第116話 絶望の魔女対死遊の魔女
「全く、わざわざ目立たないように準備して、やっと一匹仕留めたと思ったのに……それが知らない女なんて」
凶悪な魔物の死体人形を倒した直後、完全に油断していた隙に撃ち込まれたその一撃からは〝死遊の魔女〟である彼女……ガリストの底意地の悪さが滲み出ていた。
「……ま、いいか。あの魔物を失ったのは少し惜しいけど、あの程度の戦力なら補充は効くし、壊したアレを人形にすればお釣りがくる――――あ?」
髑髏杖を肩でとんとん鳴らし、軽い調子でそういうガリストだったが、自らの背後から影の槍が迫っているのに気付き、気怠そうにその場から退避する。
「――――勝手に殺さないでほしいのだけれど?」
ガリストを狙った影の槍を操っていたのは奇襲をまともに食らった筈のノルンだった。彼女は口の端を吊り上げ、挑発めいた言葉と視線をガリストに向けている。
「……なーんだ。生きてたんだ。完全に不意を突いたと思ったんだけどなぁ?」
「……貴女の悪辣な手法は聞いていたもの。殲滅したと油断させて不意を突いてくる可能性を考慮するのは当然でしょう?」
折れるのではないかと見紛う程に首を傾けてつまらなそうに吐き捨てたガリストに対し、わざと煽るような口調でそう言い、肩を竦めるノルン。
おそらく、ガリストを怒らせて冷静さを失わせようという意図なのだろう。
「ノルンさん……無事で良かった……」
「心配かけてごめんなさい。防げたのはルーコちゃんの忠告のおかげよ」
無事を知り、安堵する私へ立ち上がったノルンが謝罪とお礼を以って答える。
よくよく考えてみればノルンはあの魔術を解除していなかったし、ブレリオの時とは違い、黒い閃光は彼女を貫通していなかったのだから、手遅れと決めつけるのはずいぶんと早計だった。
それでも私がここまで取り乱してしまったのは、ひとえにあの時の光景が脳裏に焼き付いていたからだ。
目の前で見知った誰かが死ぬのを止められなかった後悔は自分で思っているよりも、深く私の心に刻まれているのかもしれない。
「チッ……まあいいや。仕留められはしなかったけど、お前の魔力が残り少ない事に変わりはない。そうなったらここにいるのはそこの未熟なエルフと……誰かは知らない子供だけ。殲滅するのは容易そうだ」
舌打ちを鳴らすガリストだったが、すぐに落ち着きを取り戻し、私とレイズを一瞥すると鼻を鳴らしてせせら笑う。
たぶん、前回の騒動でぼろぼろにやられた私の姿を見ているから脅威にはなりえないと思われているのだろう。
……あの様子だと相手はレイズさんの事をただの子供だと思ってる。私達を舐めきっている今が仕留める絶好の機会かもしれない。
いくらぎりぎりまで手を出さないと明言していても相手は〝魔女〟……流石のレイズも手伝ってくれるはずだ。
「……ほう?俺を子ども扱いとはな。〝死遊の魔女〟はずいぶん自信家なようだ」
ガリストの言葉にレイズが眉をぴくりと動かして反応する。
子供の扱いされた事で見るからに怒っているのが分かるが、そもそもガリストが〝絶望の魔女〟の容姿を知らないのなら、そう勘違いするのも仕方ないように思う。
「…………あ?なんだお前。生意気な口を叩きやがって……いいよ、そんなにいうんならお前から壊してやる」
どうやら大分、気が短いらしいガリストはレイズの返しが我慢ならなかったようで、表情を歪め、髑髏杖を地面に打ち鳴らす。
「――アァァァッァ…………」
「――オォォオオォ…………」
瞬間、ガリストの足元に白く輝く魔法陣が展開され、そこから色に見合わないほど悍ましい人型の死体人形が複数体現れる。
「――――あの生意気な子供を壊せ」
その号令を皮切りに呼び出された死体人形が一斉に動き出し、レイズの命を奪わんと襲い掛かった。
「……やれやれ、まだ手を出すつもりはなかったんだが、襲い掛かってくるってなら話は別だ。格の違いを教えてやろうか」
しょうがないなと言わんばかりの言葉とは裏腹に、口の端を歪め、喜色を浮かべたレイズは戦斧を低く構えて溜めを作り、死体人形を目掛けて思いっきり踏み込む。
レイズの振るう戦斧はその衝撃だけで向かってきていた死体人形の群れを吹き飛ばし、再生も不可能な程ばらばらにその身体を引き裂いた。
「…………あ?」
目の前で起きたその出来事を前にガリストの口から間の抜けた声が漏れる。
それは彼女の規格外さを初めてみた誰もが示す反応だ。
今の攻防の中で彼女は〝醒花〟を使っていない。つまり、純粋な強化魔法と膂力のみであの一撃を繰り出したという事になる。
……私の知ってる限りだけど、強化魔法を主体に戦う戦士や剣士の人だってあんな芸当はできない。それを魔法使いの頂点である〝魔女〟のレイズさんが当然のようにやって見せるんだから、そりゃ余計に驚くよね。
未だにレイズの使う魔術については分かっていないが、戦いが始まった時に使った土魔法一つを取っても、魔法使いとしての技量はずば抜けている。
にもかかわらず、強化魔法も突出しているというのはあまりに規格外……怨敵であっても対峙するガリストが憐れに思える程だ。
「……ハッ、これで終わりか?〝死遊の魔女〟が聞いて呆れるな」
肩に戦斧を担ぎ、鼻で笑いながらガリストへ煽るような言葉をぶつけるレイズ。子ども扱いされた事が相当頭にきているらしい。
「…………調子に乗るなよ。あの程度の死体人形ならいくらでもいる。すぐにお前を血祭りに――――」
再び魔法陣を展開して新たに死体人形を呼び出そうとしたガリストへ、一瞬にして距離を詰めたレイズが強化魔法の乗った蹴りを放ち、その身体を大きく吹き飛ばした。
「……俺みたいに近接戦が得意ならともかく、お前の戦術的に喋ってる暇なんてないだろ」
吹き飛んだガリストの方に冷ややかな視線を向け、レイズはそう吐き捨てる。確かにレイズの言うように面で制圧する魔術を使うガリストがこうして前線に出てくるの明らかに愚策だ。
この手の戦術を活かすなら術者は安全なところからひたすらに戦力を投入すべきだと思う。
それでもガリストが私達の前に姿を現したのはノルンの隙を突いて自らの手で仕留めるためだろう。
「がっ……ぐっ…………クソ……がぁッ…………」
まともに蹴りをもらったガリストは嘔吐きながらも、青筋を浮かべ、怒りの形相で立ち上がるが、その足取りはおぼついていない。どうやらレイズの蹴りは相当効いたようだった。
「……腐っても〝魔女〟。流石に一撃は耐えるか……ああ、〝死遊〟だから腐ってると掛けたわけじゃないぞ?」
「っ……ふざけ……るなぁぁッ!」
わざとなのか、それとも天然なのかは分からないが、挑発めいたレイズの言葉に激昂するガリスト。
まあ、ただの子供だと思っていた相手の蹴り一撃でほぼ戦闘不能状態になってしまったのだから羞恥も相まってそうなるのも無理はないと言える。
「……同じ〝魔女〟でもここまで差があるなんて」
得意分野の違いといってしまえばそれまでだが、それでもここまで一方的になるとは思っていなかった。
「そうね……まあ、普通の魔法使いにとって近接戦が弱点ってのもあるけれど、それでもこの差はアレが〝魔女〟の中でも驚異的な戦闘力を持っているからという理由が大きいでしょうね」
レイズが戦いに参戦した時点で出る幕がないと、魔術を解除したノルンが私の言葉にそう答える。
……周りがそういう人ばかりだから忘れかけてたけど、普通の魔法使いは遠、中距離戦を想定してるから近距離に対応できないのは珍しくないんだった。
それでも〝魔女〟なのに対応できないのはどうなのだろうかという疑問点はあるが、ノルンの言っている事には納得できた。
「ッ…………舐め……やがって……もう、いい……お前の……正体は、知らないが……こうなったら――――」
追い詰められたはガリスト血走った目でレイズを見据えると、髑髏杖から黒い閃光を乱射すると共に、再び魔法陣を展開し、今までの死体人形とは装いの違う何かを呼び出す。
「――――〝剣聖〟グレイス……ボクの玩具の中でも最強の手札だ。光栄に思え、対〝創造の魔女〟用だったが、お前にも使ってやるよ」
黒い閃光を受けてなお、無傷のレイズに忌々しそうに睨みながらも、ガリストは勝ち誇ったようにそう吐き捨てた。




