第98話 平凡な私と折れない理由、そして魔女という高み
全身に走る痛み、ぐるぐる回り上下左右の方向感覚の定まらない視界の中で目を覚ました私は自分がまだ息をしている事に驚きつつ、冷静に現状を確認しようとする。
「いっ……が……ごほっ……げ……あ…………っ!!?」
無意識に声を出そうとしたその瞬間、強烈な吐き気と共に血反吐が飛び出し、全身が熱を持ったような錯覚を覚える。
いき……っが……できな…………っ
それを自覚してしまったせいなのか、激痛と呼吸難が一気に襲い掛かり、涙と鼻水がそれに拍車を掛けた。
「っ……があぁぁぁ……ぐげおぇっ…………」
治まらない苦痛に耐えられずにのたうち回り、爪の間に土が食い込む痛みを気にする余裕もないままただただ血反吐と叫びを吐き続ける。
こうしている間にも幼女の追撃がくるかもしれないが、今の私にはどうする事もできなかった。
「――――なんだ。もう終いか」
苦しみ悶える私へ少し離れたところから幼女のつまらなさそうな声が向けられる。勝手に期待して勝手に落胆するなと叫んでやりたくなるが、もちろんそんな余裕はなかった。
「……んー少しは面白そうだと思ったんだが、見込み違いか?この程度で折れるのがアライアの弟子だとはな」
戦斧を肩に担ぎ、完全に戦闘態勢を解いた状態になった幼女は興味をなくしたようにそう吐き捨てると、大きな欠伸をして踵を返す。
たぶん、このまま倒れ悶えていれば幼女は去り、それ以上戦わなくても済んだのかもしれない。
けれど、ここで折れたら私はきっとこの先へ進めなくなってしまう。
それになによりこのまま言われっぱなしで終わるのはなんか嫌だった。
「っ…………――――――『癒しの導』ッ!!」
もはや本能と言っても差し支えない程の無意識化で呪文を叫び、激痛を無視して立ち上がる。
いかに血反吐を吐き、悶えようとも『魔力集点』はまだ解けておらず、底上げされた治癒魔法の効果でどうにかまともに動ける程度まで回復した私は、そのまま幼女に向けて矢を番えるような動作を取った。
「……!!よく立ち上がっ――――――」
「――――『一点を穿つ暴風』」
振り返り表情を喜色にまみれさせた幼女が何かを言いかけたけれど、知ったこっちゃない。暴れ狂う風が甲高い音を上げて集束、それを一本の矢へと変え、弦を引き絞る。
風の魔法が効かない事は百も承知、でもここまで高密度に圧縮したものなら簡単には霧散しないはず――――
『魔力集点』状態で放つ自身の最大威力の魔法に賭け、笑う幼女を見据えて高密度の風矢を撃ち放った。
「っ――――――」
瞬間、視認不可能の速度で風矢が走って反動と余波の風が私に降り掛かり、思わず目を瞑ってしまう。
詠唱を省いてなお、この威力……これなら――――――――
化け物を貫いた時よりも強烈なその威力に期待を乗せながら瞑っていた目を恐る恐る開いた。
「嘘……でしょ…………」
起きた事象を否定したくて目を瞬かせるが何度繰り返しても目の前の光景は消えない。
あれだけの威力、おそらく相手がアライアであっても通じるであろう風矢を受けて先程と何一つ変わった様子のない幼女の姿を前に私は絶句し、膝から崩れ落ちそうになる。
「――――今の魔法、もし出合い頭に頭を撃ち抜いていたら俺を殺せてたかもしれないな」
幼女は先程までの笑みを消し、感心した表情でそう呟くと、担いでいた戦斧を下ろして再度構える。
「……その顔を見るにさっきの魔法が切り札だったんだろう。十分に楽しめた……もう終わりにしてやろう」
構える幼女の圧力は先程までと比べ物にならない。おそらく次の一撃は防ぐ事はおろか、避ける事もできないだろう。
っ……折れるな!身体も動くし、『魔力集点』だってまだ続いてる。だからまだ……まだ諦めるわけにはいかない!!
寸前のところで踏み止まり、首を振って諦観めいた思想を振り払って顔を上げる。
次の一撃をどうにかする算段は何もない。でも、折れなければ……諦めなければ可能性は潰えないと構える幼女へ真っ直ぐ視線を向けた。
「……!!まだ諦めて――――」
戦斧を構えた幼女が目を見開き、言葉を口にしかけたその時、私と幼女の間に巨大な壁が現れ、空から勢いよく何かが降ってくる。
「――――――ルーコちゃんを虐めるのはそこまでにしてもらおうかな」
「ア……ライア……さん?」
空から降ってきた何かの正体……それは深紅の髪をなびかせ、大きな杖を片手に普段とは違う厳しい表情を浮かべる〝創造の魔女〟、アライアだった。
「フッ……アハッ……ハッハハハハハッ――――久しいなアライア、会いたかったぞ」
「……私は会いたくなかったよ。君は碌でもない理由でしか動かないからね」
突如として現れたアライアに今まで以上の喜びを見せる幼女。どうやら二人は既知の仲らしく、互いにそれらしい会話を繰り広げている。
「そう言うな、アライアよ。俺はただ楽しさを追求しているだけなんだから、なぁッ!」
肩を竦めた幼女の姿が一瞬でかき消え、アライアの背後へ出現、鋭い戦斧の一撃が振るわれた。
「……それが碌でもないって話だよ。レイズ?」
奇襲紛いに振るわれた戦斧を魔術による防壁で防いだアライアは幼女の名前らしき単語を口にし、そのまま反撃と言わんばかりに無機物の突起を操って攻撃を仕掛ける。
「ハッ、相も変わらず面白い魔術だ。まあ、その万能さ故に不自由な魔術だとも言えるが」
「そっちこそ、相も変わらず〝魔女〟らしくない。いっそ斧戦士でも名乗ったらどうだい?」
互いに悪態を吐きつつ、戦斧と魔術による応酬が続く。
その戦いに私の入り込む隙は無く、アライアはもちろん、どうやら幼女もまだ手を抜いていたらしく、動きが先程までとはまるで違っていた。
「……流石にこのままだと埒が明かないな。それに折角の〝魔女〟同士の戦いが今のままではあまりに地味すぎる」
「っ本気?この森ごと吹き飛ぶ事になるよ」
しばらく交戦した後で幼女が難しい顔をして呟く。正直、私の目にはすでに次元の違う派手な攻防に映っているのだが、その言い様からして、まだまだ上があるような口ぶりだった。
あの子の発言もそうだけど、アライアさんの反応もそれができる事を当然としてる……〝魔女〟の領域ってどれだけ…………
遥か高みである二人の戦いは私の心に大きな衝撃を与え、目指す先に自分はたどり着けるのかという不安が鎌首を擡げてくる。
っ……こんなところで折れてどうする、自分が至らない事も目指す高みが遥か遠い事もわかりきってたはず…………なのにどうして。
〝魔女〟という高みへ至った者達の戦いの裏で打ちひしがれる心。この先、才能の乏しい凡人である私がどれだけ努力したとしても、その領域に辿り着いた自分を想像できなかった。
私が打ちひしがれている事など露知らず、いつの間にか幼女とアライアは戦闘を止め、互いに動かないままの膠着状態になっていた。
「…………本気、と言いたいところだが、森ごと吹き飛ぶのは困る。せっかくの面白い芽をここで摘み取りたくはないからな」
少しの沈黙の後、軽くため息を吐きながら戦闘態勢を解いた幼女は戦斧を地面に置いてから肩を竦める。
それと同時に張り詰めていた空気が一気に弛緩していく。
「……はぁ、相も変わらず、だね。それで?結局、君は何をしにここまでやってきたのさ」
幼女にこれ以上、戦うの意思がない事を察したアライアも同様に戦闘態勢を解き、来訪の目的を問う。
思えば私も幼女の具体的な目的は知らない。
言動から戦う事、あるいは〝魔女〟であるアライアに弟子ができたという噂を聞いてそれを確かめるべく来たのだろうと察する事はできるが、それ以上となると当人に聞くほかないだろう。
「んー……何をと問われればアライアが弟子を取ったと聞いて面白そうだなと思ったからなんだが…………気が変わった」
アライアからの問いに幼女はそこまで答えると一旦、言葉を区切ってにやりと笑い、私の方に視線を向けてくる。
「アライアの弟子……ルーコよ。今この時からお前をこの俺――――〝絶望の魔女〟レイズ・ドーターの弟子に認定する」
「…………え?」
襲撃者である幼女の正体、そして唐突な宣言を聞いた事による衝撃で頭の処理能力は限界に達したらしく、私の口からはなんとも間の抜けた言葉しか出てこなかった。




