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南佐の歩 第一章 第五話 3羽ガラス西へ(後)

  

  小次郎は別館の、垂れ幕の名前を見た時から、既に用意していた武器を全て

  吐き出す、相掛かりからの、ひねり飛車、囲いは金銀2枚の坊主美濃だが、

  玉を82に入れずに玉頭銀を繰り出して行く。

  中盤のねじり合いが続く、盤上に香が2枚無いので、互いに左辺での駆け引き

  が重要になってくる、互いに大駒の交換に神経を使う。

  形勢は、ほぼ互角だが、エルモが先に読み上げに入った。

  エルモは驚いた、体内時計では、まだ十分に時間はある筈だ。ーやられたー

  八坂も気付いた、昨日の対局で、三島側を緩めていた水時計が、天城側とすり

  代えられ、更には三島側が速く落ちる様に細工してあった。


  「おやおや、白桜鬼様は、もう読み上げですかい? 

   ちぃっとばかし時間を使い過ぎたみたいだねえ、ひひひ。」


  「へっ、悪党がする様な小細工しやがって、沙羅臭え!

   元々水時計なんて要らねえんだよ!」


  八坂が森と力也にガンを飛ばす、気付いた二人はニヤリと笑ってそしらぬ顔だ


  『糞共が・・腹が立つを通り越して、可笑しくなりそうだぜ・・

   盤上を見る限りじゃ、まだ悦子に分がある、結果次第で、配当を誤魔化すと

   するか・・

   終わった後、天城に因縁つけて、あいつらの身ぐるみ剥いで、それで親父に

   ケジメ付ける、それしかねえ。』


  互いに寄せの構図が見えぬまま、一進一退の攻防が続く。

  遂に小次郎も読み上げに入った。小次郎は、なりふり構わず入玉を試みる。


  「させるかよ!」エルモは待ち駒を打って防衛線を張る。


  「止めれるもんなら止めてみな!」喜々として小次郎が叫ぶ。



  その時、エルモは時がゆっくり動く様な感覚に囚われた、ふわふわした高揚感

  

  胸の鼓動が高鳴っているのが、ハッキリと分かる。

  

  『・・あれ? 何だろう・・凄く、凄く、楽しい・・のかな・・

   初めてだ・・将棋は大好きだけど、こんなに楽しいのは・・


   そうか、小次郎、あたし、あんたの事、好きみたいだ・・

   今、気付いたぜ、ははっ、なんて様だろうね・・

   ちぃっと遅かったけど気付いて良かった。』



  「テコでも通さん!」 エルモが叫ぶ。



  逃げながらも、攻防の悩ましい手でエルモのミスを誘う小次郎だったが、遂に

  必至が掛かった。

  大盤の前にも人だかりが出来て読み上げの中、どっちだ、どっちが勝ってると

  口々に叫んでいる。


  森も力也も顔をしかめた、もうエルモの玉を詰ますしか道は無い、難しいが

  詰みはある、11手詰めだ、だが詰み上げる最後の一手が、駒台にある歩を

  打たなくてはならない。

  打ち歩詰め、禁じ手だ。 指した時点で負けになる。


  八坂の横で見ていた水澤が、良かったな、と八坂の肩を叩いた。


  『冷や冷やさせやがって、畜生めが・・だがこれで一安心、

   賭けの配当を計算し直すか。』

   



  小次郎は無言で指し続ける、エルモも黙って続ける。


  小次郎が打ち歩の一手前、9手目を指した、観ている誰もが次の一手をエルモ

  が指して、小次郎が投了する そう思った。


  エルモの手が止まる。



  小次郎は、はっとしてエルモを見た。

 

  エルモの目からぼろぼろと涙が零れていた、そして笑った。

 


          「ありがとな、小次郎。」



  そう言った刹那、エルモは帯に隠していた匕首に手を掛けて引き抜いた。



  いや、引き抜けて無い、小次郎の右手が咄嗟に匕首の柄を抑え込んだ。


  その場にいる皆が、何が何だか分からずに、ざわついている。



  「へへへ、俺は最初っから分かってたぜ、お前がこうするってな。

   でもな、まだ終わっちゃいねえし、まだ終わらせねえ、お前の死に場所は

   ここじゃねえよ、俺がお前を助けると決めた時から、お前は俺の女だ、

   絶対に死なせねえ! 

   いい加減、分かっただろ、天城の棋士は、とことん女好きってな、

   だったら、こいつを終わらせようや、後はお前が指せば良いだけさ。」


  「あ゛い・・あ゛い・・」とめどなく涙が溢れる。


  読み上げは8まで来ていた、エルモは自玉の頭に駒台の歩をつまんで打つ。


  二歩だ、玉の真下、金の下に底歩が打ってある。


  エルモは、駒台に、そっと手を乗せ、とびっきりの笑顔で言った。

  


         「負けました。」



  会場は大歓声に包まれた、昨日に続き、大盤狂わせも良いとこだ。

  座布団が飛び交い、賭け札が宙を舞う。


  八坂が叫ぶ「イカサマだ!八百長だ!」

  そろばんを放り投げ、客を掻き分け進もうとするが客席の間の客が多すぎて

  進めない。

  手下の二人に出口を固めろと合図した。


  「皆さま、お静かに!」立ち合いの番頭が桟敷に上がった。


  「ただ今の勝負、二歩をもちまして坂田小次郎の勝利、

   依って3勝2敗、天城3羽ガラス側の勝利で決着です!」


  またもや大歓声だ、拍手と野次と口笛と窓の外からも拍手が聞こえる。


  番頭がまたそれを静めた。


  「お客様には、賭け札の精算の前に、一つ余興を用意しておりますので

   存分にお楽しみください。」


  三味線と太鼓、笛が鳴り始める、桟敷の二人を覆う様に幕が張られた。

  客席がどよめき、サプライズイベントに拍手が沸き起こる。


  『何だ、何だ、何が起きてやがる・・

   俺が、このマムシの八坂が嵌められてるってのか、ありえねえ・・

   まさか、最初っから通じてやがったのか!』


  サキが軽やかに三味線を弾きながら、この物語のあらましを唄う。

  

  ー雷神不動北山桜 四幕目 鳴神ー


  幕が取り払われた。


  天皇が戒壇建立の約束を反故にした事により、鳴神上人が怒って世界の竜神を

  封印、国全体が日照りと飢饉に見舞われてしまう、封印解除の密命を受けた

  雲の絶間姫が自らの愛の為、鳴神上人を篭絡し、封印を解除するという歌舞伎

  の演目。


  桟敷の上には、小次郎とエルモだけ、この二人がこの演目の主人公である、

  鳴神上人と、雲の絶間姫だ。

  

  上人に大きな盃を持たせ、酒を注ごうとするも、飲めぬ、臭い、のコミカルな

  やり取りが観客の笑いを誘う。


  何とか、酔い潰して封印の解除方法を聞き出したい姫は、着物の胸や裾を開け

  色仕掛けによって、酒を飲ませる。


  酒も女も知らぬ上人は、完全に篭絡されてしまう。


  怪しまれぬ様、解除の術を聞かねばならない姫は焦るが、切っ掛けを掴めない


  やがて、酒を注いだ盃に蛇の姿を見る、蛇の姿に驚く姫を諫めて、上人が、

  これは酒に映った縄だ、と教えるが、信じない、ならばあれを見よと、竜神

  を封印してある滝口に架けられた、しめ縄を指す。


  ようやく納得した姫は、あの縄はどういう物かと、酒を飲ませつつ問いただす


  これは竜神を封じた縄で、この縄の真ん中を切れば竜神は封印より放たれ、

  世界中に雨が降るのだと、上人は、うっかり口を滑らせてしまう。


  まんまと封印解除の術を聞き出した姫は、更に酒を飲ませ続け、遂に上人を深

  い眠りに落としたのだった。


  観客は、口々に、「いよっ、成田屋!」、「小次郎!」、「悦子!」等と

  声を掛けて盛り上げる。

  歌舞伎通の間では、市川宗家・成田屋のお家芸、荒事が大人気で、中村座や、

  市村座で行われる公演は、一部の金持ちの贔屓筋を中心に入れていたので、

  普通に観る事は中々難しかった。


  ここに来ている客の大半は、観たくても観れなかった成田屋の興行を湯治と

  将棋観戦のついでに観れてしまう、最高の気分だった。

  しかも演奏の出来、二人の歌舞伎は本物に引けを取らない見事な物で、観客

  は、金では買えない奇跡のショーに酔いしれていた。


  いよいよクライマックスが近づいて来た、エルモは軽やかな演舞で大階段の上

  に作られた、滝口を模した岩の張りぼてに歩み寄っては、離れを繰り返し、

  ようやく、しめ縄の中央に立った。


  「やあああああああっ!」


  勢い良く、先ほど自分に突き立てようとした匕首を振り下ろす。


  しめ縄を切った、その瞬間、天井に仕込んでいたくす玉が割れ、広間じゅうに

  銀の紙吹雪が舞った。

  会場は、割れんばかりの拍手と喝采だ。

  

  更には、天も味方する、曇り始めていた空が雷雲に変わり、閃光を放つ。

  即座に、バリバリっと雷鳴が轟く。



  合わせる様に森と力也が白の頭巾と、黒の頭巾を被って現れた。


  「和尚様ああああ!和尚様ああああ!姫が封印を破りました!」


  と叫びながら所狭しと駆け巡る、外はごうごうと雨も降り始めた。


  太鼓の音が高鳴る、三味線も激しく叩かれている。


  小次郎に掛けられてていた幕が取り払われた。


  白装束が、赤のだんだら模様を纏い、顔には赤く隈取が描かれていた。

  憤怒に燃える、鳴神上人の登場だ。


  会場から大きな掛け声と、拍手の嵐、その中で、足を踏み込み、辺りを威嚇

  しながら階段へと近づいて行く、だがそこにエルモはいない。


  八坂が慌てた、「しまった!何処に行きやがった!」

  しかし、人だかりが邪魔で身動きが取れない、何とか押しのけ、掻き分け、

  階段を上ろうとした、その時、

  小次郎がひらりと桟敷から飛んで八坂の前に立ち塞がる。

  そして八坂を通せんぼしながら階段脇の柱にしがみついた。


  ここで、市川宗家のお家芸、大見得からの睨みが炸裂した。


  雷鳴が、かき消される程の拍手喝采が巻き起こり、おひねりが宙を舞う。

  八坂は動けない、完全にしてやられた、出口を固めていた手下も、客に揉まれ

  身動きが取れない。

  

  エルモは芸者衆の手助けで、窓からぶら下げられた荒縄に掴まって中庭に脱出

  していた。

  雨が降りしきる中、別館へ走る。

  別館で待っていた別の芸者衆が、着替えと旅支度を整える。

  濡れそぼった髪を一つに纏めて、笠をしっかりと被せた。


  「あの小次郎って人から手紙を預かってるよ、それと、急いで小田原の港まで

   行けってさ、あ、後ね、これは箱根の芸者衆からだよ、路銀の足しにして」


  そう言うと、手拭を広げた、2分金に銀、朱金もあった。


  「こんなに・・ありがとう、ありがとう・・」

   嬉し涙でくしゃくしゃになりながら、皆と抱擁をした。


  「じゃあ、行って来る!」手を振りつつ駆け出した。


  『こんなのって、あるかよ・・ずっと一人で生きて来た、

   友達とか鬱陶しいって思ってた・・人間なんて糞だって思ってた、

   でも今は、それが間違いだって分かる。

   今は、あんたらに感謝しか無え・・どうか達者で。』


  「気を付けてねー!」「恰好良かったよー!」「また、おいでよね!」


  背中越しに聞こえる芸者衆の声に鬼が笑った。




  番頭が、余興の終わりを告げる。


  「皆さま、楽しんで頂けたでしょうか、今日の立役者、天城3羽ガラスと

   見事な演奏をして頂いた箱根の芸者衆で御座います!」


  小次郎たちは桟敷に集まって、観客からまたまた盛大に拍手を貰った。


  「では、勝ち札を、お持ちのお客様は、こちらの広間においで下さい。」


  番頭の案内で、勝ち札を持っている客がぞろぞろと後を付いて行く。

  広間の中央には、机が置いてあり八坂が宿の台帳と札の番号と、賭け金を記

  した紙、預金の山を前に座っていた。

  三十名程が中に入り、口々に、この将棋や歌舞伎において、いかに興奮した

  かを、顔を赤くして語っている。


  「じゃあ、番号と名前を呼ぶんで、呼ばれた方は前に出て来て下せえ。」


  呼ばれた者たちが喜々として換金して行く、しかし受け取った金に不満がある

  風で、振り返っては首を傾げ、問いただそうと外に出ず待っている。


  「まだ何かあるんですかい? 文句あるなら金は返して貰いやしょうか。」


  金を受け取った客の一人が騒ぎ立てる。


  「こんな出鱈目あるかってんだ!いくら三島さんとこの仕切りだ、つっても

   程ってもんがあるさね、こちとら出目の薄いとこに張ってんだ、今更、金を

   まともに払えねえじゃあ、祝い事が台無しだぜ!」


  「手前・・誰に物言ってんだ、ああ! 不満があるなら金置いて帰んな!」

  匕首をチラつかせ、肩口のマムシの入れ墨を、これ見よがしに晒す。


  「あ、ああ、分かったよ分かった・・これで手を打つさ・・」


  「分かりゃあ良いのさ、へっ、じゃあ次は・・」


  言いかけて、目の前に立っている男に言葉を遮られた。


  「何だあ、手前、邪魔だよ、どきやがれ・・っ、?!」


  与力の橘だ、八坂も顔は十分に知っていた、二十五騎いる南町与力の内、最も

  奉行に近い与力、実質、南町の警察、裁判、行政のトップと言って良い、着流

  し姿なので、傍目に気付く者はまずいないだろう。

  

  「おい、三島の・・八坂だったか、ちくっと、そいつを見せて貰えないか。」


  そう言って机の上に置いてあった配当表を手に取った、一通り見た後、さっき

  の客に、幾ら払い戻されたか聞いた。


  「おいおい、八坂の、こいつは間違ってるぜ、計算違いだ、道中奉行の西田に

   幾ら積んで開帳したかは知れねえし、祝いの席での開帳だ、俺も野暮はしね

   え、だけど、払い戻しを誤魔化しちゃあいけねえよ、道理がなってねえ。」


  「いやいや、勘弁して下せえや橘の旦那、こっちには、こっちの事情が・・」


  橘の後ろから道中奉行の同心と岡っ引きが五人出て来て、八坂を取り囲む。

  おもむろに山本から預かった書状を掲げた。


  「皆の衆!良く聞くのだ、この一件、南町奉行、山本周五郎様の命を受け、

   この橘が始末をつける! 八坂、お前には芸者への暴行、恐喝、その他

   幾つもの詮議が上がっておる、神妙にいたせ。」


  八坂が縛り上げられ、番所に連れて行かれた。


  仕切りの八坂がいなくなったので、代わりに橘が払い戻しをする事になった。

  先ほどの者たちを含めて、喜々として払い戻しを受け取って行く。

  最後の一人になった、そこにはサキがいた。


  「昨夜は、大変な失礼を致しまして・・」


  「良い良い、気にするな、俺も調子に乗り過ぎた、まさかこんなカラクリとは

   思いもよらなかったぜ、ははは、八坂の事は、こちらも尻尾を出さねえんで

   焦れてたとこだったのさ、こっちが礼を言いたいくらいだよ。

   ささ、払い戻しと行こうか。」


  「小次郎が、絶対最後は俺が勝つから、こいつに張っておけって・・

   まさかのまさか、ですねえ、ふふふ、あははは。」


  「大そうな金だ、大事にな。」橘は微笑んで、金を紙にくるんで手渡した。





  桟敷の上に机が置かれ多くの将棋ファンが並んで小次郎の直筆待ちをしている

  次々に扇子や手拭い、色紙が出され対応に大わらわだ、森と力也も並んで対応

  に追われた。

  小次郎はエルモに追手が掛かっているのを察していた。

 

  『頼むぜ、逃げおおせてくれよ、これが最後の大勝負だ、絶対に負けられねえ

   情けねえが、神か仏か、どうか俺に力を貸してくれっ・・』


  袂に忍ばせていた浅草寺のお守りを握りしめた。




  エルモは走る、街道を小田原に向け、行きかう宿泊客を縫う様に走り抜ける。

  頭の中はもう小田原の港、港と繰り返される思考で、他に何も考えられない。


  辺りが木立から少し開けた場所に出た、箱根宿だ。

  

  来る時には、八坂の乗っていた馬の鞍に、縄で繋がれていた上、馬引きと馬の

  陰で、景色も良く見えていなかった。

  雨も上がって、景色が綺麗に見える、辻向こうに人が沢山行きかう通りがある

  東海道に違いない、エルモは足を速めた。

  ふと、通り過ぎる祠の裏に、湧き水が引き込まれているのを見つけたエルモは

  乾いた喉を潤そうと、駆け寄った。

  笠を外して、手拭で顔を拭く、両手で水を受けて口に流し込んだ。


  ー美味いー あまりの美味しさに、ひっくり返る所だった。


  もう一杯と手を伸ばしたところで、後ろから誰かに口を塞がれた。


  『ーっ、しまっ・・』

  そのまま祠の裏の茂みに引き込まれ、口に手拭を突っ込まれた。


  「マンボウ、そっち押さえてろ! へへへ・・やっと捕まえたぜ。

   江戸に戻るには、誰でもここを通るんで、待ち伏せてたのよ・・

   沢伝いに先回りして当たりだったぜ、悦子ぉ・・」


  エルモは振りほどこうと藻掻くが男二人に手足を掴まれてはどうしようもない

  マンボウは匕首を首に突き付けている。

  

  「兄貴、俺に犯らせてくれよ、ここんとこ溜まりっぱなしでギンギンだよ。」


  「ああ、待てって、俺のをぶち込んで大人しくさせてやるからよ。」


  この兄貴というのは八坂の手下でサンゾウと言う、エルモは八坂よりも、この

  サンゾウが嫌いだった。


  こいつは5年前、エルモの家族を自殺に追い込んだ張本人だからだ。

  父が工面した返済の金を、偽の証文でだまし取り、八坂に嘘の報告をした。

  それからは、こいつに連れ込み宿で強制的に売春させられたのだ、憎い、憎い

  憎悪ではらわたが千切れそうな毎日だった。


  『サンゾウ!!糞野郎!どこまでこいつは、あたしにっ・・』


  エルモの下半身は剝き出しにされて、何の抵抗も出来ない状態だ。


  「さあ、死ぬ前のお楽しみといこうか悦子・・  え、何、痛え!背中!」


  サンゾウが引きつって倒れた向こうに、紋付袴の侍が立っていた。

  息を切らし、手には刀が握られている。


  伊澤だ、浴衣姿では無いので、直ぐには気付かなかった。


  「済まない!遅くなった、組頭が袴に着替えて2本差しで追えと言うのでな」


  マンボウは、匕首を伊澤に向け、恐怖でたじろぎつつ言い訳をしていた。


  「俺は、か、関係ねえ! 兄貴が無理矢理、待て!まって・・」


  言い終わらない内に伊澤が頭に刀を振り下ろす。 「待つ訳無えだろ。」


  マンボウの体は、くの字に折れた、頭頂部から血が噴き出している。



  エルモは驚きと、嬉しさと安堵で、泣き出した。

  それはもう、赤子が自分に構って欲しいと駄々をこねる様に。

  そして伊澤に抱きついて、尚も泣く、伊澤も察して頭を撫でてやった。


  「悦子、泣くなとは言わんが、ここは俺に任せて早く港へ行け、船が待ってい

   るのであろう? 夜になると、船は出せんぞ。」


  「あ゛い・・ずまね゛え、恩に着る・・」


  エルモは乱れた髪と、着物を直して街道に出た。 伊澤が見送って手を振る。

  何度も振り返っては、お辞儀をするエルモに、伊澤は早く行けと手で促した。

  やれやれと思って見ていると、東海道の角で大きく手を振って何か言った。

  

  はっきりとは聞こえなかったが、口の動きで分かる。 


         ーありがとうー



  『へっ、あいつ結構カワイイじゃねえかよ・・


   おおっと忘れるとこだったぜ』


  踵を返して、斬った二人の方を見ると、もう野次馬が五、六人集まっていて、

  なぜ橘が、紋付袴に2本差しで行けと言ったのか、その理由が分かった。


  『紋なしの着流しじゃ、只の人斬りに見えるもんな・・』


  「ああ、下がれ!下がれ!私は江戸南町奉行、与力一番組頭、・・・・・」






  同日、同刻 富士乃湯


  『何でこうなった・・』 南佐はここに至った経緯を振り返る。


  昨晩、夕餉を済ませて片付けをしていると、突然、惣次郎が急用を思い出した

  と言うなり出かけて、それきり戻って来ない。

  兵衛も、志津も何故か、あまり気にかけてない。

  朝になったら戻って来るんじゃないかと言って、早々に寝る始末。

  朝になり、昼になっても帰って来ない。

  じゃあ仕方無いから南佐ちゃんで行くか、と兵衛に連れて来られた。


  富士乃湯の入口には大きく



               箱根元湯落成記念対局

                  番外戦



    天城期待ノ新鋭              三島カラノ刺客


    愛染女王  歩 南佐     対     風林火山  芳賀 稔侍




  と、書いてある。    『何でこうなった・・』


  盆の入りだと言うのに客は満員御礼、立ち見までいる有様だ。


  南佐は目の前に座っている芳賀という棋士が、やつれている上に何か不機嫌な

  のは、自分に原因があるのかもしれないと思い、凄く申し訳ない気分になって

  いた。


  芳賀は目の前の相手が、惣次郎では無い事で安堵したものの、対局相手が異国

  の女子で、まだ17、8位の年、加えて棋力のカケラも感じられない態度とい

  う、番付上、前頭3枚目の自分を、完全に馬鹿にしている様な、兵衛の采配に

  些か憤慨気味だった。



  大体において、箱根で戦って負けたとはいえ、帰った翌日に対局など聞いた事

  が無い、実際、惣次郎に勝てそうな棋士が、盆という事もあり、江戸には残っ

  ていなかったのだが。

  八坂が帰ってきたら、しこたま文句を言ってやろうと、芳賀は心に決めていた


  場の雰囲気に堪りかねた南佐が口を開く。


  「ああー何か、お疲れみたいですねー、大丈夫ですかー。」ロボみたいだ。


  「ああ?大丈夫じゃ無えに決まってんだろうがよ! このクソアマが、

   こちとら昨日の夜、箱根から帰って来たってのに、手前みたいなのと

   指さなきゃならねえんだぞ! 大概にしとけってんだ。」


  南佐は一昨日見た箱根の日程表に、芳賀の名前があったのを思い出して、つい

  口を滑らせた。


  「・・という事は箱根には、何をしに行ったのです?」


  芳賀は、怒りを通り越して、笑いが込み上げて来た。


  「ああ、嬢ちゃん・・ふふふ・・面白え、俺も意地悪したくなったぜ。

   どうだい、この勝負、俺が勝ったら、お前さんここで裸踊りを見せてくれよ

   俺が負けたら、俺も裸踊りしてやるからさ。」


  「えええー、嫌ですよお!何で裸踊りなんて!」

 

  その時、2階の観覧席、頭に黒い手拭を巻いている男が目に入った。

  ー惣次郎ー 赤毛を隠しているが大柄な体に、鋭い眼光、間違いない。

  瞬間、南佐は察した、これは試験だと。

  天城としても南佐の力が、棋士として今後戦って行けるのか試す意味合いを含

  めての抜擢なのだと。

  何よりも同じ相手とばかり指しては南佐が楽しく無いだろうという、惣次郎の

  配慮に違いない。


  『ふふーん、そう言う事ですか・・惣次郎には、後で背中流してもらおう。』


  「いや、やっぱりその申し出、受けさせて頂きます。」


  「へええ・・良い度胸だ、お情けに腰巻きは付けてて良いぜ、お嬢ちゃん。」


  「そちらこそ、ふんどしは許してあげますね。」


  「へ、へ、愛染明王だか女王だか知らねえが、徹底的にぶっ潰してやる!」


  「風林火山さんも白旗はお早めに。」


  桟敷脇でおろおろする兵衛を他所に、惣次郎は、南佐がすっかり天城らしく

  なったなあと感慨に耽っていた。


  『南佐、お前の力を見せてやれ、武田の落ち武者狩りだ!』




                続く



  


  


  


  

  



  





  

  

  

  

   


  

   

   


  


  


  



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