閑話 魔法使いのニル?と人知を超えた化物
「――――やはり駄目でしたか」
高速の攻防の末、魔物の爪があのエルフの少女を捉える光景を眺めながら落胆を隠さずに呟く。
今回の件、個人的な感情で動いたはいいものの、例の魔物と私の魔法の相性があそこまで悪いのは完全に計算外だった。
個人的故に、組織の人員を割くわけにはいかず、以前から目を付けていたパーティを伴って討伐に向かった結果、私以外の全員を失う羽目になってしまった。
わざわざ魔法で姿を変えてまで接触し、育てていた人員を失ったのも痛いが、そこまでしてなお、例の魔物を討伐できなかった事が洒落にならない。
「忌まわしい限りですが、あの連中の実験も馬鹿にならないところまできているという事ですか。まあ、今回は素体となった人材が優秀だったのかもしれませんが……」
集めた情報によると、あの魔物の元なったのは新進気鋭の才能あふれる魔術師だったようで、そんな優秀な人材を使い潰したらしい。
それもあのエルフの少女が気に入らないから、その魔術師が疑念を抱いたから、そういう子供じみたくだらない理由で、だ。
やはり国という大きな組織は上に行けば行くほど腐っているのだという事を再認識しながらも、自分達のやっている事を思い返して、その行為に大差はないかと自嘲の笑みを浮かべる。
……今更、自分だけが清廉潔白だと主張するつもりもない。あのエルフの少女から見れば私達のやった事と、国の愚者どもの行いも大差ないだろう。
正直、私個人としてはあのエルフの少女に対して僅かに感謝の気持ちを抱いていた。
必要だったとはいえ、街をいくつも滅ぼす可能性のあった非人道的な実験を最小限の被害で止め、組織内で最も厄介で嫌悪する〝死遊の魔女〟を討伐した彼女は組織にとっては害かもしれないが、私にとって利を運んでくる存在だ。
だから今回、奇縁で討伐対象の魔物が重なった際も、わざわざ警告をした。君達の実力ではあの魔物を前に殺されるだけだと。
それでも討伐に行くといったのは彼女達で、この結果も彼女たち自身が招いたもの……私が気にする必要は何もない。
「……正直なところ、あの少女には少しだけ期待していただけに残念ですね。なにやら新たな境地に至っていたみたいですが、流石にガリストと戦った際の後遺症が響いている状態では――――っ!?」
そこまで言い掛けたところで魔物に切り裂かれ、吹き飛んだあの少女の方から異様な気配を感じて視線を向けると、そこで私は衝撃の光景を目にする。
「ありえない……あれは確かに致命傷だったはず、なのにどうして…………」
信じられない事に肩からお腹にかけて心臓ごとばっさりと切り裂かれたはずの少女が傷口から鮮血を撒き散らしながらも、まるで何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がった。
っ確かに調べた限り、彼女は今まで信じられないほどボロボロになりながら立ち上がり、逆転してきたらしいですが、あれはいくら何でもおかしい……一体何が…………
自分以外、全滅した事で一度、撤退をしようとしていたにもかかわらず、明らかな致命傷を受けて平然と立ち上がった少女の姿から目を離せず、私はその場を動けない。
「――――ふむ、私が直接呼ばれる程の危機とは何事かと思ったが、なるほど、運や閃きだけではどうしようもないという状況か」
血を流しながらも平然とした様子の彼女は虚ろな瞳を動かし、一人納得したように呟き、独り言を続ける。
「……まずは何にしても傷を癒すのが先か。この程度で致命になりえるとは……やはり人の身体は脆いな」
少女…………いや、あれは少女の姿をした何かというべきだろう。その何かは片手を傷口にあてがい、少女のものとは思えない魔力を放った。
「なっ……!?」
おそらく、治癒に特化した魔術師でも容易には治せないであろう致命傷が光と共にあっという間に塞がっていく。
それはあの少女のエルフではどう足掻いても実現できない精度と速度を誇っており、まさしく神業と呼ぶべき魔法だった。
「…………ん?ああ、やけに魔力が抜けると思ったら、放出栓がズタズタになっているな。何とも雑な治療が施されている……仕方ない、これも治すか」
感情の見えない声音でそう口にすると、さらに魔力を放出する何か。その放出量は明らかに少女の保有している魔力量を超えている。
「――――ガルァァッ!」
仕留めた筈の獲物が何事もなかったかのように起き上がった事で警戒していた魔物が痺れを切らして再び襲い掛かる。
それは得体の知れないものと対峙した事による生物としての本能からくる行動なのか、魔物からはどこか焦りのようなものが感じられた。
「……お前が今回の要因か。魔物に見えるが……ふん、相も変わらず人間は愚かな事をする。まあ、私には関わり合いのない話だが」
「ガァッ!!」
一度は致命傷を受けた魔物の鋭い一撃に対し、あまりに無防備な状態でそれを迎え撃つ。
「……契約がある以上、これを死なせる訳にはいかないからな。それじゃあ…………消えろ」
――――『■■■■』
瞬間、凄まじい突風が何かの背後から吹き荒び、飛びかかる魔物へ襲いかかる。
「――――――――ッ!?」
一見してただの風。しかし、その威力は一般的な魔法……魔術と比べても、いや、比べるまでもなく、桁違い。
その風は魔物を吹き飛ばすだけに留まらず、地面を抉り、雲を蹴散らす竜巻を巻き起こした。
「ッ――なんですかこれは……!」
魔物どころか地形さえも変える規模の攻撃を前に私は目を見開いて声を上げる。
ありえない……これほどまでの規模はたとえ、魔女だとしても容易に出せる威力じゃないはずなのに、それをあんな短い言葉で出力するなんて……!
あの何かが唱えた単語は聞き取れなかったが、魔法にしろ、魔術にしろ、短い呪文であの威力を出すのは酷く化け物じみていた。
「…………まさか、あの何かは――――」
頭を過る予感を他所に、片手間で竜巻を生み出した何かは納得いっていない様子で首を捻る。
「……ふむ、この程度の威力しか出ないとは……まあ、この身体では無理もないか」
あれだけの竜巻を指してあの程度という何かには驚愕するばかりだが、その言動から私の予感は確信に変わり始めていた。
「――――それで、さっきからずっと見ているお前は何だ?これの敵だというなら排除するが」
「ッ……!?」
たったそれだけの言葉と視線を向けられただけなのに全身が射竦められたように動かない。
まるで自分の命が少女の姿をしたあの何かに握られているような錯覚を覚えた。
「返答がないのならこのまま――――」
「っこ、こちらには敵対する意思はないです。私としてもあの魔物は討伐対象でしたから」
どうにか声を絞り出し、攻撃される前に戦闘の意思がない事を伝える。
情けない限りだが、泥を被ってでも叶えるべき大望がある今、ここで死ぬ訳にはいかない。
「……敵対する意思がないというなら丁度いい。私はもう消える。これはしばらく気絶しているだろうから面倒を見ていろ。もし、反故にすればお前を殺す。分かったな」
有無を言わせない圧力で私へそう言い放った何かはその言葉通り、彼女の身体から出ていってしまう。
「…………あの圧力はやはり……これは思わぬ収穫ですね」
私は残されたエルフの少女を抱き止めつつ、竜巻の爪痕を見つめながら一人、小さく呟いた。




