第16話 戦うお姉ちゃんと埋められない差
姉から衝撃の材料発表を受けた私は嫌な予感が当たってしまったと頭を抱えていた。
「……それはあれだよね、蜜を分けてもらうとかそういう平和的な話じゃなくて、戦って奪い取るとかそういう方向の話だよね?」
「もちろん!植物型って言っても魔物なんだから当然、襲いかかってくるに決まってるよ?」
何を当たり前の事を聞いているんだという表情の姉に苛々を募らせながらも、冷静に努めようと小さく息を吐き出して続ける。
「……で、その蜜は誰がとってくるの?」
頭痛を堪えるようにこめかみに手を当て、ため息と一緒に質問を投げ掛けると、姉は惚けた顔で首を傾げていた。
「んー?それはもちろんルーちゃんが……」
「私は嫌だからね?」
私に行かせようとする姉の言葉を察して、ぴしゃりとそれを遮る。
今みたいに材料を探す程度ならまだしも、どうしてわざわざ休みの日に魔物と戦わなければ行けないのか。
休みは休むためにあるのに、ここで魔物と戦ってしまうと休みの意味がない。
「え~でも、ほら植物型の魔物と戦った経験が得られる絶好の機会だよ?」
「……それならわざわざ休みの日じゃなくてもいいでしょ。今日のところはその蜜を使わないお菓子を作って、蜜を使うお菓子はまた今度作ったらいいんじゃない?」
ぷうっと膨れる姉を宥めつつ、説得する言葉を並べ立てる。
植物型の魔物と戦う事自体に文句はないが、やっぱりそれは普段の練習の中だけにしてほしい。
「う~……でも蜜入りのお菓子は今日作りたいし……仕方ないかぁ……」
渋い表情で腕を組んだ姉はうんうんと唸った後、そう言ってそっぽを向き、唇を尖らせる。
「……じゃあ、魔物とはお姉ちゃんが戦うからルーちゃんはそれを見学するっていうのならいい?」
「え、うーん……まあ、それなら……」
本音を言えばそれでも面倒くさいけど、ここで断ると強制的に戦わせられるかもしれないので、この辺が妥協点だろう。
「よし、なら決まりだね。茸はもう充分だから他の材料を二人で摘んで、それから魔物の自生してる場所にいこっか」
「んーわかった」
頭を切り替えたのか、てきぱきと材料を探し始める姉。
てっきり私を魔物と戦わせるために蜜が必要なお菓子を選んだと思っていたため、姉が自分で戦うと言い出したのは予想外だった。
そんなにそのお菓子が食べたかったのかな?
私自身、お菓子を食べた事は一度しかないし、その時も特に美味しいとは思わなかった。
まあ、私が食べたのは長老が作ったもので、姉が作ったお菓子を食べた事はないため、もしかしたら味の差異があるのかもしれない。
とはいえ、自分で魔物と戦ってまで作り、食べたいという気持ちが私にはいまいちわからなかった。
そこからしばらくお菓子用の材料を探していた私と姉は集めた材料を帰り道にある木の陰に置いてから例の魔物の生息地に向かった。
「この先にその魔物がいるの?」
「うん。事前に確認してるからそこにいるのは間違いないよ」
草をかき分けながら先頭を進む姉に尋ねて返ってきた答えに思わず眉をひそめる。
「事前に確認って……私に戦わせるために?」
確認したのがいつなのかは知らないけど、魔物を相手にしても姉の実力なら問題ないし、ある程度保存が効く蜜ならその時に採ってしまえば二度手間にならずに済んだ筈だ。
にもかかわらず、こうして採りに向かっているという事自体が私に戦わせようとしていた証拠だろう。
「ま、まさか~、そういうわけじゃないよ?確認したのは、その、居場所がわかってないと困るからってだけで……」
「ふーん……」
案の定、動揺して目を泳がす姉に対し、私はやっぱりかと、じと目を向ける。
「うぅ……あ、ほ、ほら、もう魔物がいる場所に着くよ」
向けられる視線から逃れるように前方を指さして声を上げる姉。
話を逸らすために誤魔化そうとしているのかと思ったが、どうやら本当に目的地に着いたらしい。
姉の指さす方向を見ると背の高い草の合間から大きく真っ赤な花弁が見え隠れしていた。
「思ってたよりも小さい……?」
見えてきた花の大きさはせいぜい私の背丈の半分程だ。花としてみれば規格外に大きいかもしれないが、これが魔物だというのならかなり小型の部類に入るだろう。
「あれは地表に出ているほんの一部だよ。本体は地面の下に根を張ってて、全部倒そうと思ったらちょっと大変かな」
なるほど、言われてみれば本にそんな記載があった気がする。
一応、あの書庫の本に載っている魔物関連の情報は覚えるようにしていたけど、植物型の魔物に関してはすっかり忘れていた。
というのも、植物型の魔物は基本的に生息地から動かないし、近寄らなければ敵対もしない。
そのため今回のようにこちらから手を出す状況でもない限り、植物型の魔物は素通りできる存在なので、記憶に残りづらかったのかもしれない。
「まあ、今回は蜜を分けて貰うだけだから倒さなくても良いんだけどね」
気付かれないであろうぎりぎりの距離まで近付いた姉がそう言って魔物の様子を窺う。
「でも結局は戦う必要があるんでしょ?なら倒さずに蜜を採る方が難しいと思うけど……」
分けて貰うと言っても魔物相手に言葉が通じる訳もなく、どうしたって奪うという形になってしまう。
確か植物型の魔物は他の生物でいうところの視力が退化しており、代わりに自分の周囲の一定範囲内の振動を関知して襲ってくると本には書かれていた筈だ。
つまり、気付かれないように忍び寄り、蜜だけを採るのはほぼ不可能といえるだろう。
「うーん……どうだろう。私は倒す方が難しいと思うよ?」
私の方に顔だけ向けた姉が顎に手を当てて、小首を傾げながら続ける。
「植物型の魔物は再生能力が高いらしいから普通にやっても倒せないだろうし、弱点の火の魔法は他の木や草に引火する危険性があっておいそれと使えないからね」
確かにいくら森の木々が太く大きいものが多いと言っても燃えやすい事に変わりはない。
土の下を含めた全体がどのくらいの大きさかわからないが、再生能力が高いと言われているこの魔物を焼き払うのに周りを巻き込まない火力調整をするのは至難の技だ。
それを考えると姉の言うように倒す方が難しいのかもしれない。
「……なんとなく倒すのが難しい事はわかったけど、どっちにしても倒さずに蜜だけを貰うっていうのも厳しいんじゃないの?」
「ん、そうだね。でも倒すのに比べたらまだやりようはあるかな」
自信ありげに不敵な笑みを浮かべた姉が蜜を入れるための皮袋片手に草むらを掻き分けて飛び出した。
「ちょっお姉さま!?」
いきなり勢いよく飛び出していった姉に対して私は思わず声を上げてしまう。
やりようはあるとは言っていたから無策ではないのだろうが、具体的な事は何も聞いていない以上、本当に大丈夫だろうかという不安が残る。
「心配しなくても大丈夫だからルーちゃんは巻き込まれない場所でしっかり見てて!」
声を上げた私にそう返した姉はそこから強化魔法を発動させ、一気に加速した。
それとほぼ同時に地面から無数の蔓が生え、花の元に向かおうとしている姉に襲い掛かる。
「━━〝回れ回れ水の輪っか、風を切り裂き、回り続けろ〟」
姉は迫る無数の蔓を全て紙一重でかわしつつ、詠唱しながら速度を緩める事なく前進し続けている。
「……お姉さまはあれの相手を私にさせようとしてたの?」
巻き込まれないぎりぎりの範囲、全体を見渡せる大木の上に避難して姉と魔物の攻防を見ていた私の口から思わずそんな言葉が漏れた。
姉は難なくかわしているが、あれはあの蔓の速度が決して遅いわけではない。
少なくとも私があの蔓をかわすとしたらもっと大きく動かないと避けられないし、あんな速度で前進し続ける事はできないと思う。
「よっと……これだけの蔓の数なら本体は相当大きいんだろうねっ」
右に左に前に上と襲い掛かってくる蔓を避け続けた姉はそう言って両手を下に向け、交差させながら思いっきり踏み込む。
『水輪の風勢』
姉は呪文と共に前に向かって跳躍、身体ごと回転させて交差させていた両の手を振り抜く。
空中で身動きがとれないであろう姉に向かって地面から生え出ている全ての蔓が襲い掛かろうとするも、振り抜かれた両手から突風と高速回転している無数の水の輪が飛び出し、蔓を全てを切り裂いた。
「━━━━!?」
地面から生え出ている全ての蔓を切られた魔物は、残った短い蔓を震わせ、目に見えて動揺を見せる。
「隙あり、だよ」
魔法を放ち終えた姉は回転の勢いを上手く殺して着地し、そのまま前へと進みながら再び詠唱を口にした。
「〝視界を染める白、纏わりつく冷気は緩慢に自由を奪う〟━━」
走る姉の詠唱と共に目に見えるほどの冷気が周囲に集まり、漏れでた余剰の冷気が地面に落ちている蔓を凍らせていく。
『細雪の纏繞』
唱え終えると同時に爆発的な冷気と雪の結晶が姉を中心に広がって残った蔓を全て包み込み、目に見える限りの景色が白に埋め尽くされた。
「この魔法は……」
見覚えがある。いや、正確に言えば見覚えというよりも身体が覚えていると言うべきか。
二度目の実践練習で姉が最後に使ったもの……冷気と雪の結晶で相手の動きを封じるという強力な拘束魔法だ。
あの時は詠唱を省いてなお絶大な威力だったが、今回の完全詠唱版の威力はそれを遥かに凌駕していた。
「しかもあれだけの規模なのに蜜のある花の部分だけは綺麗に避けてるし……」
広範囲かつ強力な威力の上に完璧とも言える魔力制御、恐るべきその完成度はもはや芸術的ですらある。
「よし、こんなものかな」
凍りついた地面を進み、花から充分に蜜を採取した姉がほっと一息をついて額を拭う。
その動作は一見、汗を拭っているように見えるが、実際は凍らせた地面との温度差でついた水滴を払っただけで、姉は今の戦闘で汗一つかいていなかった。
「ルーちゃんー!終わったから降りてきて大丈夫だよー!」
蜜のたっぷり入った皮袋を片手に姉は嬉しそうに私の方へと手を振っている。
「……見学ってお姉さまは言ったけど、全然参考にならなかったな」
姉に向かって手を振り返しながら、ぼそりとそんな言葉を漏らしてしまう。
一応、姉の意図としてはこの戦いを糧にしてほしかったのだろうけど、正直、差がありすぎて話にならなかった。
たぶん、私がどれだけ努力してもお姉ちゃんには追い付けない……。
大木を下りながら姉と自分の差に思い悩み、思わず深いため息を溢してしまった。




