くここにたどり着くには私の後でもつけない限り不可能だ。
だからこそ私は細心の注意を払って尾行されないように気を付けてたし、実際ここにくるまでそんな気配は微塵もなかった。
「ふっふっふっ……、それは私がルーちゃんにこっそり魔法の印をつけておいたからだよ」
「魔法の印……?あ!」
印をつけた相手の位置を一定の距離まで知る事の出来る魔法、それは狩りに出るエルフ達が好んで使うものだ。
効果が単純な分、比較的簡単に習得でき、なおかつ魔力の消費も少ないので少し練習すれば誰でも使えるようになる。
その魔法の事をすっかり忘れてた……。
きちんと警戒していれば魔法の印に気付いて消す事もできたが、こうなってしまってはもうどうしようもない。
「さ、早く家に戻って朝ご飯をたべよ。それでその後は昨日の続きをやろっか」
「え、は、いや、ちょっと待っ……」
姉に首根っこを掴まれた私は抵抗虚しくずるずると引きずられていく。
「あ、ちょ、長老っ!助け……」
「……しっかり頑張るのじゃぞ」
いつの間にか家の奥に控えていた長老に助けを求めるも叶わず、私はそのまま引きずられてその日の練習を受ける事になってしまった。