幕間 とある少女の独白
私に両親の記憶はない。
物心つく頃には一人、街の路地裏で生活していた。
普通の子供ならそんな状況で生きていく事なんてできないのだろうが、幸い私には魔法の才能があった。
魔法を使って狩り、時には盗みなどの悪事も働き、その日、その日を生きていた。
けれど、そんな生活を続けていけば当然、疎まれ、悪い意味で有名になる。
特に魔法を悪用していた事もあって、冒険者を名乗る人達が私を捕まえにくるようになり、それに紛れて破落戸達が同じく、私を捕まえて奴隷商人に売り飛ばそうとしてくるようにもなった。
まあ、どちらが相手でも返り討ちにしたり、隠れてやり過ごしたりと、どうとでもなったから大した問題じゃなかったけれど。
そうやって毎日、毎日、追い返している内に段々とそういう輩も減っていった。
自分で言うのもあれだけど、師も学ぶべき指標や知識もなく、魔法を扱い、他を退ける事のできた私はいわゆる天才だったのだろう。
ともあれ、私はそんな自分の境遇を特別不幸だと思った事はないし、その日暮らしの毎日に不満もなかった。
そうした日々を過ごしてきたある日、いつものように食料を確保しようとしていた私の下に一人の魔法使いが現れた。
また私の事を捕まえにきた冒険者だろうと思い、追い払おうとして……私はあっさり捕まってしまった。
「――――私の事をどうするつもり?」
生きるためとはいえ、悪事は悪事、自分のやった事を正当化するつもりはないけど、これからどうなるのかくらいは知っておきたかった。
「どうって……ああ、捕まったら終わりだと思っているんですね。大丈夫、悪いようにはしませんから」
監獄か、処刑か、はたまた奴隷として売られるか、どれにせよ碌な最期を迎えられないと思っていた私の考えを吹き飛ばすように魔法使いは微笑んだ。
そこから私を取り巻く環境はがらりと変わった。
私を捕まえたのは魔法使いの中でも最上位である魔女の称号を持つレイズ・カルミラという女性だった。
〝希望〟の二つ名を持つ彼女は依頼を受けた先で身寄りのない子供や行き場のない子供を見つけては預かり、自らが経営する養護施設で独り立ちするまで育てるといった慈善活動を行っており、私もそこで生活するようになった。
「――――おまえ、しんいりか?せんせーにめいわくかけたらおれがゆるさないからな」
その初日、最低限の自己紹介をした私に対して一人の男の子がそう言って突っ掛ってきた。
たぶん、新しく入ってきた私に誰が上かを教えるための言葉だったのだろうけど、そこまで興味のなかった私はそれを無視した。
おそらくそれが気に障ったのだろう。
それから何かある事に突っ掛ってくるようになり、その度に私は男の子が泣くまで反撃した。
「君は苛烈で頑固ですね。もう少し折れる事を覚えた方が生きやすいですよ?」
いつも最後には彼女……レイズ先生が仲裁に入り、男の子を宥め、困ったような笑みを浮かべながら私を諭した。
一人でその日、その日を生きていく日々に不満なんてなかったけど、突っ掛ってくる男の子、親身になってくれる女の子、馬鹿な事ばかりしてと窘めてくれる友達、そして優しく微笑んで見守ってくれる先生、養護施設での暮らしも悪くない……私はそう思い始めていた。
養護施設で暮らし始めて数年が経った。
男の子と喧嘩をしたり、友達と遊んだり、時にはお手伝いをしたりしながら、充実した日々を過ごしている中で私はいつか独り立ちできるように先生から魔法を学んだりもしていた。
元々の才能に加え、最高位の称号である〝魔女〟からの指導を受けた私の実力は先生にも迫る勢いで、冒険者としていつでもやっていけるとお墨付きをもらった。
まあ、お墨付きをもらったとは言っても、私自身、まだ養護施設を出るつもりはないのだけど。
とはいえ、いつまでもいられる訳じゃなく、独り立ちはもちろん、養子として引き取られたり、稀だけど、家族が迎えにきたりしてここを去っていく子達もいる。
現にこの数年の間にも何人かの子達がここを去って新たな人生へと踏み出していった。
仲の良かった子とのお別れは少し寂しかったけれど、友達の門出は素直に応援したかったから笑顔で見送った。
今になって思うと、養護施設で過ごした日々は私にとってかけがえのない幸せな時間だったのかもしれない。
けれど、そんな時間は長くは続かなかった。
きっかけは本当に偶然だった。
先生が所用で二日ほど養護施設を離れた時の事だ。
いつものように突っ掛ってくる男の子との喧嘩が始まり、止めてくれる先生の不在も相まって、口論から殴り合い、果てには魔法の撃ち合いにまで発展した。
殴り合いになった時点でまたいつものが始まったと他のみんなは呆れてしまい、誰も見ていない中、施設の広い中庭で魔法の撃ち合いをしていると、不意に違和感のようなものを覚えた。
その正体を確かめるために喧嘩を止め、違和感を覚えた場所……先生の書斎に面した窓のある隅の方を調べてみた。
「……なあ、おい。そこになんかあんのか?」
「うるさい。ちょっと黙ってて」
途中で喧嘩を止めたせいか、少し不満そうな顔をした男の子を黙らせつつ、調べ進めた結果、そこには隠蔽された魔法陣があった。
その魔法陣は相当念入りに隠蔽された跡があったけど、私達のどっちかが放った魔法の流れ弾がここに直撃した影響で綻び、違和感を感じるくらいに露出したようだった。
「これは魔法……陣ってやつか?ここにあるって事は先生が……あ、おいっ勝手にいじったら――――」
今にして思えばここで好奇心に身を任せず、留まっていればあの幸せな時間はもう少し続いたのかもしれない。
止めようとする男の子を無視して私は魔法陣を起動。
効果範囲にいたらしい男の子も巻き込んで私は光に包まれ、気付けば薄暗い本棚に囲まれた部屋へと飛ばされていた。
「っここは……」
魔法陣を隠蔽していたという事は先生にとって見られたくない場所という事だ。
単純に考えれば魔法を研究するための部屋だろう。
魔法使い……それも魔女となれば自身の研究を秘匿するのも当然、気になったからとはいえ、勝手に入ってしまったのは良くない。
だからすぐに出ていこうとしたのだけど、机にぽつんと置いてあった一冊の手記、その題名が目に留まり、思わず手に取ってしまった。
「美食探求録……魔法の研究じゃなくて?」
「痛つつ……一体何を…………」
ここに転送された時に打ったらしい箇所を擦りながら男の子が近付いてくるが、その時の私は手記の思わぬ内容に衝撃を受け、それどころではなかった。
手記の内容は題名の通り、美食に対する感想が綴られている。
それだけならただの趣味の範囲だろう。
問題はこの手記においての美食が何を指すか、だ。
「この名前も……この名前も……なんで…………」
「おい、大丈夫か?その本がどうかしたのか?」
「あ、駄目――――」
この時、男の子を止めれていれば違った結末もあったのかもしれない。
けれど、過去は変えられないし、あの時の私が冷静に行動できたとは思えない。
だからああなるのは必然だった……そんな言葉で済ませたくはないけど、そういう他なかった。
その後の展開は想像に難くないだろう。
手記を見た男の子は私と同じような反応を示し、憤り、そんなわけがないと真実を確かめるために先生に詰め寄り、そして……殺された。
男の子だけじゃない。
その発覚を皮切りに養護施設にいた子供たちは全員殺された。
いや、手記の内容が事実なら養護施設を去っていった子達もほとんど全員が殺されている事になる。
優しく、誰からも尊敬される希望の魔女がどうしてあんな凶行に出たのか、その理由は若さを保つため。
幸せに満ちた子供の血、そして自身の魔術との組み合わせで不老という結果を得た彼女はそのために養護施設を作り、凶行を繰り返した。
若さを得たい、老いが怖いという気持ちは分からなくもないし、そのために血が必要だというなら先生といって彼女を慕っている子供達は分けてくれるはずだ。
けれど、彼女は子供達を騙して弄び、あまつさえその命を奪った。
恩もある、楽しかった思い出も、ちょっと天然なところも、師匠としての厳しさも、全部含めて大好きだった。
でも、だからこそ、私が先生を止めるしかなかった。
その後の出来事は世間で知られている通り。
一人の少女が師である魔女を殺してその称号を奪い取った。
死にゆく師から呪いを受け取った少女は戒めとして自らレイズと名乗り、希望とは正反対である絶望の称号を背負った。
希望の魔女と絶望の魔女……その罪や凶行、彼女達が抱いた想い、そして二人の真実を知る者は誰もいない。




