第192話 絶望の魔女と神の真価
瞬時に好きな場所へ移動できる相手に速度で勝てるわけがない……そう思うのが普通だろう。
実際、あの瞬間移動を連続で使われたら私でも速度で勝る事はできない。
けれど、絶望の魔女たるレイズなら別だ。
彼女の醒花は適応。
あらゆる現象を身に受け、適応、順応して無力化し、真綿で首を締めるように相手を文字通りの絶望に染める恐ろしい力。
そしてその適応は敵味方問わずに発動する。
つまり、今の彼女は自らの魔法に順応し、存在そのものを雷と同期できるという事だ。
確かに瞬間移動は脅威だが、雷速……光の速さで動けるレイズもまた疑似的にそれを再現できる。
さらに言えば自称神は無詠唱とはいえ、瞬間移動を使う際に僅かな隙間がある。
それは魔法を使うと決めて行動に起こすという一連の動作の上で必要不可欠なもの。
隙ともいえない一瞬、けれど、拮抗している速度の中でなら常に雷速で移動できるレイズにとって、その差は大きく響く。
何度目かの激突、その最中に響く轟音と共に一つの影が派手に吹き飛ばされて地面に激突した。
「っ…………」
巻き上がった土煙が晴れ、影の正体が明らかになり、肩口に決して浅くない傷を負った自称神の姿があらわになる。
「……俺とお前、手段は違えど、結果として起こる現象は同じだ。ならどこで優劣が生まれるのか、まあ、言ってしまえば自動と手動の差だろうな」
くるくると戦斧を弄びながらまるで教え、諭すかのようにレイズは語る。
地に伏す自称神とまだまだ余裕のあるレイズ、最早、趨勢は決したといっても過言ではない程の差がそこにはあった。
「…………そうか、なるほど。私が外に干渉しなくなってから数百、いや、千年余り、まさか人の魔法技術がここまで進化しているとはな……認めよう。その醒花という境地は人の身を遥かに超えた力を秘めている。このままでは器が壊されてしまうだろう…………ともすれば仕方ない。それなりの手段を以って対応させてもらおうか」
「?何を――――」
悲観するわけでも、苦痛に顔を歪めるわけでもなく、ただ淡々と無表情のまま一人納得したように呟く自称神の言葉にレイズが疑問符を浮かべた次の瞬間、言い表しようのない圧と共に辺り一帯が光に包まれる。
一瞬の静寂、そうして晴れた私とレイズの視界に飛び込んできたのは先程よりも少しだけ成長したように見せる自称神の姿だった。
「…………あの姿はまるで」
姉だけあってルーコちゃんとそっくりな顔立ちで、彼女が成長すればこうなるだろうという姿。
それに加え、瞳は輝かんばかりの黄金、髪色は薄い青から雪のような白銀へ変わり、纏う雰囲気は神々しい……まるで醒花に至ったかのようにも見えた。
「――――随分と様変わりしたな、成長期か?」
自称神……いや、纏う圧力と内包する力を考えれば最早、神そのものといっても過言ではない相手に対してレイズはさっきまでと変わらない口調で軽口を叩く。
けれど、その表情には冷や汗が浮かんでおり、レイズもまた、目の前のソレが尋常ならざる力を持っている事を理解しているらしい。
「……成長期、言い得て妙だな。なにせ、結びつきをより強固にすべく根を張った結果、私の力にあてられて身体の方が成長したのだから」
レイズの軽口に真面目な返答をするソレはもうさっきまでとは別人。
無表情は変わらないが、先程まで僅かに残っていた隙もなくなり、より一層、人外じみた存在と化していた。
「……ハッ、なるほどな。どうやら神というのもあながち冗談ではなかったらしいな。追い込まれるまで使わなかったって事はそれ相応のリスクがある筈だ」
「りすく……ああ、向こうの世界の言葉か。意味は理解しかねるが、まあ、大方、この姿に制約があるのではないかと聞きたいのだろう?なら答えはその通り、だ。これはこの器に私という存在を深く根下ろす事で本来の力に限りなく近付く手段……使えば器が壊れない限り、この身体に縛られる事になる」
「……つまり?」
「この器を壊せば私の力は大幅に削がれ、向こう数百年は現世に干渉できなくなるだろうな」
「――――それは分かりやすくて結構な事だな!!」
言葉と共に雷速で駆け出すレイズ。先手必勝、速度的にも虚を突いたその攻撃は通る……そう思っていた。
「速く重い攻撃……だが、それだけ。今の私には届かない」
「ッ!!」
雷速で振り抜かれた戦斧をいとも容易く片手で受け止められ、レイズは驚愕に目を見開く。
醒花によって上昇した膂力、そして雷速に乗った戦斧の威力は到底、片手で受け止められるものではない。
けれど、レイズが適応により、防御を無効化できる以上、事実としてソレは単純に膂力をもって戦斧を受け止めたという事になる。
「今度はこちらから仕掛けさせてもらおうか」
その一言を放った瞬間、ソレは戦斧を放し、挙動の全く見えない動きでおそらく打撃を繰り出してレイズを吹き飛ばした。
凄まじい勢いで吹き飛ぶレイズへ一瞬で距離を詰め、追撃を食らわせるソレ。
追撃はそこで終わらず、一撃、二撃、三撃とあらゆる角度からの打撃にレイズは為すすべもなく、ボロ雑巾のように受け続けるだけ……な訳がない。
「ッ舐めるなよ化け物!!」
口の端から血を流しながらも空中で無理くり体勢を立て直し、雷と化して空中を駆け、反撃を試みるレイズ。
だが、戦斧での攻撃は全て受け止められ、その度に打撃での反撃を受けてしまっている。
いくら適応の醒花といえど、単純な打撃を無効にする事はできない。
だからそれはレイズの醒花を破る方法としては最適解と言える。
しかし、雷速で動く彼女を捉え、近接の最上位称号持ちにも劣らない身体能力と強化魔法を上回らなければならない。
正直、そんな事ができる人間はないないと思っていたが、なるほど、人外……それも神を名乗り、それだけの圧を纏うソレなら可能だという事か。
「確かお前の醒花とやらは受けた攻撃を無力化できるんだったか?ならこういうのはどうだ」
「がッ!?」
攻防の最中にレイズの首を掴んで放り投げたソレが片手を翳した直後、吹き飛ぶ彼女を追うように地面が隆起し、一つ一つが巨大樹にも匹敵する大きさの岩棘が襲い掛かる。
確かにレイズの醒花は受けた攻撃に適応できるが、それはあくまで同系統の話。
それも一度で適応できるかはその攻撃の規模次第だ。
適応は個人の魔力に対しても働くらしく、多少の減衰は見込めるかもしれないものの、初見の攻撃を無効化する事はできない。
それに加え、巨大な岩棘の飽和攻撃は無効云々以前に物理的な大質量で圧殺される可能性もある。
だからこれもまた、レイズの醒花対策としては有効な手段の一つだった。
響く轟音と吹き飛ぶレイズに降り注ぐ巨大岩棘の雨。あんなものの下敷きになったらどんな生き物だろうとぐちゃぐちゃに潰されてしまうだろう。
「……しぶといな。これでも生き残るか」
積み上がった巨大な岩の山を前にソレが呟くと同時に派手な破砕音が鳴り響く。
そして巨大な岩山が吹き飛ばされ、舞った土煙の中、姿を現したのは肩で息をするボロボロな状態のレイズだった。




