第130話 影の黒衣と魔女の威厳
「さて、それじゃあこっちからいくぞ……ノルンッ!」
黒衣を纏ったノルンを前にレイズは笑みを深めてそう叫び、強化魔法の出力を上げて凄まじい速度で肉薄、戦斧を横薙ぎに思いっきり振り抜いた。
ただ強化魔法を纏っただけの一撃。されど〝魔女〟たるレイズのそれは並大抵の魔法をより遥かに威力が高く、音を置き去りにした速度を前にかわす事も防ぐ事も至難の業だ……しかし――――
「――――あら?その程度かしら〝絶望の魔女〟さん」
そんなとんでもない一撃に対してノルンの行動は一つ、纏った黒衣の裾を戦斧と自分の間に動かしただけ。たったそれだけで〝絶望の魔女〟の一撃を防いでしまった。
「……ほう?両断するつもりで振り抜いたんだがな」
自らの一撃をいとも容易く止められたにもかかわらず、にやりと楽しそうに笑ったレイズは戦斧を引き戻して一旦、距離を取るべく後ろに下がろうとする。
「……そう簡単に距離を取らせると思ってるの?」
後ろに跳んだレイズを逃すまいとノルンは黒衣の裾から幾重もの影を放ち、その手足を拘束せんと絡みついていく。
「ハッ……むしろその程度で俺を止められるとでも?」
拘束しようとしてくる影に対し、レイズは空中で勢いをつけて戦斧と共に回転。影を打ち払って戦斧を軸にノルンから大きく距離を取った。
「……相も変わらず、戦士みたいな戦い方ね。〝魔女〟が聞いて呆れるわ」
曲芸染みたレイズの挙動によって距離を取られてしまったノルンが捨て台詞のような悪態を吐く。
普段の彼女ならまず言わないであろう煽り文句だが、やっぱり相手がレイズだと口が悪くなってしまうらしい。
「…………似たようなことをアライアの奴にも言われたな……仕方ない、それじゃあ〝魔女〟としての威厳でも見せてやるか」
首を傾げたレイズは少し考えるそぶりを見せた後、戦斧を肩に担ぎ、とんとんと弄びながら空いている方の手……その人差し指をぴん、と掲げた。
「――――『雷鳴の短槍』」
瞬間、今の私でもはっきり感じられる程の激しい光が走り、遅れて耳を劈くような轟音が辺りを震わせる。
ッ今のは一体……レイズさんが呪文を唱えたと思ったら光って音が……あれも魔法なの……?
激しい光と轟音で眩む意識の中、何が起こったのか理解できず、ただひたすらに今起きた事象について思考を巡らせるも、やはり何が起こったのか、レイズがどんな魔法を使ったのかは分からなかった。
「げほっ……今……の、は…………」
口から血の塊を吐き出し、片膝をつくノルン。どうやら彼女自身も何をくらったのか分かってないらしい。
「――――ほう、今のを受けてその程度という事はその黒衣は攻撃よりも防御に特化した魔術のようだな」
指を下ろし、感心したように呟いたレイズは一旦、休憩と言わんばかりに戦斧をくるりと回して杖代わりに寄り掛かり、片目を瞑って言葉を続ける。
「……さて、くらったノルンも理解してないようだから一つ、講義をしてやろう」
「何……を…………」
血反吐と共に疑問の声を漏らしたノルンに対してレイズは杖に寄り掛かったまま得意げな表情を浮かべて見せた。
「まあ、ひとまず聞いておけ。魔法は千差万別、単純に自然現象を再現する……いわゆる属性魔法を始め、概念を再現するものなど様々な種類があるわけだが……ルーコ、今さっき俺が使ったのは何の魔法だと思う?」
「へ?え、ええっと……」
突然、話を振られて答えられるはずもなく、困ってあたふたしていると、私の代わりに隣で難しい顔をしていたリオーレンが口を開く。
「……今のは属性魔法……その中でも取り分け扱いの難しい雷魔法っスね」
「雷……魔法……?」
ほとんど本の知識だけど、私は魔法について知っている方だとは思う。
集落にあった本が古いから偏りがあるかもしれないが、それでも基礎的な魔法の知識は十分に持っているはずだ。
にもかかわらず、私にはリオーレンの口にした雷魔法に関しての知識がない。
もちろん、雷という自然現象については知っている。
詳しい理屈までは分からないけど、豪雨の前、あるいはその最中に黒く重い雲から光と轟音が轟き、それが落ちたところはたまに火事が起こる……たぶん、直撃すれば人なんてひとたまりもない自然現象という認識だ。
確かにあれが雷だというならさっきの光と音にも辻褄が合うが、人の想像力の範囲でそれを再現できるものなんだろうか。
「流石に〝賢者〟だけの事はあるなリオーレン。そうだ、俺が使ったのは雷。圧倒的な熱量と光の速さで対象を射抜く魔法だ。まあ、あくまで人の認識の範囲だから実際と比べて速度は劣るだろうがな」
答え合わせと言わんばかりに人差し指を上に立てて語るレイズに片膝をついていたノルンが杖を頼りに立ち上がり、血を拭ってからゆっくり息を吐き出して睨むような視線を返した。
「…………雷、ね。そんなに強力な魔法が使えるならどうして今まで使わなかったのかしら?」
言われてみれば見てきた限り、レイズは雷どころか強化魔法以外の魔法を戦闘に使っていない。
無論、固有の魔術は使っているのだろうけど、私達が使うような魔法を見たのは今の雷魔法が初めてだった。
「ハッ、こんなものを使ったら戦いなんて一瞬で終わってしまうだろ?互いに技と力をぶつけあい、その刹那に喜びを感じるのが戦いだ。一方的な蹂躙ほどつまらないものはない」
「……戦闘狂いの貴女らしい発想ね。戦いなんて何が面白いのか私には分からないわ」
「だろうな。お前は昔から魔法や戦いよりも読書の方が好きな子供だった」
「……貴女が私の何を知っているのかしらっ!」
話の終わり際を目掛けてノルンが疾走、目にも止まらない速度でレイズへと迫り、下から切り上げるように影の鎌を振り抜く。
「っ……!」
ノルンの振り抜いた影の鎌をレイズは避ける事すらしない。
ただ、刃が自分に届くよりも早く杖の柄を足で押さえただけ。たったそれだけでノルンの振るった目にも止まらない一撃をあっさり止めてしまった。
「…………もう少し休んでいた方が良かったんじゃないのか?」
「……余計なお世話よ。貴女こそ、その程度で私の攻撃を止めたつもり?」
余裕のレイズに対してノルンが言葉を返したその瞬間、黒衣の裾がはためき、影が幾重もの槍となって襲い掛かる。
「ハハッ面白い!もっと魅せてみろ!!」
「いつまでその余裕が持つかしら……!」
無数の影槍を跳んでかわしたレイズは追撃に身を翻して楽しそうに笑い、それを追うノルンが距離を詰めながら攻撃の手を強め、戦いはさらに激しさを増していく。
「ハハハッ!いいぞ!ならこれはどうする――――『雷鳴の短槍』」
そんな攻防の合間、レイズが再び人差し指を突き出して呪文を唱え、あの恐ろしい威力の雷魔法がノルンへと放たれた。
再度、稲光が走って轟音が大気を震わせる。最初の一撃で吐血する程の傷を負っていた以上、もう一度くらえば戦闘不能になる事は必至、下手をしたらノルンの命に係わるかもしれない。
「…………くると分かっているのに同じ魔法をくらう訳ないでしょう?」
もしもの時は止めるつもりでいた私の心配はどうやら的外れだったらしい。
黒衣の裾から伸びた幾重もの影がノルンの前方に展開され、あの凄まじい威力と速さを持つ雷魔法を完全に防いでしまった。
「……なるほど、さっきの一撃はその黒衣一枚で防いだからこそのダメージだったというわけか」
「ええ、貴女の言った通り、私の魔術は攻撃よりも防御性能に特化しているわ。認識できない一撃は別だけど、分かってさえいればどんな攻撃だろうと防げる……そして――――」
杖を前に掲げたノルンは防御を解いて瞑目し、黒衣の裾から影を辺りに浸食させて解き放つ。
「――――私の影は全てを食らい、呑み込む……さあ、一緒に踊ってもらうわよ?〝絶望の魔女〟」
辺り一面を呑み込む影の領土の中心で不敵な笑みを浮かべたノルンがレイズへそう宣言した。




