第197話 届かない祈りと創造の魔女
最高位の称号……〝魔女〟
その切り札であり、最高到達点でもあるのが〝醒花〟だ。
醒花という境地に至った魔女は生涯を懸けてそれを磨き、高めていく。
善人だろうと、悪党だろうと、至った者の名は知れ渡り、尊敬、あるいは畏怖の念などを向けられる。
そんな醒花だが、魔女たちの間でもほとんど知られていない先があった。
「〝内なる想像、食い違う現実、具現せし夢想は立ち消え、歪めた代償に真実が牙を剥く……ならば私は痛み、苦痛、虚無、あらゆる理不尽を受け入れよう。魔力の深層よ、命を食らい、全てを塗り変えろ〟」
知られていない理由は単純にそこへ至れる魔女がいないというのが一つ……そしてもう一つはこの境地が術者の命と引き換えに発動するものだからだ。
……本当ならみんな生きて帰るのが最善だったんだろうね……でも、それはもう……叶わない。
目の前の相手から逃げ切れないというのもあるが、何より私のこれは致命傷だ。治癒魔法でどうこうできる次元じゃない。
だから私は私の命を使って私以外を助ける。
身体の中から命が抜けていく感覚を覚えながらも、私は大きく息を吸い込み、その鍵言……最後の呪文を言葉に乗せた。
――――『散現・創造境域』
私の全てを呑み込み、発露されるのは醒花の先……内なる想像を以って世界を塗り潰すこの力は満開に咲き誇った花が散る時に魅せる一瞬の輝きのようなもの。
ほんの一時、醒花さえも超える力を得る代わりに使い果たした後、術者は死ぬ。
だけど、それだけの代償を支払って得た力は絶大。
頭の中で思い描いた空想を寸分違わず出力し、一瞬で世界を塗り変える。
まずはルーコちゃんを――――
その力を使って重傷を負う前のルーコちゃんを想像し、創造した瞬間、どれだけ治癒魔法をかけても治せなかった胸の致命傷が何事もなかったかのように消え去った。
「あの致命傷が一瞬で……これが醒花の先、か…………」
ルーコちゃんを抱えたレイズの呆然とした呟きが聞こえてくる。これまで幾千の戦いを経験してきたであろうレイズをしても、この力を見るのは初めてらしい。
魔女……その中でもこの力の存在を知り、命を代償に発動させる人なんていなかっただろうからレイズの反応は無理もない。
こちらに視線を向けたままのレイズに手を翳して彼女の負った傷も戻し、続けて私の胸に開いた大穴も消し去る。
「――――まだそんな力を隠し持っていたのか。本当に人というのは厄介だな」
全員の怪我を消し去ったところでレイズに吹き飛ばされた神が立ち上がり、目を細めながらこちらに歩いてくる。
「……チッ、効かないと分かっていたが、何もなかったみたいに立ってくるのは癪に障るな」
視線を移したレイズが忌々しそうな表情を浮かべるが、神は一瞥しただけで私の方へと目を向ける。
「大小に関係なく傷が消えている……随分と強力な魔法だが、この局面まで出し惜しんだという事はそれなりの代償が必要なのだろう?そうでなければさっさとその小娘を治している筈だ」
「……答え合わせが必要?どうせ確信してるんだろう?」
「……そうだな。まあ、傷を治したところで無駄だ。どのみちここから逃がすつもりはない――――」
問答に付き合いながらもルーコちゃん達に攻撃が向かないよう警戒しつつ、私は想像を繰り広げる。
瞬間、神の身体が何の前触れもなく宙を舞い、そのまま私の想像した通りに勢いよく地面に叩きつけられた。
「……??」
状況が呑み込めていない、あるいは理解が追い付いていないのか、無表情ながらも混乱した様子を見せる神。
食らった側からすれば魔力の起こりも、前触れもなく、いきなり吹き飛ばされて叩きつけられたのだからその反応になるのも当然だろう。
「――――悪いけど、説明する気はないよ……理解できないまま食らい続けろ」
そんな台詞と共に私は想像を重ね、神を再度吹き飛ばしてから地形を変化させ、大穴を創り出す。
そしてそこへ神を叩き落とし、蓋をするように創造した大岩で大穴を塞いだ。
「こうも容易くあの化け物の動きを封じるとは……」
「…………ん……ぅぅん……ここは――――」
戦いを見守りながら逃げる隙を窺っていたレイズがそんな言葉を口にしたその時、抱えられていたルーコちゃんが身動ぎし、ゆっくりと目を開ける。
「……気が付いたか?丁度いい。早々で悪いが、動けるならここから逃げるぞ」
「え?レイズ……さん?何でここに……それに私は……」
「一から説明している時間はない。動けないのなら抱えていく」
混乱しているルーコちゃんに有無を言わせず、彼女を抱えたレイズは神が身動きを取れないであろうこの隙にこの場を離れようとしている。
「――――言った筈だ。逃がすつもりはないと」
「ッ!?」
ルーコちゃんを抱えたレイズが足を踏み出した瞬間、唸りと共に行く先の地面の地面が隆起し、道を塞ぐ。
いつのもレイズならそれを壊して強行突破するだろうが、ルーコちゃんを抱えている事に加え、ここまでの疲労もある。
いくら傷を消し去ったといっても、削られた魔力や精神的な疲労は消えていない。
そんな状態ではレイズといえども、無理矢理進む事は出来ないだろう。
「あの程度じゃ足止めにもならないか。ならこれでどう?」
大穴から瞬間移動で脱出し、ルーコちゃん達に襲い掛かろうとしていた神に視線を向け、こちらに引き寄せられる姿を想像して現実を塗り潰す。
「厄介な……想像で現実を侵す魔法とは…………っ!?」
引き寄せられた神が再び瞬間移動でルーコちゃん達の方に向かおうとしたのを文字通り、想像して止める。
「……想像で現実を侵す、ね。間違ってはいないけど、この力の本質……本領はこんなものじゃない」
ここまでの攻防で使った力は確かに醒花の先のものだ。
しかし、出力したのは精々、今までやってきた事の延長線上にある力……この程度ではその一割すら発揮されていない。
だから私は手始めに半分の力を出力し、世界を書き換える。
「馬鹿な…………」
私を中心にして書き換わっていく世界を前に神が無表情を崩して驚愕に目を見開く。
最早、そこには森だった名残りはなく、只々真っ黒な空間が広がっており、唯一、ルーコちゃん達のいる方の後ろだけが元の景色を保っている。
「この空間は……」
「…………レイズ。ルーコちゃんの事、お願いね」
「っアライアさん!!」
レイズにそう告げて私の名前を呼ぶルーコちゃんに微笑みかけた後、二人を塗り変えた世界の外へと逃がして入り口を閉じる。
「――――ごめんね、ルーコちゃん」
入り口を閉じた以上、ここと外は隔絶され、この言葉はルーコちゃんに届かない。
だからこれは私の自己満足でしかないのだろうけど、それでも言わずにはいられなかった。
「……なんだこの空間は。お前が創り出したとでもいうのか?」
「…………見たら分かるだろう?それとも分かってて聞いてるの?」
私の独り言を他所に、困惑のまま言葉をぶつけてくる神に対して皮肉の笑みを込めてそう返してやる。
「……ここに私を閉じ込めてあの二人を逃がすつもりか。無駄な事を……いくら時間を稼ごうとお前を殺してから追いかければ済む話だ」
「そうだね。わざわざ分かっている事を口にする意味はあるのかな?……ああ、それとも、見下していた相手の力が予想外だったから時間稼ぎの苦し紛れに分かり切っている事を喋ってる、とか?」
「…………口の減らない事だ。いつまでその不遜な態度が続くか見物――――」
「御託はいいからさっさときなよ――――私を殺せるものなら殺してみろ」
隔絶された空間の中、挑発を繰り返した私は神を見据えて想像を重ねる。
たぶん、私は勝てない。
単純な力で勝っていても、殺しきる事ができない以上、先に時間制限がきてしまうだろう。
けれど、それでもいい。
勝てなくても、私が死んでも、世界を塗り変えて創ったこの空間はすでに元の世界から切り離されている。
つまり、あの神はどう足掻いても、ルーコちゃん達の後を追う事はできない。
これが私にできる精一杯……本当にごめんねルーコちゃん……できる事なら――――
最後に心の中でもう一度、謝った私はルーコちゃんへ届くことのない祈りを送った。




