第217話 ベールの切り札とつまらない決着
もう何度目になるか分からないぎりぎりの回避でベールはかろうじて死地を脱出する。
見れば巻き上げられた瓦礫に当たったのか、身体のあちこちに擦り傷が刻まれていた。
「っ……やっぱりこのままじゃ駄目かぁ。なら――――」
寸前で攻撃をかわしつつ、現状を鑑みてベールが呟く。
水の槍は弾かれ、防壁は意味を為さず、巨体が周囲の建物を破壊しながら猛烈な速度で襲い掛かってくるギガントリルワームを相手には強化魔法を使っても避け続けるのは厳しい状況だ。
そんな中、ベールは散らしていた水流を一点に集め、その全てを使って姿を隠すように大きな壁を創り出した。
「キルるるルル――――」
大きい壁だろうと、関係ないと言わんばかりにギガントリルワームは変わらずベールへ突進していく。水の防壁を容易く破れる以上、いくら大きくても拡げて薄くなった壁なんてないに等しい。
ギガントリルワームにそんな事を考える知能があるかは分からないが、少なくとも本能的に何の問題もないと理解しているようだ。
案の定、派手な飛沫と共にいとも容易く水の壁が打ち破られる。
しかし、どうやらベールの狙いは防ぐ事ではなく、水飛沫での目眩ましだったらしい。
飛沫に紛れてその場を離脱し、僅かな時間を稼いだベールは白衣をはためかせ、細長い小瓶のようなものを取り出した。
「〝真理に至る探求、知識を拓く道、事象を為すのは人の業、大は小に、小は大に、ここは私の実験場〟」
ここにきて初めての詠唱、それもこの局面で唱えるならベールにとっての切り札だろう。
ベールは詠唱と共に小瓶の蓋を開けて中身を振り撒き、その呪文を口にした。
――――『真水浸透』
瞬間、振り撒かれた液体が意志を持ったかのようにうねり、何十倍……何百倍ともいえる程の質量に増殖、そして先程とは比べ物にならない水の奔流が溢れ出す。
「何をするかと思えばわざわざ詠唱までしてただ水の量を増やしただけだと?……随分とお粗末な悪あがきだな。さあ、止めを刺せ!ギガントリルワーム!!」
「キルるるルル――――!」
馬鹿にしたように嗤うヨージは自らの優位が揺らがないと確信し、ギガントリルワームをけしかけて一気に決着をつけようとする。
確かにいくら水量を増やしたところであの強固な外皮を破れるとは思えない。
単純にあの水量を圧縮して攻撃を仕掛ければ別かもしれないが、そんな悠長な事をする隙を与えてはくれないだろう。
まあ、それはあの魔法……いや、魔術が本当に水量を増やすだけだったらの話だが。
「――――さて、それじゃあ…………実験を始めよっか?」
どこか楽し気な笑みを浮かべたベールが両手を広げると同時に水の奔流が連動してうねり、そのまま突進してくるギガントリルワームを迎え撃つかのごとく、薄い壁へと変化した。
「馬鹿がっそんな薄い壁でコイツの突進が防げるわけないだ……ろ?」
ベールの行動を愚行だと高らかに声を上げたヨージだったが、次の瞬間、その表情が驚愕に染まった。
「キルルるァァぁッ!?」
薄い水の壁に激突したギガントリルワームが地響きかと聞き違う程の悲鳴を上げる。
見ればギガントリルワームの強固な外皮が焼けたように爛れており、巨体が痛みで暴れる度に、溶けた表皮が体液と共に撒き散らされていた。
「ッ馬鹿な!?ギガントリルワームの強靭な外皮が破られただと!?」
信じられないと言わんばかりに動揺を口にするヨージだったが、それに対してベールは反応を示さず、ただ静かに笑みを浮かべている。
触れただけでギガントリルワームの強固な外皮を溶かしてしまう効力……あれはあの魔術の効果というより、白衣の内側から取り出した細長い小瓶に入っていた液体の特性なのだろう。
「……やっぱりどれだけ強固でも生物の皮膚である以上、この酸は有効か。ま、予想通りではあるけど、一発で正解を引き当てちゃったら実験にならないねぇ」
納得したように頷きながらも肩を竦め、軽くため息を吐いたベールは口の端を上げたまま、両手を動かし、壁を崩して再び流動させる形を取った。
そして先程より一回り……二回りは大きい水流ながらも、一切乱れることなく流動、二つのうねりとなってベールの周りを守るように渦巻いている。
「酸……まさか硫酸!?」
「硫酸……向こうの世界の薬品だね。なんというか、転生者って酸といえばすぐにそれを思い浮かべるけど、もしかしてそれしか知らないのかな?」
「ッ俺を馬鹿にしているのか!?」
「別に?ただ単純に疑問に思っただけ。ま、なんにしてもこれは硫酸じゃないよ。というか、いくら硫酸が強力な酸性の薬品でも、あの外皮を一瞬で爛れさせるほどの効力があると思う?」
正直、私はその硫酸?という薬品がどんなものかを知らないからベールの質問の答えは分からないけど、転生者の世界は魔法や魔物なんていない平和な場所と聞いた事がある。
そんな世界の薬品がこの世界の魔物……それも取り分け強固な外皮を持つギガントリルワームに通じるとは思えない。
というより、向こうの世界に限らず、ただの薬品があそこまで劇的な効力を発揮するのは明らかに不自然だ。
ならば薬品の種類や効果がどうというより、ベールの使った魔術の方に秘密があると考えるのが自然だろう。
「っそんな事はどうでもいい!要するにその水に触れなければいい話だろ!!」
癇癪を起したように声を上げたヨージは話は終わりだと言わんばかりに片手を掲げ、ギガントリルワームに治癒の能力を使おうとする。
「……せっかく疑問を投げ掛けてあげたのに思考停止もいいところ……その代償は高くつくよ?」
再びのため息の後、ヨージと同様に片手を掲げ、手掌で水流を操り、ギガントリルワームを囲うように渦巻いてそのまま巨体を一気に呑み込んでしまう。
「ッ!!?」
傷の回復しきらない内に酸の水流に呑み込まれてしまったギガントリルワームは断末魔を上げる暇さえないままに身体をどんどんと溶かし崩されていく。
「クソッどうして回復が間に合わない!?俺の力は神からもらった特異能力だぞ!」
ヨージは自分の思い通りにいかない事に憤慨して叫ぶ。
まるで自分だけが理不尽に晒され、不条理にあっているとでも言いたげな口振りだが、突然、この村に現れて住人達を恐怖に陥れておいた彼にそんな事を嘆く資格はない。
「どうしても何も使い方が悪いからじゃない?いくら能力が強くても使い方が悪ければ宝の持ち腐れだよ」
「ッ黙れ……黙れぇぇ!!」
煽る意図も、つもりもないであろうベールの言葉にヨージは感情を爆発させるも、ギガントリルワームはすでに瀕死の状態……数分もしない内に骨すらも溶けて消えるだろう。
最早、決着はついたといっても過言ではない状況だ。
能力が魔物を操る系統ならヨージ本人の戦闘能力もそこまで高くはないだろうから取り押さえるのも容易いだろう。
ただし、ヨージにこれ以上の奥の手がなければ、だけど。




