第11話 恐怖と魔物とお姉ちゃんの笑顔
姉と魔法の練習をするようになってから一年。あの日から何だかんだで姉と過ごす時間が増え、魔法の練習以外の事も一緒にするようになった。
「んー……ねえ、ルーちゃん。これはどういう意味なの?」
「えっと、これはね……」
料理を作ったり、編み物をしたりと私が今まであまりやってこなかった事の他に、意外にも姉が魔術の勉強のために本を読みたいと言い出したので分からないところを解説したりもした。
そして今日は姉と共に狩りをするエルフ達に同行して獰猛な獣や魔物を相手に実戦を経験しに来ていた。
「ガルルルルゥゥゥ!!」
体長が私の数倍程もある四足歩行の魔物が獣臭い吐息を撒き散らしながら迫ってくる。
「無理無理ぃぃ!!怖い怖い怖いぃぃ!!」
その魔物の見た目と勢いに気圧された私は反撃する事も忘れて必死に逃げ出した。
「も~逃げてばっかりじゃ駄目だよルーちゃん」
少し離れたところで見ている姉がそんな事を言ってくるが、そもそも魔物のどころか獣の相手すらしたことのない私に逃げるなというのは無理があるだろう。
「ガルァアアッ!!」
「ひぅっ!?」
鋭い爪がさっきまで私のいた場所に突き刺さり、喉の奥から情けない声が漏れる。
怖い……魔物の速度も攻撃の鋭さも実戦練習で対峙した姉に比べれば圧倒的に劣るのに、恐怖で身体がすくんで思うように動かない。
「っ……」
その理由は自分でもわかってる。
姉との実戦練習でこれ以上に危ない目にもあっているけど、そこに私を害そうとする意思はなく、仮に怪我をしても治してもらえるという安心感もあった。
けれどこの魔物は違う。この魔物は私を獲物として追い、命を奪って喰らうために攻撃を仕掛けてきている。
その殺気、あるいは殺意という圧に呑み込まれた結果、私の身体はすくんでしまっているのだろう。
「━━いいのか?あのままだとお前の妹は魔物に喰われてしまうぞ」
逃げ回る中、狩りを終えた一人のエルフがこちらに目をやり、姉にそう尋ねているのが聞こえてくる。一見、心配しているように聞こえる台詞だがその声色は酷く冷めていた。
「━━大丈夫。家のルーちゃんはあんな魔物に負けないよ」
そんな声とは対称的に尋ねられた姉は胸を張り、自信満々にそう答える。
自分の事じゃないのにどうして負けないって言い切れるのかな……。
こうして逃げ回ってる姿を見ている筈なのに、それでも落胆した様子を見せることなく期待の眼差しを向けてくる姉。
その視線に気をとられ、一瞬、魔物から意識を外してしまう。
「ガルアアァァァアアアッ!!」
「しまっ……!?」
その瞬間を狙ったかのように再び振り下ろされた魔物の爪に対し、僅かに反応が遅れてしまった。
「っ……!」
咄嗟に思いっきり足に力を込めて跳んだお陰で攻撃自体は避けられたものの、場所を気にしている余裕がなく、気が付けば周りを大木に囲まれていた場所に着地していた。
まずいっ……逃げられない……!
木々の間は空いているが、草木が生い茂っているため迂闊に逃げ込むと足をとられてしまい、爪の餌食になってしまう。
「ガルルル……」
私がもう逃げられない事を理解しているのか、追いかけるのを止めてその場に留まり、唸り声を上げながら力を溜めるように身を縮ませている。
「う、うぅ……」
魔物の唸り声と圧にじりじりと圧された私はいつの間にか大木に背が当たる位置まで下がってしまい、完全に追い詰められてしまった。
「ガアアァァァアッ!!」
飛び掛かってくる魔物。命を刈り取ろうと振り下ろされた爪。
すぐそこまで自分の死が迫っている状況に至っても身体が震えて思うように動いてくれなかった。
このままだと私は…………
もう幾何の猶予もない。姉や他のエルフが動く気配もない以上、なにもしなければここで確実に命を落とすだろう。
っ嫌だ……死にたくない……!
何の心の準備もないままこんなにも唐突に、突然に魔物に殺されるなんて嫌だ。
私はいろいろな事を知りたい、見た事もない景色を見てみたい、外の世界へ行ってみたい、まだまだやりたい事がたくさんある。
だから━━まだ死ねない……!!
心の中で強くそう思った瞬間、魔物への恐怖よりも死への恐怖が勝って身体を突き動かした。
「っぁああぁぁぁ!!」
お腹の底から声を上げて背後の大木の幹を蹴り、その勢いで飛び込んできた魔物の下を潜り抜けるように転がった。
「ガルァッ!?」
獲物を捉えた筈の爪が空を切って大木の根に深々と突き刺さり、魔物が動揺混じりの声を上げる。
今が絶好の機会……一発で決める。
転がりながら魔物の背後へと躍り出た私は振り返り、両の手で弓を射るような構えをとった。
「……〝暴れ狂う風、狙い撃つ弓矢、混じり集いて形を成せ━━〟」
詠唱と共に周囲の風が音を立てて集まり、私の手の中で弓と矢を形成していく。
そして渾身の力で振り下ろしたせいで深く木の根に刺さった爪が抜けずにもがいている魔物へと狙いを定め、風の弓矢を引き絞った。
『一点を穿つ暴風』
弦に掛けていた指を離すと同時に圧縮された風の矢が魔物目掛けて射出される。
「ッ…………!?」
射出された風の矢は瞬きをするよりも速く魔物を射貫き、断末魔を上げる暇すら与えずにその命を奪った。
「━━あ」
風の矢は目標である魔物の貫いた後も止まることなく突き進み、その後ろの大木さえも穿つ。
確実に仕留めるためにあの状況で使える最大の魔法を選んだが、思っていたよりも魔物の外皮が薄く、必要以上の被害を出してしまった。
「……ま、まあ、木をなぎ倒した訳じゃないから大丈夫だよね?」
幸い矢という形状のおかげで大木に小さな穴が空いた程度で済んでいるため、やり過ぎたと怒られる事もないと自分に言い聞かせる。
「あ、あれ……なんだか……力が入らな……」
魔物を倒した事で気が抜けたらしく、全身を脱力感が襲い、その場に崩れ落ちそうになってしまう。
「━━おっと、ルーちゃん大丈夫?」
そのまま地面に座り込みかけた私をいつの間にか隣に来ていた姉が受け止めた。
「う、あ、お姉さま……?」
「うん、お姉ちゃんだよ~。ルーちゃんよく頑張ったね」
極度の緊張から開放された反動でぼやける意識の中、頭を撫でてくる姉に対して私はただ、なすがままにされている。
「まさか本当に魔物を倒してしまうとはな……」
姉の隣でこちらを見ていたエルフが息絶えた魔物を一瞥しながら近付いてきた。
「ふふ~ん、だから言ったでしょ?家のルーちゃんはあんな魔物に負けないって」
自分の事じゃないのに姉は相も変わらずやたらと自慢げに胸を張る。
もう二十一歳にもなるのに妹の私以外にもその口調で接しているのかと何だかこっちが恥ずかしい。
まあ、幸い相手は姉の口調に関心がないだろうから何か言われる事もないだろうけど。
「そうだな。その歳で魔物を倒したのは六年に死んだあいつ以来か」
「…………!?」
姉の自慢に返したそのエルフの何気ない一言でぼやけていた意識が一気に覚醒する。
私が生まれてから今に至るまで他に聞いた事がない以上、六年前に死んだあいつというのは紛れもなくあの人の事だ。
あの人が亡くなった日、このエルフも亡骸の前で泣きじゃくる姉の姿を見ていた筈なのに平然とその話題を口にするとは思わなかった。
「あいつが生きてた時は狩りが楽で良かった。多彩な魔法で獲物を追い込んで仕留めてくれたからな」
このエルフが特に気にする事もなくあの人の話題を続ける中、私は恐る恐る姉の顔を見上げる。
「っ…………!?」
見上げたその先、あの人の話題を続けるエルフの方を見る姉の顔に私は思わず息を呑んだ。
こんな風に笑うお姉ちゃん初めて見た……。
今まで見てきたぽわぽわした笑顔や含みを持たせた笑みとは違う、貼り付けたような笑顔。そこには何の感情も感じられなかった。
「お姉、さま……?」
「……ん?どうしたのルーちゃん」
私が声を掛けると姉の表情が貼り付けたような笑顔から普段の優しげなものに戻る。
これ以上、お姉ちゃんにあんな顔をしてほしくない。
どうしてそう思うのか自分でも分からないけど、それでも私が嫌だからあの人の話題はここで打ち切る。
「……ううん、やっぱり何でもない。そういえば早くあの魔物を解体しなくていいの?血の臭いに釣られて他の魔物が集まってくると思うんだけど」
「ん?ああ、そうだな。そろそろ取り掛かるとするか」
首を振って姉に断りをいれ、魔物を理由に話題を打ち切ると話をしていたエルフは特に気にした様子もなく、他のエルフを呼んで解体作業に向かっていった。
「……私達も今日のところは帰ろっか」
「…………うん」
他のエルフ達が解体作業しているのを後目にそう提案すると姉はぼそりと呟くように頷いた。




