南佐の歩 第四章 閑話・緑子備忘録
西暦1819年 文政2年 11月20日
今日、ノア様の手によって私のメモリーロックが解除された。
いくつかの必須項目が時系列で並べられている、先ずは明日予定の惣さま
移送計画をロールプレイしなくてはいけない。
それにしても信州そばの店なんぞに預けなくてもという気はするが、全て
はマリー様の計画らしいので間違いは無いのだろう。
キーアイテムの赤い玉が付いたかんざしの保管に気を遣うが致し方無しと
言ったところか、今夜は早めに寝て、明日に備えよう。
ノア様がお昼に食べていた、上総屋のみたらし団子がクソ美味そうだった
な。
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西暦1820年 文政3年 3月15日
本日付でノア様の侍女を解任され、マリー様付きの護衛兼、秘書という待
遇に変更された。
着任前の4か月の訓練だったが、私には思考加速装置が内蔵されているら
しく50年分の経験と知識がまるっと獲得出来た。
ものすごーく強くなった、つよーく、大事な事なので2回言っちゃった。
でも、マリー様が思ったよりも下種な人で驚いた。
まあ、吉原の遊女というキャラ設定上仕方無いとは思うのだけど、外見の
知的で優しく清楚な女性のイメージが台無し、この人中身は全くの正反対
で、粗野で乱暴、下の事には異常な程貪欲、はっきり言って気持ち悪い。
これからが憂鬱だけど、使命を全うする為には多少の被虐的行為には耐え
なくちゃね、惣さまの為に頑張る、元気にしてるかな・・。
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西暦1821年 文政4年 8月6日
午後から例会があり、マリー様が遊郭を離れるという事で柳水の守りを任
されたのだが、寝ても覚めても将棋、将棋、THE 将棋、頼むから女の子ら
しい遊びをしてくれ、いい加減うんざり。
この娘が惣さまの想い人になるなんて腹立たしいにも程がある、何より見
た目が気持ち悪い、白蛇みたいな顔して痩せぎすで、日除けの晒しがこす
れて目の下赤くなってるし、醜女って言うの、ブース、ブース、ブース、
あたしのが数億倍は美人だし、きっと惣さまはこの娘に飽きて私の元に来
るはずだわ、その日まで我慢、我慢っと。
愛しの惣さま・・おやすみなさい。 Good Night. I Love You.
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西暦1822年 文政5年 11月11日
ポッキーの日だね! いつの日か惣さまとポッキーを両サイドから食べるや
つやってみたいな。 そして唇と唇が近づいて行き・・
ま、当分先になりそうなので我慢しますか。
やっと柳水が小橋に行ってくれた、これであの忌まわしい将棋なんぞに付き
合わされずに済むよお、超嬉しいんですけど!
でもこれから後藤の屋敷に潜り込む準備をしなくちゃならない、マリー様が
囚われの身になる様に段取りを打って、ラボ建設の資材を開梱して・・
忙しいのは良い事だけど、少し無理が過ぎませんか、マリー様!
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西暦1822年 文政5年 4月7日
糞!糞が、宗印の糞ボケ親父めが!
私の股間を小一時間も舐めやがって、ふやけちまうだろうがああああ!
あー最近良い事無いわー、ここんとこ毎日だよ毎日、早いとこマリー様を連
れて来ないと身が持ちませんて。
でも、何もかも惣さまの為と思えば我慢できちゃうのお、しゅきぃ・・
しゅきなのお。
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西暦1822年 文政5年 12月10日
やっとマリー様がラボに入った。
永かった・・・
しっかしまあ書斎の上に隠し部屋があるのは知ってたけど、宗印てば一体
何人の棋士を監禁して廃人にしたのかねえ、自分で指しても相当強いとは
思うのだけれど、まあ棋士って生き物は負けるって事は死ぬ事と同義位に
考えてますからね、その点、惣さまったら何と寛容なのかしら・・
まだ4歳だと言うのに大人顔負けの心の広さ、今日の軒先将棋で、履物問
屋の主人がお金持ってない事を知ってるものだから、わざと負けてあげた
りして・・・ああ・・・S・U・T・E・K・I・・・。
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西暦1823年 文政6年 7月14日
惣さまが、計画通り今日道場入りした。
天城に養子に入るまでの過程でのトラブルも無く順調、順調。
小橋の本道場に設置しておいたカメラで、惣さまを360度・全方位から
入場、挨拶、その他もろもろに至るまで捉えてみたが、
もーう堪らん、股間が疼く、疼く。
しかし柳水が笑うとこ初めて見たかも、分かってはいるけど、この茶番劇
の様なファーストコンタクトには反吐が出そう、
泥棒猫!泥棒猫!泥棒猫!
でも天城のカメラよりも、こっちの定点カメラのが使いやすくて高画質、
惣さまフォトブックの編集が捗るぅ。
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西暦 1829年 文政12年 8月6日
キターーーーーー! ついに、トゥイニ、柳水が逝っちまいやがったあああ
ああああああ。
惣さまの何と弱り切った事よ、今がチャンス、good job! 貴美婆。
これでマリー様も計画を大幅修正しなくちゃいけなくなったわねえ、このま
ま弱った惣さまを慰めて差しあげます、当然マリー様には内緒でね。
小次郎の事だから吉原に元気付けに行くに違いないわ、100億パーセント
間違いない、アヴェ様のIDでゲイザーにアクセスしてマスターコンソールを
弄れるのは多分1回こっきり、それも2.5秒が関の山ってとこかしらね。
でも私なら出来る、イコライザー界隈のイーサン・ハントと呼ばれたこの私
にならね。
BGM:スパイ大作戦のテーマ
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同年 8月22日
ヤッター! やったーやったーやったーマン! 大大大成功!
精子ゲットだぜ!
このエピソード作りで天城での出会いが効果的になるはず・・
だったのに、マリー様からしこたまちんちん怒られちった・・
まあ私は反省したふりも上手いので大丈ブイブイ!
足がかりは作ったわ、やっほい。
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西暦1833年 天保3年 5月24日
厄日だわ・・
来やがった、来やがった、クソアマが!
女神気取りってか、呑気なもんだぜ、ったくよ。
もうこうなったら成り行きに身を任せる他無いわね、でも何かおかしい。
トゥルーソウルの重さが予定よりも13パーセント程重い、なのにマリー
様は意にも介していない様子、何故?
まあ良いわ、追々調べて報告書を次の例会までにまとめておこう・・…
さあてこっからXデーまで、時空レイヤーに縛られない観測対象をどこま
で補足・調整出来るか腕の見せ所だわさ!
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同年 7月7日
エルモがヴァガボンドになってるって、どーいう事!
まさかカイ様が手を下した・・それしか考えられない。
あやうくGPSが機能しないとこだったわ、マリー様がキレ散らかして、私を
怒鳴るわ、ナニをナニしろとか、もーう完全にとばっちりよ!
セト様からも最重要監視対象に追加要請があった、もう手に負えません、
アヴェ様が動いてくれないと私だけではとてもとても・・
どぅあが!あっちのアジャスター連中や九重の手を借りるのは私のプライド
許しません! やれるわ・・やってやるわよ・・
全ては、あなた様の為。 Oh my DEAR。
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同年 7月12日
えへ、えへへ・・・ 頑張ったよ、頑張ったよぉ・・
箱根まで行ってエルモの逃走を手助けしまひたぁ・・・
木屋昴なんて名前やめて欲しいわ、ダッサ! じじいの体は疲れますって、
まあセト様の頼みだから仕方ないけどね。
エルモが天城に転がり込むのも計画の内なのかは知らんけど、なんか特異点
おっきくなってますって、アル中んとこのゲイザーも臨界付近を行ったり来
たりして、ヤバない?
こりゃあ来年までに大きな災害が来ないと時空レイヤーの修復だけじゃ魂の
補完が追い付きませんて。
これでまた惣さまに害虫が寄生するのか・・駆除しないと。
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同年 8月11日
しばらく平和だと思ってたら今度はカイ様がやらかしてくれたわ・・
カガリはそういう役目じゃねーだろが! ロリコンはこれだから嫌い。
大体、九重みたいな体力バカに緻密な任務遂行は無理だっつーの!
結局カガリを生かす羽目になったじゃないの、カイ様お怒りでしたけど!
マリー様のおかげで何とか事なきを得たって感じね。
今夜はマリー様のお体を入念に拭き拭きさせて頂きました。
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同年 10月20日
次から次へとトラブルが舞い込んでくる・・
あんのエテ吉が! なんだってぇえ?人間になりたいだぁ?
お前はベム・ベラ・ベロか! 大人しく特異点修正デバイスを設置して
退散、で事は収まってんだろうがよ! あああ・・イラつく・・
アル中んとこのアジャスター連中、本当にトラブルメイカーにも程があ
るぞ、特に沙羅とか言うワンコがウザい、ウザすぎる。 能力値に差が
ありすぎて正面から潰す事は出来ないって、何よ! でもいずれ始末し
てやるわ、九重共々ね。
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同年 11月8日
このところ肩こりが酷い・・
地下に後楽園レベルの空間を作るのに作業用ドローン2000機動員し
て2年、なんとか形にしたわ。
源蔵親分の悪趣味に付き合う気はないのだけれど、本当にくだらない。
ヤーウェ様が率先して協力してくるって、絶対何か企んでるし、マリー
様は好きにやらせて構わないと言うけど、ソウルコードの解析が終わる
までは大人しくしてて欲しい・・
今日の来客の為に用意したお茶菓子が余ったから、こっそり隠してたの
がバレて宗印に折檻されてしまた・・尻の穴まで「こけし」を突っ込み
やがってからに! もう許さん、事が終わったらコロす、ぜってーに!
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同年 12月10日
小橋分家に仕掛けていた監視カメラにザッキーとヤーウェ様?が何やら
シリアスモードで話し込んでいるのが映っている、怪しい・・怪しいよ
ザッキー・・アル中んとこのアジャスター時代は物腰やわらかで人当た
りも良く、地味に良い感じのイケメンやったのに、柳水に惚れたせいで
自ら監視役へ志願する奇特さは滑稽という他ないわね。
アル中とも親しくしてたし離反する理由が分からない・・
密談の理由は柳水がらみだとしか思えないけど、柳水のコードはアクテ
ィベート済みになってるのを確認してるから生きている筈は無いが・・
まさか、クローニングした素体がもう一体あるって事?
いや・・それはマリー様の計画に無かった、けど絶対にアヴェ様は何か
隠してるわ、カイ様にヤーウェ様も・・。
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同年 12月30日
いきなり何なのよ! もーう勘弁して!
将棋ウォーズだか何だか知らねえけど、ここにきてヤーウェ様がやらかし
やがったわ!
ホントにあんの男色金満野郎は舐め腐りやがってえええええええ!
やっとポナンザのソウルコード解析に目途がついてレイヤーのベータ版が
出来た矢先になんてこった。
後始末の大仕事はアル中に任せて、緊急招集の準備、準備っと。
終わったらきりたんぽ食べよーっと、宗印のへそくりから少しづつ集めた
お金が結構貯まったから、ガンガン美味いもの祭りだぜ!
惣しゃま待っててね、オーバーレイが終わり次第、あなたの精子を持って
21世紀にカムバーック!
同年 12月31日から元日
怖かった・・カイ様マジでキレてました。
でもモーセ様とヤーウェ様がデキてるって噂はホントだったのね、どっちが
ネコでどっちがタチかは想像がつくけど・・ 気持ち悪い。
今夜は明けましてクソ忙しゅうございましたとさ。
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今年も宜しくね惣様。
同年 1月4日
ザ、ザッキーがイコライザーになってる・・!?
何でなの、マジ分からん!
しかしあの出で立ちからすると最初から素体があったとしか思えない・・
マリー様は構わないと言ってたけど、アヴェ様が何か隠しているのは確実ね
調査したいけど、将棋ウォーズの後始末がまだ終わってない、くっそ腹立
つわー。
宗印のボケがこのところマリー様に絡む機会が多くて、とても自由に動ける
状態じゃ無いのがネックだわ・・暫くは静観しますかね。
・・惣さま禁断症状が限界に近い、このままでは股間が腫れあがってしまふ
何とかしないと。
~現在~ 天城道場
天城の新春将棋祭りが終わり、五人が道場に戻ったら、詰めている門弟に加え
てその他大勢の門弟たちが出迎えてくれた。
かなり遅くはなったが挨拶を終えて帰る門弟にお年玉を振舞って、残った者達
で酒宴が催された。
終始笑顔の南佐を後目に、エルモは神妙な顔つきで酒を煽っている。
それに気付いた小次郎がエルモに話を振った。
「なんでえ、悦子よう、らしくねえじゃんかよ、
眉間に皺が寄ってますよ、ってね、かかかかか。
さては留守番が余程辛かったと見えるねえ、ほらこっちに来て酌しておくん
なまし。」
空気の読めない小次郎に、英子が肘鉄を食らわせた。
エルモが一瞥をくれて怒鳴る。
「あたしの事は放っておいてくれねえかな、このどサンピンが!
英子姉、そんなボケ次郎の子なんて産まなくて良いぜ、どうせ借金のカタに
売り飛ばすのが関の山なんだからよ!」
「ああ~ん、そいつは聞き捨てならねえな、
誰が借金帝王だ、このアバズレが!」
一触即発の雰囲気に、これまた酔い散らかした兵衛が下世話な話でちゃちを入
れる。
「悦子ぉ、寂しいなら俺のナニで慰めてやろうか~い。
惣次郎の粗チンよりず~っと具合は良いぜえ~。」
これにはその場の全員が絶句した。慌てて森が兵衛を簀巻きにして表に叩きだ
した。
惣次郎がその場を収めようと必死に二人を説得する。
「まあまあ、新年早々喧嘩はやめようぜ、悦子もここは俺の顔に免じて小次郎
さんを許してやってくれよ、な、な、」
「ん・・まあ惣ちんがそう言うなら・・けど代わりに惣ちんの童貞を奪った女
の話が聞きてえもんだね、小次郎さんよ、
知ってんだろ、昔惣ちんが病んでた時に手前が初遊郭をキメさせたって森の
字から聞いてたからな、真実を話してもらうぜ。」
「ええええええええええええええええええええええ、ちょ、ちょ、待て
待てって!」
「ああ・・そう言う事ならこの小次郎、逃げも隠れもしねえさ、
真実はいつもひとおおおつ!ってね。」
道場中が歓声で沸いた、割れんばかりの拍手に指笛が飛び交う。
「観念しな、惣ちゃん、恨むなら升平を恨むんだぜ・・
それじゃあ、まずは遊郭に向かう道中での惣ちんの様子から・・」
堪らず惣次郎が身を乗り出して小次郎を制する。
「分かった、分かったよ、こうなりゃ俺も男だ、逃げも隠れもしねえよ、
ありのまま、全部話すからさ、茶化さずに聞いててくれ。
・・・・・・皆も知ってるとおり、柳水が逝っちまってからの俺はもう
将棋盤の前に座る事すら出来ない状態でさ、無気力で半ば自暴自棄にな
っていたんだと思う。
正直、将棋の道を諦める腹だったよ・・
でも親父殿や母上の気持ちを考えると、そうも行かなくてさ、
小次郎さんに誘われるがまま、飲みに行ったり博打を打ちに行ったりし
たよ・・
でも結局の所、心の傷は癒せなかった。
そんなのが続いたある日、小次郎さんが俺を元気づけようとして遊郭に
誘ってくれてさ、最初は断ったんだけど、森さんがしつこく誘うんで、
仕方なく行く事になったんだ。」
皆の目が戦犯の方へと向かうが、当の本人はそしらぬ顔で口笛を吹いて胡
麻化している。
「吉原に着くと、小次郎さんと森さんはどこかへ消えちまって、俺は右も
左も分からないまま目抜き通りを歩く羽目になっちまった。
目も眩む様に艶やかな女子を横目で見ながら、なんか妙に情けない気持
ちになっちまってさ、もう帰ろうと振り返った時、強面の侠客にぶつか
っちまった、謝ってはみたが只で済む筈もなく、引きずられる様に路地
裏に連れて行かれて、散々痛めつけられちまったのさ。
口の中は血まみれで、体のあちこちに痣や傷が出来てたな、
蹲って、女郎部屋の明かりをなんとなく見てたら涙が溢れ
てきちまってさ、おいおいやって泣いたよ・・
するとその窓から女子が顔を出したんだ、俺は恥ずかしくなって立ち去
ろうと腰を上げた時、その女子が手招きして裏口に来いって言うんだ。
言われるがまま裏口に回ると、ここは自分らの控え室だと言って上げて
くれたんだ、
水を出してくれて、傷の手当もしてくれた、本当にありがとうと礼を言
って帰ろうとしたら、礼なんかより少し話がしたいって言うのさ。
その女子は棋士としての俺を知ってる風で妙に詳しいんだ、だからじゃ
ないけど話も弾んで楽しかったよ、久しぶりに他人と会話した気がした
な、そうしてる内に眠くなっちまって、ついその部屋で横になっちまっ
た。
行燈の明かりがちらちらと揺れる様がぼんやり見えて目が覚めたらば、
女子が横で寝息を立ててるじゃねえかよ、しかも俺も女子も裸だぜ、も
うびっくりして女子に土下座して謝ったさ、手当して貰った上にナニを
ナニしてもらうとか厚かましいにも程があるってな、
でもその女子は笑って許してくれた、いつかまた会えると良いねって言
って裏口からそろっと出してくれたのさ。
これが俺の初めての顛末だけど、実は小次郎さんたちも知らない続きが
あるんだ。
聞くかい?」
皆して大騒ぎになる、勿体ぶるな!早く話せと嗾ける。
「わあーった、分かったから、待てって、
俺は柳水からの文のおかげで棋士に戻ったんだが、その年の棋戦から少し
づつ調子を上げていって、三年目にして二段位優勝にこぎつけたんだ。
三段位の優勝は後藤家の門弟で古谷三行って棋士で、三番勝負の最終戦を
後藤の本道場でやる事になってたから日本橋に向かう事になった。
初めての後藤本道場で俺はかなり緊張してたよ、でも負ける気はしなかっ
た。
だけど中盤の難所で何度も打掛けるので、流石に集中が切れちまった。
古谷が中座してる間に厠に行こうと奥に見えた女子に声をかけたんだ、
その振り返った女子の顔を見てびっくりさ、吉原で手当てしてくれた女子じ
ゃねえか、
何でここにいるのかと尋ねたら、あの時はたまたま叔母の手伝いで賄いに行
っていたのだと言うんだ。
その後、少し話をして感謝の気持ちを伝えたよ、その将棋は負けたけど何か
清々しかった・・ 実に良い思い出さ。 皆、これで満足かい?」
皆が感嘆の声を上げる中、志津が手を上げた。
「もしかして・・その女子って緑子さんかしら?」
「母上には分かっちまったか、まあ毎年棋戦の決勝の案内を年明けから持って
来るからな、今年ももうそろそろ来るんじゃねえかな。」
ポナンザ、エルモ、英子の3人以外全員がひっくり返った。
森に至ってはショックで気を失った。
「お、おい・・惣ちん、お前はあん時「満宝館」の女郎とパツイチ決めたって
言ってなかったか・・・」
「ああ、何か良い思い出だから話したくなかったのさ。」
「惣次郎・・手前ってやつは・・俺の緑ちゃんを・・緑ちゃんを・・」
いつのまにか戻ってきた兵衛が泣き出した。
「ホント、惣ちゃんは隅に置けねえぜ、あんな美人とやっちまうなんてよ。」
「よしてくれよ小次郎さん、年端もいかねえ子らもいるんだぜ、ったくよ、」
「緑子さんは年明けから弥生の頃まで何回か後藤家の書状を届けに来るのよ、
でも必ず惣次郎が居る時にしか来ないの、私の見立てでは絶対に気があると
思うのよね・・うふふ。」
「お、おい、そ、惣ちん、まさかあたしらが来てからもその女子とやらかして
たりしねえよな、な、な!」
「そ、そ、そそそそ惣次郎は、その方の事ととと、しゅしゅききにゃのれふか
かかか・・・」
必死過ぎて最早何を言ってるのか分からない。
「・・ったく、いくら器量が良くったって後藤の本道場の女中だぜ、
宗印の息が掛かって無い訳ねえだろよ。
そんな女子に今の俺がイチャコラしようもんなら確実に不正を疑われる
のがオチだぜ、二人ともにな、
だから俺は緑子にその気があろうが無かろうが関わらないと決めてんだ
棋士の勝負は盤上だけなのさ。」
その場の皆、大きく感心したのだが、ポナンザとエルモは未だ緑子に興味
深々だ。
「惣ちんよう緑子ってのはそんなに美人なのかよ、つか歳は幾つだよ。」
「確か吉原で聞いた時、十八って言ってたから今は二十四ってとこじゃね
えかな。」
「か、髪はどんなんでふか?」
「ああ・・深い黒で去年の春は顎のあたりまで短く切り揃えてたっけ。」
「ほうほう、で惣ちん、乳はどうよ、見た事あんだろ。」
「えええええ、そこは必要ねえだろ、大体そんな事知って・・」
森が目の前で土下座をして紙と筆を差し出した。
「描いてくれ、頼む、お頼み申します!」
必死の形相だ、気付くと子供らも詰め寄っている。
「こ、こら、お前らには早いって、ほら、あっち行ってろ、
森さん・・ホント参ったぜ・・
・・・なら言うけど、あいつは着痩せするみたいで、着物の下に、
スイカが二つあるみたいに見えたよ。」
森が鼻血を出して倒れた。
「さあさ、もう終わり、解散!」 惣次郎が逃げるように茶室に戻る。
興奮状態の子供らは口々にスイカ・・スイカと呟きながら宿所に
消えた。
ポナンザとエルモは片付けながら、緊急会議だ。
「ポナちゃん、やべえよ、とんだ伏兵が現れやがった。
あの様子じゃ、もう一人妾が増えるなんて事にもなりかねないぜ。」
「はわわ、はわわ、不味いです、とにかく顔を出した時に牽制球をブち
込んどかないと。」
「そうだな、まあ明日以降は厳戒態勢で警備だぜ、ポナちゃん。」
日が明けて、気が気でない二人は朝早くから玄関付近を交代で見回って
いたが、昼前には飽きて通常営業に戻り、弟子の相手やら昼の仕出しの
準備に追われた。
来客や弟子たちが引き上げて、やっと一息ついた頃、緑子が現れた。
今年は胸元まで伸びた髪を束ね、目の上で前髪をぱっつんと揃えていて
ぱっちりした目が余計に際立つ、色白細面にの上、気温が低いのも厭わ
ず、首元から胸の谷間まで素肌を露出するという、なんとも男殺しの出
で立ちだ。
昨日の今日で道場はもう大騒ぎになって玄関先に押し合いへし合いの地
獄絵図が展開された。
惣次郎がもみくちゃにされながら出迎え、書状を受け取った。
「あけましておめでとうだな緑子さん。 今年も宜しく。」
「おめでとうございます、惣次郎さん。 こちらこそ宜しく。」
二人の間に何かほんわかした空気が流れる。
「冷えて来たんで、どうだい、茶でも飲んでいかねえか?」
「うふふ、ありがとうございます、でも今日は遠慮しておきます。
だってあちらのお二人が凄い顔で睨んでますもの、怖い怖い、
うふふ。」
「そうだ、お前らも挨拶しとけよ、」ポナンザとエルモを手招きする。
「俺の妾二人を紹介するぜ、南佐と悦子だ。」
二人がぺこりと頭を下げた。
緑子も頭を下げる。
「な、南佐と言います、棋士です、宜しく。」
「あたいは悦子ってんだ、あたいも棋士だ宜しくな。」
「私は後藤の家で女中をしています緑子と申します、
今後ともお見知りおきを。」
そう言って南佐にお年玉と書いた包みを渡した。
「え、あ、ありがとうございます、頂きます。」
「気にしないで、それじゃまた顔を出します。」
踵を返しながら会釈をすると、緑子はするりと門をくぐって帰って
行った。
ひと騒動終わったその夜、南佐は夕餉を終えて風呂の準備をしながら
緑子の事を思い出していた。
『何か妙な雰囲気が漂う女性だったな・・
どこかで会った事があるのかしら。
・・そうだ、お年玉。』
袋の封を切って中の封書を取り出して開くと、煮干しが2つあって、
紙には
「泥棒猫」
と書いてあった。
続く




