第120話 死遊の魔女と最悪の事態
迫る黒い閃光を避け続け、ガリストとの距離がかなり開いてしまう中、ようやく体勢を立て直す事に成功した私は『風を生む掌』による移動を止め、強化魔法へと切り替える。
黒い閃光には当たらずに済んだけど、ここまで距離を取られるのはまずい……どうにか詰めないと。
不得意であろう接近戦ならともかく、ここまで距離を取られてしまうと〝魔女〟であるガリストとの差が如実に出てくる。
ただでさえ、制限時間のある今の私にとってそれはあまりにきつい。
だから多少の無茶をしてでも、もう一度接近戦に持ち込む必要がある。
「〝回れ回れ水の輪っか、風を切り裂き、回り続けろ〟――――『水輪の風勢』」
少しずつ距離を詰めながら詠唱を口にし、黒い閃光を屈んでかわしつつ、呪文と共に片腕を振り抜いた。
使ったのは以前に見たお姉ちゃんの魔法。本来なら両腕を振り抜いて無数の小さな水輪で敵を切り裂く魔法だが、『魔力集点』によって出力の上がったそれは一つ一つが凄まじい殺傷能力を秘めていた。
「そんな大振りで――――」
迫る水の輪っかを前にガリストがそう口にするが、私の狙いは本人でなく周りの死体人形だ。
「もう一発……!」
もう片方の腕も振り抜いて水輪の数を増やし、ガリストの周りを固める死体人形を減らしにかかる。
「オァァ――――」
「ガァ――――」
「オォォ――――」
最初の水輪が着弾し、死体人形達は声を上げる間もなく、次から次へと一撃の下に身体を切り裂かれていく。
そして、二度目に放った水輪が残った死体人形を襲い、見る見るうちに数を減らしていった。
「チッ……役立たず共が」
盾としての役割すら果たせずに崩れ落ちる死体人形達に対してそう吐き捨てるガリスト。
確かにガリスト視点で考えれば役目すら果たせずに倒された役立たずかもしれないが、あの死体人形達も元は人間だったと考えると、その言い草に憤りを覚える。
「――――『風を生む掌』」
憤りを呑み込み、熱い吐息と共に魔法を発動させ、ガリストとの距離を一気に詰めんと加速する。
さっきの『水輪の風勢』で私の残り魔力は半分を切った。もう同じような手は使えない。次の攻防でガリストを仕留めきらなければ『魔力集点』はもう持たないだろう。
だから怒りも、憤りも後でいい。ここでガリストを倒せなければ、それこそ犠牲者たちは報われないのだから。
今まで出した最高速を超える勢いで加速した私は崩壊した死体人形の壁を飛び越え、ガリスト目掛けて踵落としを叩き込んだ
「ッ……!」
「はぁぁぁッ!!」
私の速度に反応しきれなかったのか、ガリストは咄嗟に残った片方の腕を掲げて盾にするも、その程度では止まらない。
最高速度を超える速さと最大まで出力した強化魔法を乗せた踵落としはガリストの障壁魔法を容易に貫き、残った腕の骨を完全に粉砕する。
「っ…………!!」
「くっ……」
しかし、躊躇いなく残った腕を犠牲にした事で踵落としはガリストの身体には当たらず、地面に深々とめり込んで地響きと罅を残した。
決め切る事はできなかったけど、これで両腕はもう使い物にならない。あそこまでの重傷は治癒魔法でも治すのは難しいし、仮にガリストがそれを使えるとしても、戦闘中……まして激痛に耐えながら行使する事はできない筈だ。
後はここから畳みかけて一気に攻め崩せば…………
そこまで考えたところでガリストが思いっきり後退し、さっきまでいた場所から数体の死体人形が這い出てくる。
「っこのくらい……!」
掴みかかってくる死体人形たちを振り払い、一刻も早くガリストを仕留めるために強化魔法の出力を上げたまま一気に沈めた。
まだあの傷を治癒できる程の時間は経っていない……これなら攻め切れる――――
そう思ったその瞬間、ぞくりとした悪寒が全身に走り、視界の先のガリストの口が弧を描くように裂ける。
「……まさか、まさかだよ。〝魔女〟でもないただの魔法使い……それもお前みたいな子供にここまで追い詰められるなんて」
すでに両腕を封じられた満身創痍といっても差し支えない状態にも関わらず、異質な圧力を放つガリストはまるで痛みを感じていないかのように笑い、それを口にした。
「〝眠りを冒涜する踊り人形、死化粧で彩る際、殺せ、刻め、弄べ、どうせ死人は語らない…………〟」
「魔術の詠唱……!?っさせない――――」
この局面で使うという事は正真正銘、ガリストの切り札だろう。どんな効果をもたらすかは知らないが、万が一にも発動させるわけにはいかない。
『風の飛刃』
詠唱を妨害すべく、この距離から出せる最速の魔法を行使し、放たれた風の刃がガリストを斜めに切り裂いた。
これで詠唱は止められたはず…………ッ!?
飛び散る鮮血を前にそう確信したのも束の間、衝撃で軽く吹き飛んだガリストの口が何事もなかったように動く。
「〝私は死の支配者、魔力の深淵よ、この身を歪めろ〟――――『醒花・死粧人換』」
瞬間、溢れだしたのは暗く悍ましい濃密な魔力の渦。それは例えるなら大量の虫が蠢く穴にその身を晒しているような感覚……とにもかくにも、目を逸らし、全力でその場から逃げ出したくなる悍ましさだった。
「これも醒花、なの…………?」
アライアの使った醒花と目の前で発動した醒花と思われる何かとの違いに思わずそんな言葉が零れ落ちる。
「――――ぷはぁっ……全く、これは大誤算だ。本命である〝創造の魔女〟に辿り着く前に〝剣聖〟、〝偽物〟、〝醒花〟まで切らされるとはね…………この代償は高くつくよ」
真っ黒な髪を振り乱し、ぎろりと真っ赤に血走った目と死体人形のように肌を青白く変色させたガリストが姿を現した。
「っ腕が治って…………」
骨まで粉砕したはずの両腕が完治している。仮にガリストが治癒魔法を使えたとしても、あの重傷を一瞬で治すのは不可能……つまり、それは今しがた使った醒花による魔術がもたらした効果という事だ。
「さて、それじゃあまずは……お前の望み通り、接近戦に付き合ってあげるよ」
「なっ……!?」
さっきまで頑なに接近戦を避けていたガリストが自ら近付き、攻撃を仕掛けてくる。
確かに〝醒花〟を発動させた状態なら単純な強化魔法でも爆発的な出力を得る事ができるが、元々近接が苦手なガリストがわざわざ仕掛けてくる理由はない。
まして『魔力集点』状態の私は辛うじてとはいえ、〝醒花〟を使ったレイズとも打ち合えていた。
それをガリストが知る由はないだろうが、それでもここまで『魔力集点』状態の私の動きを見てきてなお、接近戦を仕掛けてくるのはあまりに不可解だった。
「ほら――――」
「っそのつもりなら……」
なんにせよここで退くという選択肢はない。
『魔力集点』の残り時間もそうだが、退いて醒花を使ったガリストの得意な距離で戦うよりは、多少の不気味さを呑み込んで近接戦を選んだ方がいい。
もし何か仕掛けているのだとしても、その上から強化魔法で捻じ伏せる……!
普段ならもっと慎重になる場面だが、迫る時間切れ、因縁の相手、ここまでの疲労にガリストの予想外の行動が重なり、私の思考を狂わせたのかもしれない。
浅はかな考えの下に繰り出された蹴りはしかして、ガリストの腕を砕き、胴体を捉え、骨を砕く感触と共に致命とも言える一撃となった。
「くく……痛いなぁ…………」
明らかな致命傷を受けたガリストが痛いと口にしながら嗤った次の瞬間、私は信じられないものを目にする事になる。
「噓……でしょ…………」
砕かれ、致命傷を負った筈のガリストの身体がぐちゃぐちゃという気味の悪い音を立てて蠢き、元の通りに復元されてしまった。
今のは治癒魔法なんて生易しいものじゃない。根本的に身体を変質させなければあんな風にはならないだろう。
それこそ――――
「――身体そのものを不死の人形に変える……それがボクの〝醒花〟だよ。ルーコちゃん?」
「しまっ――――」
あまりの現象を前にできた思考の空白は致命ともいえる隙を晒してしまい、私は振りかぶったガリストの〝醒花〟による一撃をまともに受けてしまった。




