第172話 冠する二つ名と凡才の魔女
時の魔女の口から出たまさかの言葉に私だけでなく、パーティのみんなも目を見開き、驚愕の表情を浮かべていた。
「……まあ、よくよく考えてみれば当然か。療々の文字を二つ名に持つ賢者に治せない傷があるというのも変な話だ。俺も含めてそこに疑問を持つべきだったな」
誰もが言葉を返せない中、片目を瞑ったレイズが小さく溜息を吐いてからそんな事を口にする。
言われてみれば確かに〝療々の賢者〟という治癒の専門家の使う魔法にしては治せる幅があまりに狭い。
でもそれは治癒魔法の難しさ故に、自分の身体ならともかく、他人の身体を治すのは勝手が違うからだと思っていた。
けれど、もし仮に時の魔女が言っている事が本当だとしたらリオーレンはわざと傷を治さなかったという事になる。
つまるところそれの意味するところは――――
「……リオーレンはわざとルーコちゃんの後遺症を治さなかった?」
「まあ、今挙がっている話を整理すればそういう事になるわね。少なくとも私の知る療々の賢者なら、たとえどんな怪我や複雑な治療が必要な症状だろうと、難なく治すだけの技量は持っていたもの」
未だ難しい表情を浮かべるアライアとは対照的に答える時の魔女の声音は淡々としたもの。リオーレンと面識のない彼女からすればその反応は当然と言える。
「で、でも、それが事実だとして、一体何のためにリオーレンさんは私の後遺症を治さなかったんですか?」
「さあ?それは私にも分からないわね。でも、単純に考えれば貴女の後遺症を治す事で不都合が生じるという事じゃないかしら」
私の問いに対して小首を傾げて答える時の魔女。
言われるまでそんな当たり前の事に気付かなかったのは思っていたよりも自分が動揺しているからだろう。
「治す事が不都合って……それじゃまるで…………」
「……敵対しているみたいだね。付き合いの長い私としては信じたくないところだけど」
私の事が嫌いで気に入らないから意地悪するために治さなかったという理由ならまだいい。
けれど、そんな幼稚な理由であのリオーレンが治さなかったとは思えない。
今回は時の魔女の存在という偶然の要素によって判明したけれど、よくよく考えればいつ発覚してもおかしくはなかった。
そして発覚すれば今の私達のように疑念を抱く事は容易に想像できるはずだ。
「ここで心情の話をしても仕方ないだろ。明確に敵対している証拠はなくとも、状況が奴を黒だと言っている以上、楽観視はできない」
レイズの言葉はもっともで、的を得ている。信じたくないとその可能性を考えないよりも、最悪を想定して動くべきだろう。
もし、考えが間違っているのならリオーレンと再会した時に謝れば済む話だし、想定していないまま敵対するよりはずっとましだと思う。
ただ、それはあくまで感情を勘定に入れない前提の話だ。
誰も彼がそんな簡単に割り切れる訳じゃない。
短い間とはいえ、あんなに優しくしてくれたリオーレンが敵対しているなんて私も思いたくはなかった。
「ふむ、どうやら〝療々の賢者〟の話題を挙げたのは失敗だったみたいね……仕方ない、この際、彼が敵対しているかどうかは置いておきましょう。そもそもの論点は彼女の実力が魔女足り得るか、の筈でしょう?」
私を含め、レイズ以外の面々が複雑な表情のまま押し黙ってしまったのを見兼ねたのか、時の魔女が半ば強引に話題を戻そうとする。
「……そう言えばそうだったな。ルーコの醒花が死と隣り合わせだとしても、療々の賢者の伝手があるなら問題ないだろって話で……その肝心の賢者様が敵対しているかもって話になったんだったな」
「そうね。言い方に悪意はあれど、概ねその通りよ。正直なところを言えば、現時点の実力なんてどうでもいいと思うのだけれど」
その意図に乗っかったレイズの言葉を肯定した時の魔女はちらりとジョージア王の方に視線を向けた。
「……まあ、療々の賢者についてはまた会った時にでも真意を確かめればいいだろう。仮に敵対してくるなら実力で捕らえて理由を吐かせればいい。それから、先程も言った通り、実力がどうだろうと納得してなかろうと、魔女の称号を与えるのは決定事項だ。何か異論があるのなら聞くが、なければこのまま話を進めるぞ」
時の魔女の視線を受け、しばらくの間、口を挟まなかったジョージア王が話を無理矢理まとめてこの場を治めようとする。
「元から俺は……いや、ルーコ以外は魔女の称号を得る事に何の異論もない。当の本人は今、療々の賢者の事でいっぱいだろうがな」
「……なら異論はないものとさせてもらおう。これ以上の問答は不問だからな」
「そうね。ルーコちゃんに報奨を与えるのは大事だけど、これからのばたばたを考えればやる事は山積みだもの」
ジョージア王の言葉に時の魔女は頷き、意味ありげに笑みを浮かべた。
「……まるで他人事みたいな言い方だが、お前にも色々動いてもらうぞ。時の魔女?」
「……契約が続く限りは手を貸しましょう。それはそうと、ルーコちゃんに魔女の称号を与える前に決めなければならない事があるんじゃないかしら?」
「…………決めなければならないこと、ですか?」
まだリオーレンの事を整理できてはいないけれど、私の事を話している以上、反応しない訳にもいかず、そう聞き返す。
「ええ、魔女に限った話ではないけれど、最上位、もしくは時点の称号持ちには二つ名が与えられるのよ。自分でつける場合もあるけれどね」
「二つ名……それってアライアさんの創造とか、レイズさんの絶望みたいな……?」
「その認識で間違っていない。本来なら魔術師になった時点で君にも与えられるはずなんだが……前任者の愚王がその辺りを何も考えていなかったせいで有耶無耶になってしまっていたみたいだな」
前任者……ジルドレイ王からすれば元々、魔術師の称号すら与えるつもりがなく、策略の末に始末する予定だった相手なのだからその辺りがおざなりになっているのも頷けた。
「まあ、愚王の事はどうでもいいのだけど、魔女を名乗る以上は二つ名のないまま、というわけにはいかないわ。記号とはいえ、それがなければ対外的に区別できないもの」
「名乗るつもりはまだなかった……っていうのは往生際が悪いですよね。正直、まだリオーレンさんの事で頭が追い付いていないので何をどうすればいいのか分からないんですが……」
「……難しく考える必要はない。大体が得意な技、魔術といった自分の代名詞と関連のある言葉を二つ名にするのだからそれに習えばいいだけの話だ」
「そう言われても…………」
自分の代名詞と言われてぱっと思い浮かぶのは得意とする風の魔法や魔術……あるいは何度も窮地を切り抜けてきた『魔力集点』だろうか。
確かに風系統の魔法は得意だけど、二つ名を冠する程でもないし、『魔力集点』に関してはなんて表現したらいいのか分からない……というか、そもそも実力の足りていない私が二つ名なんて烏滸がましいような――――
ぐるぐるぐるぐると様々な感情や考えが頭を駆け巡る中、ふと、一つの答えが見つかったような気がして弾かれたように顔を上げる。
「……何か良い案でも浮かんだのか?」
「……良いと言えるかは分かりません。でも、今の私が魔女を名乗るのならたぶん、これ以上の二つ名はないと思います――――」
未熟で弱くて才能もなく、守りたいものどころか、自分さえ守れるかも怪しい私をそれでも魔女だというのならこの二つ名こそが相応しい。
何も持たない無才な魔女、そんな皮肉と戒めを込めた言葉――――〝凡才〟
それこそが私の背負うべき二つ名だ。




